前編
領域境界に近い辺境の村、小さな宿の食堂に少女と男の交渉の声が響く。
「なんだよ！ ボッタクリじゃねぇか。何でポーションがそんな値段なんだよ！」
「もう、うるさいわね。これだけ品質の良いポーションなんてなかなか見つからないわ。文句言わずに買いなさいよ」
薔薇色の瞳を持つピンク色の髪をポニーテールにした小柄な少女が男を睨み、臆することなく言い放つ。
「相場の倍以上じゃねえか。こんなもん買えるか！」
「こんなもんとは失礼だわね。私が調合したのよ、品質は保証するわ。大体、こんな開拓境界近くの村まで商品を運ぶのは手間も時間もかかるし危険だしで大変なのよ。これ以上値段を下げる訳にはいかないわ」
「なぁ、頼むよ。ここまで来て討伐依頼を達成できなかったら、ほんとに素寒貧になっちまうんだ。せめて、これだけ負けてくれ」
背を伸ばして上から目線で少女に突っかかっていた男が、今度は頭を下げながら五本の指を伸ばして少女に見せつける。
「ばっかじゃないの？ 身の程をわきまえず依頼を受けるのが悪いんだわ。ま、下げたとしてもこれだけね」
少女は人差し指と中指を伸ばし、うんざりした表情で男を見る。
「もう一声！」
「だーめ！」
「この通り！」
「拝んでも無駄だわよ」
交渉が白熱する中、階段から降りてきた銀髪の大男が少女に話しかける。
「売り物を見せてもらう」
「いらっしゃい。どうぞ、ご自由に」
大男はポーションを手に取り、青灰の瞳でガラス瓶を透かして見つめ、ふたを開けて臭いを嗅ぐ。
「良い品だ」
「私が調合したの。お兄さん、お目が高いわね。どっかの誰かさんとは大違い」
「誰の事を言ってんだよ？」
「はいはい、あんたはちょっと待ってちょうだい」
「いくらだ？」
「二百ディル、って言いたいところだけど、ちょうど交渉中だから百九十で良いわよ」
「高いな」
「仕方ないじゃない。こんなところで商売してるんだから輸送にかかるコストとリスクを考えたら妥当な額だわよ」
「そうか、では二十個もらおう」
「まいどあり！ その背嚢に入れる？ 瓶が割れないように詰めてあげるから下ろしてちょうだい」
「ああ、頼む」
大男は巨大な背嚢を肩から下ろし、少女の前に置く。
「これだけたくさん運べたら一人旅でも苦労しないわね。羨ましいわ」
少女は話をしながら丁寧にポーションの瓶を詰めていく。
「助かった。代金を確認してくれ」
「はいはい、ちょうどぴったりね。ありがとう。私は調合師で行商人をしてるミーナって言うの。あちこち回ってるから、またどこかであったらよろしくね」
ミーナが小さな右手を差し出すとデュロイは倍程の大きさのある右手をそっと重ねるように握手を交わした。
「デュロイだ。また会ったら利用させてもらう」
デュロイは背嚢を持ってカウンターまで移動し、椅子に座って食事を注文した。
「それで、あんたはどうするの？」
「……百九十で十個」
男は不貞腐れながらぶっきらぼうに言う。
「あんた、あのお兄さんより弱そうだけど、十個で大丈夫？」
「るっせえ！ 金がねぇって言ってんだろ」
「あはは、一つおまけしとくわ。感謝しなさい」
「ふん、ありがとよ。ほら、金だ」
男はボロボロの革財布からなけなしの銅貨を十九枚数え、「ふん」と鼻息を鳴らしながらミーナに渡す。
「まいどあり。詰めてあげるから荷物だして」
男は黙って足元に置いた車輪のついたケースを指差す。
「良いの持ってるじゃない。開けるわよ」
ミーナはケースににかかった土埃を払い、留め金をはずしてゆっくりふたを開ける。
「うわ、汚な。旅してるんだったらちゃんと整理整頓しなさい。良いキャリーケースなのに物が全然入らないじゃないの」
「いちいちうるさい奴だなぁ」
ミーナは文句を言う男を無視して、鼻歌混じりでケースの中の物を全て出した後、取り出しやすく暴れないように隙間なく納め、新たにできた空間にポーションを詰め込んだ。
「これでよし。終わったわよ。ついでに車輪に油差しとくわ」
「……ボッタクリなんて言って悪かった。オットーだ」
「あはは、討伐依頼、うまくいくと良いわね。オットー。気を付けていってらっしゃい。お金ができたらまたよろしくね」
ミーナは愛想良く手を振り、ゴロゴロとケースを転がして宿を去るオットーを見送った。
◇◇◇◇◇◇
「ねぇ、ここにはどんな用事で？」
自分の荷物を片づけたミーナがカウンターの椅子に腰掛けるデュロイのとなりに座る。
「領域の奪還だ」
「へー、今時珍しいわね。いつから？」
「三日ほど前からになるか」
「ふーん、この辺りの森で薬草の採集をしたいんだけど、強力な魔物はいるかしら？」
「昨日森で討伐をしたから、今はまだ弱い魔物ばかりだ」
「ラッキー！ 良いタイミングだわ。ありがと、デュロイ。それじゃ、早いうちに行かないとね」
「それでも、この辺は比較的強力な魔物が多い。戦闘職でないと危険だ。わかっているだろう？」
デュロイは小柄なミーナと調合師の装備を見て首を傾げる。
「そうね、いつもはギルドに採集依頼を出して採ってきてもらってるんだけど、最近はあまり依頼を受けてくれる人がいなくてね。ここだけでしか採れない薬草って結構多いから自分で採集ができればと思って来てみたの。ま、弱い者には弱い者なりの戦い方があるものだわ」
ミーナはデュロイの顔を見上げ、笑顔で返す。
「そうか。無理をしないようにな。森で採集するなら明るいうちだ。夜は魔獣の領域になる」
「心配してくれてありがとう。気を付けるわ」
ミーナはカウンターの椅子からぴょんと跳び下り、「それじゃ、またね」と手を振って宿を後にした。
◇◇◇◇◇◇
ミーナはモフパカの手綱を引き、なるべく音を立てないように、耳を澄まし、モフパカの表情を見ながら、注意深く周辺を見渡して、薄暗い森の中で木漏れ日を辿るようにゆっくりと歩く。
しばらく森の中を探索し日が真上に来る頃、木々が開け一際明るい場所に小さな泉を発見し、「やった」と小さくとび跳ねた。泉のほとりには野草が生い茂り、所々に薄く色づく小さな花が咲いている。
「うんうん、生えてる生えてる。ここにしようかしらね。もふみちゃん、ちょっとここで待ってなさい」
手近な木にモフパカの手綱をくくりつけ、白くふわふわした被毛に覆われた頭を撫でた。
「お水汲んでくるわね」
モフパカに背負わせた袋の中から水遣り用の器を取りだし、泉の水を汲んで足元に置く。
「この辺の草なら食べてて良いわよ。私はあっちで薬草を摘んでくるから」
少し離れたところで地面に膝を付き、薬草やハーブを選別して袋に詰めていく。
「はぁ、良いところね。薬草は上質だし、水はきれいだし、静かだし。これで魔物がでなかったら最高なんだけど。 ……ちょっと重いけど頑張ってね」
薬草でパンパンになった袋を4つ、モフパカに背負わせながら話しかける。
と、その時、森の奥から地響きのような咆哮が響き上がり、木々の枝に羽を休めていた鳥達が飛び立ち、草葉が細かく振動し、泉の水面にさざ波が立つ。
「ヒュージモンスター！？ 嫌なタイミングで出てくるわね。 ……どうどう、大丈夫よ、落ち着いて、もふみちゃん」
怯えるモフパカを撫でて落ち着かせながら背負わせた荷物を全部下ろし、周囲を警戒する。
「発生地点からは遠そうだけど、森全体が殺気立ってるわね。急いで帰るわよ」
モフパカに背負わせた薬草の詰まった袋と不要な荷物を全て降ろしてその場に置き去りにし、手綱を引いて早足でヒュージモンスターが発生した方角を背に森の出口を目指す。
「はぁ、魔獣の気配、どんどん近づいてるわね。こっちに気づいてる。もうすぐ抜けられるってのに…… うん、逃げ切れないか」
足を止めて手綱を離しモフパカの背中を強く叩く。
「はぁ、はぁ、もふみちゃん、ここは私一人で大丈夫だから、先に村に帰ってて。後で迎えにいくわ」
モフパカが小さく嘶き、駆け出すのを確認すると、腰に提げた道具袋から爆竹を取り出して短い呪文を詠唱し、導火線に火を着け放り投げる。
「はぁ、はぁ、ふぅ ……さて、どこまでやれるかしらね」
腰に差したダガーナイフを抜き、息を整える。
爆竹が爆ぜる音が響くと、低い唸り声を上げながら藪を掻き分けて、銀の被毛に暗色の鬣、刃のような爪と牙を持つ魔獣がミーナの前に姿を表す。
「猟狼…… ということは二十匹はいるわね。厄介だわ」
腰に提げた道具袋から赤い液体の入った小瓶を取り出し一口あおると、途端にミーナの瞳に深紅の輝きが灯る。
「……行くわよ」
腰を落とし、眼前の獣を睨み付けダガーを構え、口角を上げて八重歯を見せて薄笑いを浮かべる。
猟狼は低く構え、全身のバネを使ってミーナの喉元に食らいつこうと飛びかかる。ミーナはその瞬間身を屈め、跳び上がった猟狼の下に潜り込み、爪を掻い潜って喉元に刃を突き立てる。
勢いに押し倒される体勢でダガーを持つ両手に力を込めると、着地の衝撃で猟狼の喉の奥深くに刃が飲み込まれた。猟狼が光と共に蒸発し、後に魔石が結晶する。
のし掛かる猟狼の身体が消滅した瞬間に跳ね起き、一番近くの木に背を着けて辺りをうかがう。茂みの陰に光る眼が二匹、三匹と獣の存在を知らせ、さらに周囲の気配も濃くなっていく。
木立に半身を預けながら木々の間を縫うように猟狼の群れとの間合いを測りながら移動する。
追い付いた一匹が飛びかかろうと身を屈めるのを見て、くるりと木の裏側に隠れて後方の茂みに拾った石を放り投げる。
陽動に掛かって茂みの方を狙う猟狼の死角から飛び出し、勢いを付け無防備な首にダガーを突き刺して体重を掛け喉を切り裂く。
「ふぅっ」と強く一息つくと、止めを差した猟狼の消滅を待たず、また手近な木の陰に身を隠す。
「はぁっ はぁっ んぐっ ……はぁ、きっつぅ」
四方に猟狼の気配を感じながら木の幹に寄りかかる。ダガーを握る右手をだらりと降ろし、左手で道具袋を探って手のひらに収まる程の玉を取り出す。
「良い子ね、こっちに来なさい」
溜め息混じりに言い放ち、ダガーを握り直し、正面の茂みから姿を現す猟狼の眼前に突きつけると同時に呪文を詠唱して獣の足元に玉を転がした。
その瞬間、強力な閃光と爆音と共に玉が弾け飛ぶ。突きつけられた刃に警戒していた猟狼は爆発の直撃を食らい腸をぶち撒けた。ミーナはそれを確認することなく気配の薄い方向へ駆け出し、再び猟狼の群れと距離を取って木の根元に座り込む。
「はぁ、ここまでね。収穫ゼロで経験値ロストは痛いけど、まぁ仕方ないか。運が悪かったわ」
震える手に握るダガーを持ち替え、左手を添えて自分の喉元に切っ先を当てる。
「奴等に食い散らかされるのはごめんだわね」
魔獣の気配が近づく中、ミーナは目を瞑り、両手に力を込めた。
