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その後、ミリアムは自分の娘を皇帝に嫁がせたいという夢を諦めた。そうするしか道はなかった。
ミリアムは腹をくくり、まずナデージュが本当に妊娠しているのかどうか医者に確認させた。医者が認めると、次にベルナールをとある貴族の養子にし、すぐに二人を正式に結婚させた。結婚直後に妊娠し、普通の赤子より早く生まれたということにしなければ、ナデージュが未婚状態の時に妊娠したことが世間に知られてしまう。そうなったらフォルニート大公家にとっては甚だしく外聞が悪いため、それを避けるためにミリアムはとにかく急いだのだ。
ただ、ミリアムは大公女という自らの立場もわきまえず自分勝手な行動を取った娘に対して怒り心頭だったから、フォルニート城下の住宅地に平民が住むような一軒家を宛てがった。豪奢な屋敷ではなく、使用人もいない中で生活させることにより、ナデージュに自身の選択を後悔させたかったのだ。
大公は長女がすぐに音を上げることを期待していたのだが、しかし事はミリアムの目論見どおりには運ばなかった。ナデージュは周りの住民たちとすぐに馴染んでしまい、むしろ庶民たちと同じ生活を楽しんだのだ。
使用人がいない環境では絶対に困るに違いない、とミリアムは思ったのだが、何とベルナールは家事全般が得意らしく(ティティスでは一般的には家事は女性が担うものであるのだが、彼の場合、母親を亡くして父親との二人暮らしだったため、やらざるを得なかったらしい)、ナデージュのほうも彼から家事を学んだため、夫婦二人で力を合わせて毎日の生活を乗り切っていた。
派遣した偵察員からそういった報告を受けるたび、ミリアムはとことん自分の思いどおりにならない長女に対して地団太を踏んだ。
先に音を上げたのはミリアムのほうだった。少しずつ大きくなっていく娘の腹部を見て、あの中にいるのは自分の孫なのだ、とミリアムはふと思った。一度そんなことを思うと、もういても立ってもいられなくなってしまい、ミリアムはナデージュの乳母や女官を彼女の家に送り込んだ。娘のためにではない。もうすぐ生まれてくる孫のため、そして自分が安心できるようにするためだ。
グレンが生まれると、ミリアムもメガーヌも娘との確執も納得がいかなかった気持ちも失望も何もかもを忘れて孫に夢中になった。
ナデージュと結婚したことによって平民から貴族となった娘婿のベルナールは、身分にふさわしい地位を与える必要があったので(自分はそんな器ではないから一兵卒のままでいいとベルナール本人は主張していたのだが、フォルニート大公としてはそんなわけにいかなかったのだ)、ミリアムは彼をフォルニート騎士団の小隊の副隊長に任命した。
逆玉の輿だの何だの言われるだろうが、しかし能力ではなくナデージュの夫ということで出世したのは事実であるので、ベルナールにはそれくらいは耐えてもらわなければな、とミリアムは心を鬼にした。
ミリアムとしては、能力がともなわないのにベルナールを副隊長に抜擢した人事に対する不満があちこちから噴出することも覚悟していたのだが、蓋を開けてみれば予想外の展開になった。
副隊長は隊長と隊員たちの間を取り持ち、隊の円滑な人間関係を構築するのが主な役割なのだが、彼のよく気がつく性格や細やかな心遣いが功を奏し、彼が所属する隊は結束が固くなった。
また、彼は騎士としては明らかに不適合なほどに体もひょろっとしており、剣技も体力もぎりぎり及第点という水準だったのだが、騎士団という組織の中で彼は意外な方面で活躍を見せた。屈強な騎士たちは身体能力は優れているのだが、その反動なのだろうか、書類仕事や計算が苦手な者が多い。そんな中で彼は丁寧な報告書を作成したり、隊長と副隊長が参加する会議で必要な予算をしっかりと確保したりと、事務方としての能力を発揮したのだ。
おまけに彼はフォルニート大公の娘婿であることを恐縮はしても絶対に鼻にかけたりはしなかったので、最初のほうこそ妬みや嫉みを受けたが、時間が経過するにしたがって、彼はしっかりと騎士団の中で自身の居場所を確保した。
ナデージュの妊娠が発覚した頃は、自分の娘を皇帝に嫁がせたいという野心を粉々に打ち砕かれたミリアムは、ベルナールはむしろ自分の娘ナデージュの被害者なのだと頭では分かりつつも、彼に対するミリアムの心情はやはり複雑なものだった。
だが、時間が経つにつれて、ミリアムは違った視点から物事を考えるようになった。
ミリアムが望んでいたとおりナデージュと皇帝アルフォンス四世の結婚にこぎつけたとしても、今回のような常識破りをさらりとやってのけるような娘であるので、皇帝の怒りを買うという結果になっていたかもしれない。
あの豹のようなナデージュに首輪をつけてくれたのがベルナールなのではないだろうか。
また、ナデージュがフォルニートに留まっているからこそ、自分はかわいくてかわいくて、とにかくかわいくて仕方ない二人の孫グレン、セシールと頻繁に会うことができる。ナデージュが皇帝に嫁いでいたら、ミリアムはこの幸せを味わうことができなかった。妻メガーヌもそうだろう。
自分の野心がうまく実を結ばなかった失望を埋めるために、ミリアムは必死にそう思い込もうとしたのかもしれない。
だが、当初の気持ちがどうであれ、今のミリアムは心の底から、これでよかったのかもしれんな、と思う。
時間が経って初めて分かることもあるのだなぁ。
そんな気持ちをしみじみとかみしめつつ、ミリアムはフォルニート大公としての責務を全うすることで生じる精神的疲労を、かわいい盛りの二人の孫に癒してもらうのだった。