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食堂には大公夫妻の四人の子供たちとベルナールが残された。
アリーヌと二人の兄たちがどうしたものかと探るように互いを見やっている間に、ナデージュがベルナールに
「ベルナール、あなた、朝食はまだでしょう? 座って食べなさい。父と母の席が空いているから、好きなほうにお座りなさいな。食事も二人ぶんあまることだし、ちょうどいいわね」
まるで女王が家来に命令するような口調でナデージュがベルナールに言った。動揺のあまり食堂から出ていってしまった両親のことは全く心配していないような様子だった。
ベルナールは両手と首を小刻みに動かし、
「そんなっ!! めっそうもありませんっ!! 大公様のご家族と同じ席に着くなどと……!!」
と否定した。そんな彼が寒さにぶるぶると震えるいたいけな子猫のように見えてしまい、アリーヌはますます彼のことをかわいそうだと思った。
「あなたは私の夫になる人なのよ? だったら私たち家族と同じ席に着く資格があるわ」
ナデージュは床にひれ伏したままのベルナールを見下ろしてから、今度は三人の弟たちに目をやった。
「あなたたちも別に気にしないでしょう?」
平民のベルナールと同じ食卓を囲むというのは、普通の感性を持った貴族には抵抗があるのだが、彼らはまだ若く、常識だの慣習だのにとらわれていなかったため、特に何も考えずに姉の言葉に同意した。もし仮に気にしたとしても、この豪胆な姉相手に反対意見を言えるはずもなかったのだが。
「気にしないから、座って一緒に食べよう」
そう言ってベルナールを誘ったのはリシャールだった。
「そうだよそうだよ。姉貴とベルナールのことを聞きたいし」
うんうんとうなずきながら次男のニルスが立ち上がり、彼のほうからベルナールに手を差し出した。
当然ベルナールは躊躇して自分から手を伸ばすことはなかったのだが、ニルスが強引にベルナールの腕を引っ張り、彼を父親の席へと誘導した。
ニルスは半ば無理矢理ベルナールを椅子に座らせ、それから自分の席に戻った。その間にアリーヌはベルナールの顔を初めて真正面から見ることができた。
彼は濡れたような艶のある黒髪に青い瞳を持った男性だったが、男性というよりは少年という表現のほうがしっくりくるようなかわいらしい顔立ちをしたていた。
彼はまるで狼の群れに放り出された子羊のような心もとない様子で顔を伏せた。姉は彼が騎士だと言ったが、10代の娘のような雰囲気だった。騎士であるなんて信じられないほど体の線も細かったし、どこか頼りない感じだった。
「さぁ、食べましょう」
ナデージュはさっさとパンに手を伸ばした。それを合図にしたかのようにアリーヌたちも食べ始め、リシャールが食べようとしないベルナールに
「ほら、ベルナールも」
と声をかけた。
ベルナールは困惑しながら、許可を求めるようにナデージュに目線を向けた。
「食べなさい」
「はっ……はいっ!!」
ベルナールはびくっと震え、慌てて近くにあったパンに手を伸ばした。
それでも恐縮しきりの彼は手にしたパンを握ったままで、それを口に運ぼうとはしなかった。
「早く」
ナデージュが急かすと、ベルナールは再び体をびくっとさせ、
「はっ!! はいっ!!」
とパンを恐る恐る口に入れた。
それを見届けてから、リシャールがにやにやしながら姉に尋ねる。
「で、姉さん、どうしてベルナールなの?」
アリーヌは質問した長兄に心の中で拍手を送った。アリーヌも一番それを訊きたかったのだが、この場で一番年下なため、何となく自分で直接質問することができなかったのだ。
「だって、かわいいでしょ? いつだって小動物みたいにおどおどしちゃって、思わず食べたくなっちゃうのよね」
ナデージュはのどの奥を震わせてくくっと笑った。その瞳は獲物の姿を視界にとらえた猛禽類の目のように鋭かったから、アリーヌは自分が捕食されるわけではないのに恐怖で身がすくんでしまった。
ベルナール……。かわいそうに……。
こんな変人のお姉様に目をつけられたばっかりに……。
アリーヌはベルナールを気の毒に思ったのだが、同情の気持ちを込めて彼を見ると、彼は顔を赤らめておどおどしていた。
…………何だか、ちょっとお姉様の気持ちが分かる気がする………。
姉は『食べたくなっちゃう』と表現していたが、彼のこの自信なさげな様子を見ていると、年下で女であるアリーヌでさえも、何だか彼を守ってあげたいと思ってしまった。
「姉貴はさっき薬って言ってただろ? それって一体何の薬?」
どきどきしながらニルスがナデージュに訊いた。
それはアリーヌも気になっていた。惚れ薬だろうか。そんなものがあるなら、いつか自分が誰かを好きになったら使ってみたいとアリーヌは思った。
「しびれ薬よ」
その後ナデージュはその薬の作用や薬を盛った方法などをアリーヌたちに話して聞かせた。それはアリーヌたちには大変刺激の強い、朝食の席には到底ふさわしくない話だったのだが、ナデージュは終始にやりと不敵な笑みを浮かべて話し続けた。
話の内容もそれを語る姉の様子も艶っぽくて妖しかったから、アリーヌは手に汗を握って夢中で姉の話に聞き入った。そしてそれはリシャールとニルスも同じだった。
ベルナールはずっと顔を覆って恥ずかしそうにしていたが、アリーヌたちは彼への同情よりも好奇心のほうが勝ってしまったので、誰も姉を止めなかった。
「言っておくけれど、特にリシャールとニルス、あなたたちに好きな子ができても、この方法を使ってはいけないわよ? 犯罪だから」
ええっ!? 何!? その、自分がやったら犯罪ではない、みたいな態度は!?
お姉様/姉さん/姉貴がやっても犯罪じゃないの!? 十分犯罪だと思うけど……!!
アリーヌ、リシャール、ニルスはそれぞれ心の中で叫んだが、どうやらナデージュ本人の中ではそういった認識はないようだ。
しかし彼らの中に誰一人として姉に直接突っ込む勇気がある者はいなかった。