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一台の馬車に六人全員乗ることはできないため、玄関の外には二台の馬車が待機していた。
六人は二台の馬車に分乗することになった。男女別に別れるのが一番自然だったので、先行する馬車にはラザールたちが、その後を追いかける二台目の馬車には女性たちがそれぞれ乗ることになった。
女性たち三人が乗り込んだ馬車ではいつもと変わらずシルヴィとアリーヌがきゃっきゃっとおしゃべりしていた。話題はこれから行く四季の果実亭のことだったのだが、イヴェットは妹たちの会話を聞いているふうを装いながらも、実際には彼女たちの話は全く頭に入ってこなかった。
彼女の意識を独占していたのはもちろんスヴェンだ。あの美しい人が自分を見て、彼の言葉どおり自分のことを『きれいだ』と思ってくれたなんて、イヴェットには信じられらなかった。それなのに心は彼の言葉にすがりつきたいばかりで、彼の声がイヴェットの耳の奥でこだました。
馬車が四季の果実亭へと向かっている間も、到着して停車してからも、イヴェットは終始ふわふわしてしまった。
四季の果実亭が入っている高級宿の前の通りに駐車した馬車から男性三人はさっと降り、彼らの婚約者たちが乗る後続の馬車へと歩み寄った。言うまでもなく、自分の婚約者が馬車から降りる際に手助けするためである。
一番最後に箱馬車に乗り込んだイヴェットが馬車の扉に一番近い位置にいたので、彼女が最初に降りなければならなかった。
スヴェンに助けられながら馬車から降りたイヴェットは、目の前にそびえる建物を見上げた。数日前、スヴェンに連れてきてもらい、二人で一緒に過ごした高級宿だ。
その時のことがあれこれ思い出されて、イヴェットは恥ずかしさや喜びでどきどきした。
スヴェンはイヴェットの手を強めの力で引いた。二人の友人やその婚約者たちを待つことなく、彼はさっさと四季の果実亭の店内に入った。
数日前にはこの店の料理やお菓子は味わったものの、この店には足を踏み入れていないイヴェットは、店のあちこちに目を走らせた。
床には木が張られており、石の床とは違った温かみがあった。店の壁や天井、テーブルや椅子は全て白だったので、実際よりも広く見えた。
金具でしっかりと固定された年季の入った小さな鍋や木製の調理用具、野草や卵を産む鶏などを描いた絵、麦わら帽子や果物を収穫するための小さな網かごなどが壁全体を覆っていた。
田舎の素朴な農民の家を再現したかのような飾りつけだったのだが、それがこの店の主な客であるローゲに住む裕福な市民や貴族にはかえって目新しく、そしてどこかかわいらしいものに映ったのだった。
イヴェットに続いて店に入ったアリーヌは、店の内装を見て興奮した。
「お店の飾りつけが本当にかわいいわっ!!」
きゃあっと声を上げたアリーヌの横で、
「本当ですね」
とイヴェットがしみじみと呟いて同意した。
シルヴィは姉たちほどではなかったが、それでも
「へぇ~、いい雰囲気の店ね」
と店の飾りつけを褒めた。
店の内装を一通り見やると、アリーヌはまるでスヴェンからイヴェットを奪うように(アリーヌには全くそのような意図はなかったのだが)イヴェットの手を引き、シルヴィにも声をかけ、三人で店の入り口からその先へと進んだ。
三人の目は今度は目の前にある大きなテーブルの上に展示されているこの店の料理に釘づけになった。いくつも並ぶかごの中にはいろいろな形のパンやパイが入っている。透明なガラスの半球の蓋越しに見える大きな皿の上にきれいに並べられた菓子類も光の加減できらきらと輝いて見えた。
三人は身を屈めて目の前に並ぶ品々を一つ一つ丁寧に眺めた。
「どれもおいしそうね!」
「そうですね」
「アリーヌと姉上はどれにするの?」
「決められないわっ!!」
ラザールたちは女性三人がはしゃぐさまを彼女たちから数歩後方に下がったところで見ていた。彼らは女性たちとは違って内装や食べ物に気分が上がるということはなかったが、楽しそうにしている自分の婚約者の姿を見て、この店に来てよかったとそれぞれが心の中で思った。
「ねぇ、ニコラスはどれにするの?」
振り返ったシルヴィは返事を催促するようにニコラスに駆け寄り、彼の腕をつかんだ。それからシルヴィはニコラスの体を食べ物が並ぶテーブルの方向へぐいっと引き寄せた。
「何でもいいよ。俺のぶんもお前が選んでくれ」
「ええっ!? いいの!?」
「ああ」
シルヴィとニコラスがそんなことを話している横で、アリーヌがラザールを手招きした。
「ラザールも見て見て~! 本当にどれもおいしそうなんだから!!」
誘われたラザールは素直にアリーヌのほうへと歩き始める。
自分たちの婚約者を自然な感じで呼んだシルヴィ、アリーヌとは違い、イヴェットは自分からスヴェンを呼ぶことはできなかった。
私もシルヴィやアリーヌお義姉様みたいにできたらいいのに……。
自分自身に失望しながら思わずスヴェンのほうを見ると彼と目が合ってしまい、イヴェットは反射的に顔をうつむかせてしまった。
ああっ……! 私ったら、何てかわいげのない態度を取ってしまったのかしら……!?
イヴェットは自分を情けなく思った。自分の態度にスヴェンが気を悪くしたのではないかと恐れ、彼女は冷や汗をかいた。
「イヴェット、どれにするんだ?」
スヴェンは彼女のところまでやって来て、イヴェットにそう訊いた。
肩を抱き寄せられ、イヴェットは顔を上げる。
スヴェンはきっとイヴェットの彼を避けてしまったような態度を見ただろうに、何事もなかったように接してくれているから、安堵と感謝の気持ちでイヴェットの胸がいっぱいになってしまった。
「どれもおいしそうで、なかなか決めることができません」
イヴェットは勇気を出して、
「スヴェン様は?」
と訊き返した。こんな普通の会話は本来なら勇気を出すようなことではないのだが、イヴェットにとってはそうではなかった。心臓がばくばくと音を立て、それが彼女の体中に響いた。
「俺は何でもいい。先に席に着こう」
こんなたあいのない会話でさえ、イヴェットには何だか夢のようだった。
スヴェンはイヴェットの肩を抱いたまま、近くに控えていた女給を呼び、席の用意を頼んだ。
「ラザール、ニコラス、行くぞ」
スヴェンは二人の親友にそう声をかけてから、店の奥へと歩き出した女給の後に続いた。イヴェットも足を前に踏み出した。
女給が案内する席にたどりつくまでに、イヴェットは他の客からの視線を感じた。
それが自分ではなく隣を歩いているスヴェンに注がれているものだということはイヴェットにも十分分かっていた。スヴェンの容姿は人目を引くし、自分が客だったとしても思わず目を奪われてしまうだろう。
だが、その横に立つのが自分なので、イヴェットは萎縮してしまった。背中が丸まらないように気をつけながらも、それでも自信のなさによりどうしても目線が下がってしまう。
だから女給が導いた店の一角の大きなテーブルと人数分の椅子がある席にたどりついた時、イヴェットはほっとした。
六人はお互いのパートナーと隣り合って座り、円形のテーブルを囲んだ。女給がテーブルの上に置いた飲み物のメニューを全員で覗き込んでいると、一人の女性が彼らのテーブルに近付いてきた。
「アリーヌ! アリーヌじゃない!」
名前を呼ばれたアリーヌはメニューから声のするほうへと視線を移動させた。
げっ!! とアリーヌは心の中で大公女としてはふさわしくない声を上げた。彼女の苦手な友人がそこにいたからだった。
とはいえ、そこはやはり大公女。アリーヌは心の声を顔には一切出さず、
「ルミア! お久しぶりね」
と声をかけてきた友人ににこやかに笑いかけた。
実はアリーヌはこの友人ルミアが大嫌いだ。ルミアはビュスコー侯爵家の令嬢なのだが、ローゲ育ちの彼女は遠回しな嫌味で何かとフォルニート育ちのアリーヌを田舎者だと馬鹿にしてくる。アリーヌもやられっぱなしは性に合わないので何とか応戦しているのだが、アリーヌは彼女ほどひねくれていないため、悔しいことに彼女のほうが嫌味や皮肉の引き出しが豊富なのだ。
ちなみに、アリーヌにこの四季の果実亭のことを教えたのも、このルミアである、実際にはルミアはアリーヌにこの店のことを教えたのではなく、この店に行ったことをアリーヌに自慢したのだが。
「まさかこんなところであなたに会えるなんて! ローゲに来るなら教えてくれればいいのに」
「ローゲに来るのは突然決まったものだから……」
「そう。今日は何だかとてもおめかしをしているのね」
「ええ、この後歌劇を観にいくのよ」
「まぁ、素敵ね」
ここまでは淀みなく会話が進んでいたのだが、ルミアは一呼吸置いた。
「それより、ご一緒の皆様は、あなたのお友達?」
ルミアがアリーヌの同席者をちらちらと盗み見た。
「ナルフィ家のイヴェットとシルヴィはあなたも知っているでしょう?」
「イヴェット大公女はお会いしたことがあるわ」
ルミアがイヴェットに微笑みかけたので、イヴェットはすっと立ち上がってその場でお辞儀をした。
確かにイヴェットはルミアと顔を合わせたことがあった。けれど挨拶を交わした程度で特に親しくはない。
「ご無沙汰しております」
「こちらこそ」
ルミアもイヴェットに対し、丁寧にひざを折った。
「ご病気だったと伺いましたが、回復されたのですね」
「……はい」
ルミアにそう言われ、イヴェットはぎくっとした。
公には病気になったことになっているが、それは一年前、イヴェットとスヴェンの婚約披露パーティーを中止にするための口実だった。
そのことを知っているラザールも、元凶のスヴェンも、とたんに居心地が悪くなった。
「心からお喜び申し上げますわ」
「ありがとうございます」
頭を下げてから、イヴェットは自分の椅子に腰を下ろした。
するとすぐに隣に座っていたスヴェンにイヴェットは手を取られた。彼女は思わずスヴェンのほうを見たのだが、彼は複雑そうな表情でイヴェットを見つめていた。
スヴェンの青い瞳には自分への心配や謝罪の気持ちが浮かんでいた。そんな気がイヴェットにはした。
彼女の直感は当たっていた。スヴェンはイヴェットを傷つけた過去の自分の軽率さを改めて反省し、心の中で彼女に詫びながら、彼女の手を握る自分の手に力を込めた。
言葉にはしなかったが、大丈夫です、という気持ちを込めて、イヴェットもスヴェンの手を握り返し、同時に彼に微笑みかけた。
スヴェンは安堵しかけたが、自戒を込めて一瞬ゆるみかけた気を引き締めた。
イヴェットは愚行を犯したスヴェンさえも許し、包み込む強さや優しさを持っている。だからスヴェンは気を抜くとすぐに彼女に甘えたくなってしまう。そもそも自分があんな馬鹿な行いをしてしまったこと自体を忘れてしまいたいし、できれば自分が彼女を裏切った事実などなかったのだと信じたいし、自分の罪は許されたと思いたいからだ。
しかし、自分は一年前に深く彼女を傷つけてしまったことを一生忘れてはならない。絶対に絶対に忘れてはならない。
そして、彼女の心の広さに甘えてはいけないのだ。
この二つが、一生をかけてスヴェンが貫かなければならない彼女への贖罪なのだ。
スヴェンは彼女と繋いでいないもう一方の手を動かし、両手でイヴェットの手を包み込んだ。
それに応えるようにイヴェットももう片方の手をスヴェンの手に重ねた。
二人はテーブルの下で固く手と手を握り合ったまま見つめ合った。目をそらしたくなるような過去があったからこそ、二人の胸中にはいろいろな感情が乱立していた。けれどもだからこそ、相手に触れる手に自然と力がこもったし、相手に向ける目に熱が宿った。
ところが、事情を知らないアリーヌやルミアにしてみれば、イヴェットとスヴェンが熱烈に見つめ合っているようにしか見えなかった。
スヴェン王子ったら、一年前にイヴェットが病気になった時、きっとものすごく心配なさったのでしょうね。
そりゃそうよね、婚約披露パーティーを中止にしなければならなかったほどの病状だったのだろうし。
アリーヌは一年前に病気になってしまったイヴェットだけでなく、そんな彼女が心配でたまらなかったであろうスヴェンに対しても同情しつつ、本当に元気になってよかったわね、と心の中で二人を祝福した。




