62
イヴェットの部屋を出たアレクシアは、まず侍女にイヴェットのためにはちみつとレモン果汁をたっぷり入れたお茶を用意するよう言付け、次に執事の姿を探した。今時分は恐らくラザールや客人たちの朝食の準備が整ったかどうか確認している頃だろうと目星をつけて厨房に足を向けたところ、アレクシアの予想は見事的中した。彼女は執事に事情を説明し、医者の手配を頼んだ。
それからアレクシアは食堂へ向かった。
彼女が食堂のドアを二回叩くと、中から
「はい」
というラザールの声が聞こえてきた。
ラザールはイヴェットと同じく、アレクシアと彼女の双子の兄マテオにとっては乳兄弟であり、誠心誠意仕えている主人だ。そんな彼の声を耳にし、アレクシアはそれだけで何だかほっとした。
彼女はドアを開け、丁寧にひざを折った。
「アレクシア、おはよう」
「おはようございます」
アレクシアは深く頭を下げてから上半身をすっと元に戻した。
そうすると同時に、彼女は食堂内部にさっと目を走らせた。イヴェット以外の全員がすでにそろっていた。
その中にひときわ目を引く金髪の青年がいた。それがスヴェンであると認識すると同時に、アレクシアの胸に表現しがたい苦みともやもやが広がる。アレクシアにしてみれば、スヴェンはイヴェットにとてつもない悲しみと苦しみを与えた張本人だ。だから彼を快く思っていないし、彼に対して憎しみにも似た感情を抱いている。
この男の軽薄な行いがイヴェット様を傷つけたんだわ……!!
無意識のうちに顔をしかめかけていた自分に気づき、アレクシアは慌てて柔和な笑みを浮かべた。
いけないわ、とアレクシアは自制した。アレクシアのスヴェンに対する憤りは彼女の中でくすぶり続けているが、しかしイヴェット本人がスヴェンにもう一度だけ機会を与えると決めた以上、使用人である自分が口を挟むべきではない。
ただ、頭ではそう思っていても、やはり理性と感情とは別々の生き物だ。アレクシアは生理的にスヴェンのことを許すことができなかった。
「アレクシア、どうした? イヴェットがどうかしたのか?」
「はい。イヴェット様は体調を崩されまして、それで私がご伝言を承りました」
アレクシアはスヴェンを視界に入れないようにするためにもまっすぐにラザールを見つめ、その状態でイヴェットの言葉を伝えた。
ラザールは心配そうに眉をひそめた。
「そうか、分かった。それで、イヴェットの体調は?」
アレクシアはイヴェットに熱があること、医者の手配をしたことをラザールに報告した。
「分かった。アレクシア、イヴェットを頼む」
「はい、かしこまりました」
アレクシアがこの食堂ですべきことは全て終わった。
彼女はもう一度頭を下げてから後ずさり、食堂から退室した。その後は少しでも早くイヴェットのもとへ戻りたくて、彼女は早歩きでイヴェットの部屋を目指した。
アレクシアが下がった後、食堂にそろっていた五人は互いに顔を見合わせた。
「姉上が行けないのなら、今日の遠乗りは中止にしたほうがいいのかしら……?」
シルヴィが探るような視線を他の四人に向けた。シルヴィは楽しみにしていた遠乗りを諦めたくはなかったが、同時に姉のことも心配だった。自分たちがどうするべきか本当に分からなくて、シルヴィは他の面々の意見を聞きたかったのだ。
「そうね……。残念だけれど……」
アリーヌは六人全員で行くことができないのなら中止なり延期なりしたほうがいいと考えていた。
ところが、スヴェンが異を唱えた。
「いや、自分が体調を崩したせいで全員が行かなかったと後で知ったら、彼女はきっと気に病む。ここは予定どおり遠乗りに出かけるほうがいいだろう」
他の四人、中でもラザールとシルヴィはスヴェンの言葉に驚かされた。スヴェンがイヴェットの性格をよく理解していたからだ。
「……確かに、もし中止にしたら、姉上は気にしてしまうかも」
シルヴィがスヴェンの言葉に同意したところ、アリーヌは意見を変えた。
「そうね、イヴェットの性格を考えると、確かにそうかもね」
一同の視線はラザールに向けられた。自分に視線が集中していることに気づいたラザールは顔をしかめた。
「……何で俺のほうを見るんだ……?」
ラザールは戸惑いながら目の前に並ぶ四人の顔を順番に見やった。
「兄上が決めてよ」
「はっ!? 何で俺が……!?」
ラザールとしても決断を下すという責任を一人で背負いたくはないのだが、しかし本人としては望んでいないこういった役目を常に負わされるのが彼の宿命だった。
「そうね。ラザールが決めて」
妹と婚約者から答えを出すよう催促され、ラザールは思わず親友二人に視線を向けた。肯定なり否定なり何らかの意思表示をしてくれると期待したのだが、彼の二人の友人の瞳はどちらもシルヴィとアリーヌのように、お前が決めてくれ、と告げていた。
仕方なくラザールは腕を組んで考えた。
スヴェンが言ったとおり、イヴェットの体調を理由に今日の計画を取りやめたと後で彼女が知ったら、彼女は心苦しく思うことだろう。それははたしてイヴェットにとっていいことだろうか。
いいや、違う。
そう判断したラザールは、
「じゃあ、俺たちは予定どおり遠乗りに行くことにしよう。それでいいか?」
と各自の意思を確認した。すると全員うなずいたため、とりあえず結論が出たことでラザールは胸を撫で下ろした。
「だが、俺はここに残ることにする」
そう言ったのはスヴェンだった。
「姉上の看病をするために?」
からかうような口調でシルヴィが姉の婚約者に尋ねた。
スヴェンは悪戯を思いついた少年のような表情でふっと笑った。
「まぁ、そんなところだ」
アリーヌは心の中できゃあっと歓声を上げた。
イヴェットについていてあげるなんて、イヴェットったらスヴェン王子に大事にされてるのね!!
興奮したアリーヌとは対照的に、ラザールは思いっきり顔をしかめた。
「スヴェン、体調が悪い時くらい、イヴェットを休ませて……」
スヴェンは軽く上げた右手の掌をラザールのほうへ向け、彼の言葉を途中で遮った。
「お前が心配するようなことにはならない」
小言を制されたラザールは相変わらずしかめっ面のままだった。
「………だといいが」
全く信用していない口調でラザールはそう返し、次に諦めたように力なく首を振って肩をすくめた。




