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きっと一生縁がないもの  作者: 冗長フルスロットル
第二章 恋人たちの10月
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自分の目の前に頭が二つ並んでいたので、イヴェットは凍りついた。一つは金色の絹糸のように光り輝き、その横の頭を覆う髪は黒かった。


一年前、自分が生まれ育ったナルフィ城の中にある客用の部屋で目撃してしまい、脳裏にしっかりと焼きついてしまったその光景。


それが再びよみがえり、イヴェットは混乱と絶望の淵に叩き落された。


どうして!? どうしてなの!?


あなたは『もうあんな思いは二度とさせない』って言ったのに……!!


跪いて、『どうか俺にもう一度だけ機会を与えてくれないだろうか?』って訊いたのは、あなたなのに!!


イヴェットは頭を抱えてふるふると首を振った。


『やっぱりこうなったじゃない。だから彼を許すべきではなかったのよ。本当に馬鹿なんだから』


耳の奥で冷たい声が鳴り響き、イヴェットの胸は悲しみと後悔で埋め尽くされた。その声が自分のものだったから、彼女はますます混乱した。


『本当に、馬鹿なんだから』


自分が自分にそう言った。ところが、耳の奥で聞こえる声の主のイヴェットと、精神的に錯乱しているイヴェットは全くの別人のようだった。落ち着いているもう一人のイヴェットは、まるでこうなることが分かっていたと言わんばかりに冷静で、取り乱しているイヴェットに呆れているような口調だった。


もう一人の自分の声に、イヴェットの心は引っ張られた。


ああ……!! 本当に、何て馬鹿なのかしら……!!


私はどうしてあの方をもう一度信じてみたいなどと思ってしまったの!?


自分で納得した上で選んだ道だったのに、今のイヴェットは、彼にもう一度機会を与えることを決心したことを激しく後悔した。


「っ……」


嗚咽が込み上げたせいでひくっと息を吸ったところで目が覚めて、見慣れた天井がイヴェットの視界に入った。


今の今まで目の前にあったはずの二つの頭は影も形もなく消え去ってしまったから、イヴェットはそれが現実ではなく夢だったことを悟った。


心の一番奥底に封印しておきたい記憶がよみがえり、まるで誰かに心臓をわしづかみにされたように息苦しくて、イヴェットは全身に嫌な汗をかいていた。


ぶるりと震えながら呼吸を繰り返すと、あれは夢だったのだと冷静さを取り戻すのと比例するように、のどに強い違和感を覚えた。何かがのしかかっているようにのどが重苦しく、常に感じる鈍痛が不快だった。試しにつばを飲み込んでみたところ、今度はのどに鋭い痛みが走った。


イヴェットは左手で首を押さえ、右手で自分の体を支えてのろのろと上半身を起こした。何だかだるくて、ただ起き上がるだけなのに苦労した。体の節々が痛み、彼女の体は崩れるように再びベッドに沈み込んだ。


「アレクシア……」


イヴェットは自分によく仕えてくれる女官の名前を呼んだが、その声量はイヴェット本人が想像していたよりも小さく、しかもかすれてしまっていた。


声を出す時に再びのどにつきんとした痛みを感じたため、イヴェットはサイドテーブルの上に置いてあった陶器のベルに一生懸命手を伸ばし、何とかそれをつかみ、鳴らした。


ベルのちりんちりんというかわいらしい音に、イヴェットはぼんやりとした頭で、きれいな音……、と思った。彼女の感覚も何もかもが霞がかっているようにはっきりとしなかったが、その音だけはやけに澄んでいた。


アレクシアはすぐに来てくれた。


「おはようございます、イヴェット様。お呼びでしょうか」


アレクシアはイヴェットの寝室のドアをノックし、ゆっくりとドアを開けてから、その場で一つお辞儀をした。


「アレクシア……」


イヴェットは助けを求めるようにアレクシアに向かって手を伸ばした。


ベッドに横たわったままのイヴェットを見たアレクシアは、すぐに彼女の異変に気づいた。女官の制服のスカートのすそを持ち上げて、アレクシアはベッドに駆け寄った。


「イヴェット様、失礼いたします」


アレクシアはイヴェットが伸ばした右手を左手でつかみ、右手で彼女の額に触れた。イヴェットの両方の手ははっきりと熱を帯びていて、アレクシアは思わず


「まぁ!! 熱いですね!!」


と驚いてしまった。


額の次に頬に触れても、やはり熱かった。


「すぐにお医者様を呼びましょう」


アレクシアの提案に、イヴェットはアレクシアと繋いでいる手を強く握ってこくこくとうなずいた。


アレクシアはさっそく医者を呼びにいこうとしたのだが、イヴェットは彼女にもう一つ頼みたいことがあったので、彼女の手を離さなかった。


「アレクシア、お兄様に、私が今日は行けないことを伝えてほしいの……。あと、お詫びも……」


イヴェットも本当なら遠乗りに出かけたかったが、今の体調ではそれがかなわないということを本人が一番よく分かっていた。


「かしこまりました。用事を終えたらすぐに戻りますので、それまでこのままお休みになっていて下さいね」


アレクシアはイヴェットの右手を自らの両手でぎゅっと握り、彼女を安心させるために微笑んでみせた。


目が合うと、イヴェットは微笑を浮かべて瞳を伏せたので、アレクシアは彼女の右手をそっとベッドの上に置き、足音を立てないように気をつけながら、寝室から出ていった。


再び一人になったイヴェットは天井を見上げた。


どうしてあんな夢を見たのかしら……?


自問しながら、イヴェットには何となく答えが分かっていた。ここ数日、スヴェンと長い時間過ごしたことにより自分がどうしようもなく浮かれてしまったから、自分の中の理性の最後のひとかけらが自分自身を戒めようとしたのだろう。


ああ……、同じ目に遭うことを覚悟したつもりだったのに……。


イヴェットは夢の中の自分が狼狽することしかできなかったことを思い出した。夢の世界の自分の弱さにイヴェットはため息をついた。自分が見た夢が現実のものになったら、つまりスヴェンが再びイヴェットを裏切ったとしたら、それを目撃してしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろう。


少し……落ち着かなければ……!


イヴェットはブランケットの下で腕を動かし、自分自身をなだめるように体をかき抱いた。


この体調では兄や妹たちと一緒に遠乗りに行けないので、それは残念ではあるものの、スヴェンと会わない時間を作ることで自分を落ち着かせ、ここ数日間の自分を省みる必要があるとイヴェットは思った。昨日までの数日間、イヴェットの感情は嵐のようにあっちへ行ったりこっちへ来たりして慌しかったのだが、だからこそここで一度しっかりと立ち止まらなければならない。


体調を崩してしまったのも、そうするためにはいい機会なのだ。そう自分に言い聞かせたイヴェットは、何だか少しほっとした。


スヴェン様……。


心の中でそっと彼の名を呼び、まぶたの裏で彼の顔を思い浮かべると、イヴェットの胸がうずいた。イヴェットは彼に抱きしめてほしいと思った。


けれど、それではだめなのだ。今は彼ではなく自分と向き合わなければならないのだ、彼を信じきらない覚悟をもっと確固たるものにするためにも。そしてそれが自分の心を守ることに繋がるはずだ。


イヴェットは胸を両手で押さえつつ、恋しさや安堵が混じり合った切ないため息をそっと吐き出した。


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