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翌日もアリーヌは朝食の席に姿を現さなかった。昼食の席も同様だった。
ラザールとしては、自分が悪いことを自覚しつつも、こんなことが続くのならナルフィに戻りたい、と思った。ラザールはアリーヌに会うためにここフォルニートまでやって来たのだ。それがかなわないのなら、ここにいる意味がない。ローゲから父が戻ったのか否かは知らないが、もしまだ帰ってきていないのなら、ナルフィ城には今三人の妹たちしかいないので何かと心配だ。
本当はあと数日フォルニートに滞在する予定ではあったのだが、ラザールは昼食を食べ終わった後にフォルニート大公ミリアムにナルフィに戻ろうと思っていることを打ち明けた。
「アリーヌに合わせる顔がありません……」
力なく首を振るラザールにミリアムは申し訳なく思ってしまい、将来の婿殿の要望を受け入れるしかなかった。
「確かにあの馬鹿娘には今、冷静になる時間が必要なのかもしれんな……。ラザール、せっかく遠いところを来てくれたのに、すまなかった」
「いえ、悪いのは自分ですので……」
引き留められなかったことに安堵しながら、ラザールは荷物をまとめ、ナルフィへと戻ることにした。
馬車の中で、ラザールは往路と全く同じ思いを口にした。
「問題というのはどうして一度に起こるのだろう………?」
フォルニート城へ向かう往路では、彼の頭を占めていた問題は二つ、すなわちイヴェットとスヴェン、シルヴィとニコラスの関係だった。
ところが、復路の今では問題が一つ増えてしまった。自分とアリーヌのことだ。
まさかこれ以上問題が増えることも、まして自分自身が問題の一部になることも、ラザールは全く予想していなかったため、彼は往路と同じ姿勢で頭を抱え、ナルフィ城へ戻る道中で数えきれないほどのため息を吐き続けた。
一方、アリーヌの父ミリアムはラザールを見送るとすぐに、娘の部屋へと乗り込んだ。
ミリアムが娘にラザールが帰ってしまったことを告げると、アリーヌは心底意外そうにぽかんと口を開けた。
「えええっ!? ラザールが帰ってしまったの!? どうして!? だって、予定では、あと二、三日はフォルニートにいるはずじゃ……」
「お前がふてくされた態度を取ったからだ!! 少しは反省するがいい、この馬鹿娘!!」
間髪入れずにぶった切ってから、ミリアムは娘の部屋から去った。
一人になったアリーヌの胸に一番最初に湧いたのは怒りだった。
彼女が昨晩の夕食、そして今日の朝食と昼食に同席しなかったのは、ラザールに自分がいかに怒っているかを知ってほしかったからだ。アリーヌはラザールに反省を促したかったのだ。
アリーヌにしてみれば、立場がなかった。
アリーヌもイヴェットが病気になったせいで彼女とアンテ王国のスヴェン王子の婚約お披露目の機会が中止になったことを両親から聞いていたから、今回はさすがにラザールとは会えないかもしれないと覚悟した。
だが、彼は約束を守ってくれた。彼が予定どおりフォルニートに来てくれると手紙で知らされて以来、アリーヌは素直に喜び、彼が来る日を心待ちにしていたのだ。
それなのに、やっと二人きりになったと思ったら、ラザールは自分の目の前でうとうとと船をこぎ始めたのだ。
アリーヌは失望と怒りでわなわなと震えた。彼女のほうはラザールに会えなかった日々のことを彼にたくさん聞いてほしいと思っていたし、彼の学校生活のことについてもたくさん聞きたいと思っていたのに、まさか寝てしまうなんて、アリーヌには信じられなかった。まるで自分との時間を退屈だと言われたのと同じだった。
そのささやかな復讐として彼と顔を合わせないことを決めたアリーヌだったが、別に彼女はラザールに会いたくないわけではなかった。本音はむしろ逆だった。
ラザールに自分のところに来てほしかった。彼と会うことを拒否している自分のところに、わざわざ、あえて足を運び、そして謝ってほしかった。そうしてもらわなければ、アリーヌとしては気がすまなかった。
アリーヌはラザールが自分の期待どおりに行動してくれると信じていた。彼は穏やかで優しい人だし、アリーヌの家族もそう評価しているから、ラザールは彼の非を認めてアリーヌに謝罪してくれるだろう。そうなったら、アリーヌとしてもすぐに彼を許すつもりだった、彼女も別にラザールと喧嘩がしたいわけではなかったのだから。
ところが、彼はナルフィに帰ってしまったという。
アリーヌは裏切られたような気持ちになり、怒り狂った。父に怒られたことも納得がいかなかった。悪いのも責められるべきも自分との面会中に眠りこけた彼であるはずだ。なのに、どうして被害者の自分がこんなに悔しい気持ちにならなければならないのだろう。
彼女は口惜しくてたまらなくなって、母親の部屋へ向かった。誰かに自分の気持ちを聞いてもらわないとおかしくなりそうだった。
母の部屋へと向かう廊下を歩いている途中、アリーヌの激情が涙となってこぼれ落ち、彼女は何度も手で目尻や頬をこすった。
何とか母親の部屋にたどり着き、中に入ると、そこには姉のナデージュと彼女の子供たち(アリーヌにとっては甥と姪)のグレンとセシールもいた。ナデージュは結婚してフォルニート城下に住んでいるのだが、二人の子供を連れてしょっちゅうこの城に遊びにくる。
この姉が母とは違って情け容赦がない人なので、アリーヌは一瞬嫌な予感がした。
けれど、泣きたいのを必死にこらえてここまで来たアリーヌは限界だった。
「おっ……お母様ぁっ!!」
アリーヌは母に泣きついた。
今の今まで二人の孫と楽しく遊んでいたメガーヌは面食らったが、それまで抱いていた6歳の孫娘をナデージュに預けると、メガーヌは末娘の頭を撫でた。
「アリーヌ、一体どうしたというの?」
そう訊いてくれる母の優しさが嬉しくて、本当は自分の身に起きた不幸な出来事を話したかったアリーヌは、ますます泣いてしまった。
そんなアリーヌに冷ややかな声で
「あんた……。セシールだってそんなふうに泣いたりしないわよ? 恥ずかしくないの?」
と問いかけたのは、ナデージュだった。
6歳の姪と比べられたアリーヌは姉を睨みつけてやろうとしたが、涙で視界がにじんで成功しなかった。
いいじゃない!! いくつになったって、悲しい時は泣いたっていいでしょ!?
姉にそう反論してやりたかったが、こちらも嗚咽に邪魔をされてうまくいかなかった。
ナデージュはふ――――――っと長い息を吐き出した。その音がアリーヌにとってはわざとらしく聞こえ、癪に障った。
「あんたのそんな姿、情けなさすぎて子供の教育に悪影響だわ。ちょっとこっちにいらっしゃい」
ナデージュは有害認定した妹の肩をがっしりとつかみ、そのまま引きずるようにアリーヌの体を押した。
「えっ……!? ちょっ……」
アリーヌは呆気にとられながらも抵抗しようとしたが、これまたうまくいかなかった。
「お母様、子供たちをお願いね」
それだけ言って、ナデージュは迷いのない動きでアリーヌと一緒に母の部屋を出た。