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シルヴィが瓶をかごの中に戻している間に、今度はスヴェンがさっとわきに抱えていたブリキ缶をテーブルの上に置いた。
ラザールに口を開く暇を与えないよう、すかさずアリーヌが
「これは何ですの?」
とスヴェンに尋ねた。
「今日イヴェットと行った店で買ったものです」
スヴェンはブリキ缶をアリーヌの方向へと押しやった。
アリーヌとシルヴィが好奇に満ちたまなざしでブリキ缶を覗き込んだ。蓋が開いてしまわないように缶にはリボンが巻きつけられており、リボンが十字に交差するところに『四季の果実亭』という刻印が入った付け札があった。
アリーヌはその付け札をつまんだ。
「四季の果実亭……って、まさかあの四季の果実亭!?」
アリーヌは興奮のあまり、我知らず大きな声を上げてしまった。
「ええっ!? アリーヌが行きたいって言っていたお店?」
「そう! そうよ!!」
盛り上がるアリーヌとシルヴィを見ながら、やっぱりお義姉様がおっしゃっていたお店だったのね、とイヴェットは心の中で呟いた。
「イヴェット、四季の果実亭に行ったの!? どうだった?」
アリーヌは目を輝かせてイヴェットに尋ねた。
「えっ……!? え、ええ、どれもとてもおいしかったです」
間髪入れずアリーヌは次の質問をイヴェットにぶつける。
「お店の雰囲気はどうだったの? 内装もすごくかわいいって評判だけれど」
「えっ!? な……内装ですか……?」
イヴェットは何と答えたものかうろたえた。彼女は宿の部屋に運ばれた四季の果実亭のお菓子は食べたけれど、店自体には一歩も足を踏み入れていない。店の雰囲気や装飾など、分かるはずもない。
けれどそんなことを馬鹿正直に話すべきではないということを当然ながら理解していたから、頭が真っ白になったイヴェットは言葉に詰まった。
するとスヴェンが助け舟を出した。
「味はよかったし、そういえば内装も凝っていたな。そうだろう? イヴェット」
「はっ、はいっ!」
慌てふためいてしまった自分とは逆に、スヴェンは口調も態度も実に堂々としていた。
イヴェットはスヴェンの演技力に感心しながらも、同時に何だかもやもやした。
自分は嘘をつくのが下手なのを自覚しているから彼の自然な演技が羨ましくもあり、彼に嘘をつかれる立場になったら絶対に見破れないだろうと想像すると少し悔しいような気もした。
「明日は乗馬に行くから、明後日にでも皆で行くのはどうだ?」
スヴェンはニコラスとラザールに提案したが、答えたのはシルヴィとアリーヌだった。
「行きたいっ!!」
「素敵っ!!」
二人が即答したため、
「では、そうしよう」
とスヴェンは話をまとめた。
「スヴェン王子、中を見せていただいてもいいですか?」
アリーヌが興奮を抑えきれない様子でスヴェンに許可を求めた。
「どうぞ」
スヴェンが首を縦に振ると、アリーヌはさっそくリボンの結び目をほどき、わくわくしながら缶の蓋を開けた。
中にはいろいろな種類のクッキーがぎっしりと隙間なく敷き詰められていて、アリーヌは思わず
「わぁっ!」
と子供のような歓声を上げてしまった。
シルヴィもアリーヌと一緒になって缶の中身を覗き込み、
「おいしそうっ!!」
と目を輝かせた。
「スヴェン王子、いただいてもいいかしら?」
シルヴィに訊かれたスヴェンは、
「ああ」
と答えた。
アリーヌはまだ十分に打ち解けていないスヴェン相手に自身で訊くことは何となくはばかられたから、シルヴィが彼に訊いてくれたことをありがたく思った。
「姉上~、お茶をお願い」
シルヴィは祈るように手を組み、わざと首を傾げて姉にお茶を淹れてくれるように頼んだ。
「ええ、分かったわ」
イヴェットは暖炉のマントルピースの上に置いてあったベルで侍女を呼び、侍女が来るのを待つ間、兄に
「お兄様、お兄様たちもお茶にしますか? それとも何か別のもののほうがいいでしょうか?」
と尋ねた。
「お茶……でいいよな?」
ラザールがニコラスとスヴェンにさっと目を走らせたところ、二人ともうなずいた。
イヴェットもそれを見ていたので、現れた侍女にお茶の用意を言付けた。
「お茶を待っていられないから、いっただっきま~す! ほら、アリーヌも」
シルヴィはアリーヌを共犯者にし、アリーヌにクッキーを渡しながら、もう一方の手で自分の口にクッキーを入れた。
受け取ったはいいものの、シルヴィよりは周りの目や礼儀作法を気にするアリーヌは、お茶を待ったほうがいいのかどうか迷った。
テーブルを挟んで向かいに座っていたニコラスはアリーヌの躊躇を見破り、彼女が食べやすい雰囲気を作るために自らもブリキ缶へと手を伸ばし、
「ラザールも食べろよ」
とラザールに声をかけた。
「ああ」
何となくラザールがクッキーを口に入れるまで待ってから、アリーヌもようやくクッキーを口に運んだ。
その頃には
「おいしいっ!」
と感想をもらしたシルヴィがすでに二枚目のクッキーをつまんでいた。
スヴェンは甘いものがものすごく好きなわけでもないし、四季の果実亭の菓子を昼間も食べたので、彼はクッキーに手を伸ばさなかった。
イヴェットは茶器を運んできた侍女と二人で全員ぶんのお茶を用意した。
その間に、残りの四人はブリキ缶を取り囲み、軽快にクッキーを食べ進めた。
侍女がお茶を運び、その作業を終えたため退室し、その後でイヴェットが元の場所に戻ると、アリーヌがイヴェットに質問を投げかける。
「イヴェット、四季の果実亭の他は、スヴェン王子とどこに行ったの?」
アリーヌはまさかイヴェットとスヴェンが四季の果実亭が入っている宿の一室にいたなんて考えもしなかったので、単なる好奇心からそう訊いたのだ。
「えっ!? そっ、それは、……その……」
面食らったイヴェットに、アリーヌはきょとんとした。
「まさかずっと四季の果実亭一カ所にいたわけじゃないでしょ?」
「………………………………」
イヴェットは必死に不自然に思われない答えを探したが、結果的にはただ沈黙の時間が流れただけだった。
「姉上、怪しいっ」
「本当ね! イヴェット、白状なさい~」
シルヴィとアリーヌがきゃっきゃっとイヴェットをからかい、まさか答えることができないような場所に行ったんじゃないだろうな!? とラザールは額に青筋を立てた。
だが、再び澄まし顔のスヴェンがイヴェットの窮地を救った。
「オリヴィール三世公園や店の近辺を散歩したんだ」
しれっと言うスヴェンに、真実を知っているイヴェットの罪悪感がうずく。
ところが、ティティス帝国の貴族社会における最大の禁忌、すなわち結婚前の男女が外部と遮断された空間で二人きりで過ごすという大罪を犯してしまったイヴェットは、それをこの場で自分から暴露する勇気もなかったため、口をつぐむことしかできなかった。
「そうなのか? イヴェット」
兄のきらりと鋭く光る目がまっすぐにイヴェットに向けられた。
ハティ教の聖書に最初の項目で書かれているのが『嘘をつくべからず』なのだと知っているのにもかかわらず嘘を重ねなければならないイヴェットは、良心の呵責に押し潰されそうになりながらも、気づくと
「……………はい」
と答えてしまっていて、心の中で神と兄に対して謝った。
「…………………」
ラザールは腕を組んでイヴェットとスヴェンを見つめた。正直なところ、ラザールは二人の言葉を完全に信じることはできなかった。スヴェンの性格もよく知っているし、イヴェットは明らかに挙動不審だったからだ。
しかし彼らの言葉が嘘であると証明する証拠があるわけでもないし、兄としては清純で信心深い妹が変わってしまったと認めることに抵抗もあったので、当人たちがこう言っている以上、ラザールはそれ以上追及するのを諦めた。
「とにかく! シルヴィ、イヴェットも、今後は婚約者相手でも二人きりになるのはだめだ! 分かったな!?」
ラザールの小言に、イヴェットは素直に
「はい」
とうなずいたが、シルヴィは煩わしそうにそっぽを向いた。
「んもう、兄上ったら父上よりもガミガミうるさいわねっ!」
「俺はお前たちのためを思って言ってるんだ!」
「余計なお世話よ~~~だっ!」
ナルフィ家の長男として、また、次期家長として、ラザールは今まで妹たちに対しては意識的に胸を張っていた。一方で、親友、しかも異国の王族に対して妹たちに接する時のように高圧的な物言いをすることはさすがにできないので、ラザールはニコラスとスヴェン相手には下手に出るしかなかった。
「ニコラス、スヴェンも、本当に頼むよ……。俺は妹たちが社会からつまはじきにされるのを見たくないんだ……」
二人の友人も二人の妹もラザールがこんなふうに口を出すことをきっとうっとうしがるだろう。それを分かっていながらも、それでも妹たちのために、ラザールは兄として言わざるを得なかった。そして、彼の妹たちを思う気持ちは間違いなく純粋なものだった。
だが、いかにそれが純粋であろうとも、善意は時には相手にはそう受け取ってはもらえない。それどころか、相手にとっては迷惑になってしまうことさえある。
シルヴィにとってはラザールの善意は完全なる迷惑らしい。
「あら、私は別に構わないわ。私をつまはじきにするような社会なんて、こっちから願い下げよ!」
両腕と両足を組み、胸を大きく張ってどかっとソファの背もたれに背中を預けたシルヴィの宣言に、ニコラスは苦笑し、アリーヌは拍手を送った。
「シルヴィ、かっこいい~!」
アリーヌが褒めた途端、シルヴィはえへっと笑った。
「アリーヌ、シルヴィを甘やかさないでくれ。シルヴィはすぐに調子に乗るから」
ラザールにたしなめられてしまったので、アリーヌは気まずくなり、それをごまかすためにぱちぱちと瞬きした。