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言うまでもなく、食堂で先にそろったのは、ラザールたち男三人だった。
高級赤ワインが入ったグラスを傾けつつ、ラザールたちは彼らの婚約者が来るのを待った。
「ラザール、医者の見立てはどうだったんだ?」
つまみのフォルニート大公国産チーズとワインを交互に楽しみながら、ニコラスがラザールに問うた。
「傷ももう塞がったし、普通どおり生活していいという許可も下りたよ」
ラザールの返事に、スヴェンがその秀麗な顔をふっとゆるませた。
「よかったな」
「ああ。特に試験中は、君たちにも迷惑をかけたな」
「気にするな」
とニコラスが言い、スヴェンは無言だったがニコラスに同調するように首肯した。
ラザールが怪我をしたおかげで、という表現は適切ではないのかもしれないが、しかしスヴェンにとってはやはり、そのおかげでイヴェットに再会することができたわけだし、怪我を負ったラザールの世話を買って出たからこそ彼の自分に対する態度も軟化し、その結果イヴェットに謝罪することができた。
ラザールの怪我を気の毒だとは思いながらも、スヴェンは彼の運の悪さに感謝せずにはいられなかった。
「ということは、シルヴィが遠乗りに行きたがるんじゃないか?」
とニコラスが言ったから、妹シルヴィが剣の練習に精を出すことにも乗馬をすることにも賛成できないラザールは顔をしかめた。
「……そうだろうな」
だが、話の流れから約束してしまった以上、ラザールにはそれを破るつもりはなかった。
三人はどこに行くか検討し始めた。いくつか候補地を挙げたが、ラザールが怪我から回復したばかりであること、そして自力で馬に乗ることができないアリーヌとイヴェットがラザールとスヴェンに同乗することなどを考慮し、この屋敷から近いローゲ郊外に行くのが一番いいと結論づけた。
ちょうどそこにシルヴィがやって来て、ニコラスが男三人で導き出した案をシルヴィに話した。
シルヴィは乗馬ができれば満足であり、場所にこだわりはなかったので、二つ返事でうなずいた。
「楽しみだわ!」
声を弾ませたシルヴィに、ラザールは一言付け加えるのも忘れなかった。
「………俺は本当はあんまり気乗りがしないんだけどな、お前が馬に乗るのは」
ティティス帝国の貴族社会においては、乗馬をたしなむ女性はほんの一握りだ。そして彼女たちはもれなく『じゃじゃ馬』と呼ばれ、からかわれたり嘲笑されたりする。
まぁ、シルヴィは本当にじゃじゃ馬娘だから、仕方ないか……。
半分諦めながら、ラザールははあっとため息をついた。
しかしそんな妹をかばったのは、他の誰でもない、彼女の婚約者であり自分の親友でもあるニコラスだった。
「いいじゃないか、別に。何事もできないよりはできたほうが」
「そうよそうよ! ニコラス、この頭の固い兄上にもっと言ってやって!」
はやし立てたシルヴィに、ニコラスは苦笑した。
「お前も、一応ラザールの立場や意見を理解してやれよ」
ニコラスとしては兄として妹を心配するラザールの気持ちも理解できるため、今度はシルヴィに苦言を呈した。
シルヴィはむっとしてきりっと眉尻を上げた。
「ちょっと、ニコラス! あなた、私と兄上のどっちの味方なの!?」
「両方」
「そんな中途半端なの、卑怯だわ」
「シルヴィ、俺の立場も理解してくれ。俺は義理の兄上殿を敵に回したくはないんだ」
芝居がかったしぐさでニコラスは肩をすくめた。
「何を盛り上がっているの?」
開け放しておいた食堂のドアから中に入ってきたのはアリーヌだった。
「アリーヌ!」
シルヴィはニコラスに詰め寄っていたことも忘れ、座っていた椅子から立ち上がった。
「明日遠乗りに行こうって皆で話していたの! 楽しみだわ! そう思わない?」
アリーヌはシルヴィの明るく弾む声に耳を傾けながら、食堂の入り口から自分の席へと移動した。
「……………楽しみだけれど」
アリーヌが座るのを待って、シルヴィも再び自分の席に腰を下ろした。
「アリーヌ? もしかして、乗馬が嫌いなの?」
アリーヌはどこか困ったような顔をしていたから、アリーヌは本当は行きたくないのかしら……? とシルヴィは不安になった。
するとアリーヌからは思いもよらない答えが返ってきた。
「分からないの、そもそも馬に乗ったことがないから」
「ええっ!? そうなの!?」
シルヴィは驚きのあまりのけ反った。
しかしティティスの貴族令嬢にとって、アリーヌのように乗馬の経験がないというのは割と普通のことなのだ。女性の乗馬は一般的ではないし、移動の際には馬ではなく馬車に乗るからだ。
「イヴェットだってそうだろう。シルヴィ、ティティスではアリーヌとかイヴェットみたいに馬に乗ったことがないのが普通なんだよ。いかに自分が例外か、よく分かったか?」
ラザールが呆れながら妹に詰め寄った。
「分かった……けど……。信じられないっ!!」
ラザールはアリーヌが本心では行きたくないのではないかと危惧し、その場合は彼女が断りやすいように、
「アリーヌ、もし嫌だったらそう言ってくれていいから」
と彼女に声をかけた。
「……そうね。だったら、私とニコラス二人で行けばいいし」
シルヴィとしても六人全員で行くことができたら楽しいと思うのだが、アリーヌが嫌がるなら無理強いはしたくなかった。
すると間髪入れずラザールが
「それはだめだ!!」
とぴしゃりとシルヴィの考えをはねのけた。
「何でよ!?」
「だーかーらー!! 何度言ったら分かるんだ!? お前はまだ嫁入り前の娘なんだぞ!? 男と二人で連れ立って遠乗りなんて絶対にだめだ!!」
スヴェンとニコラスの計略により、ラザールは今日シルヴィたち四人が終日一緒に過ごしたと信じ込んでいた。
ところが、シルヴィはそれを知らなかったし、ニコラスから特に口止めもされていなかった。
今日、すでにもう、『男と二人で連れ立って』あちこちに行ったわよ!!
シルヴィはそう反論しかけたのだが、彼女の隣に座っていたニコラスはそれを察し、さっと立ち上がった。ラザールに言葉を投げつけようとしていたシルヴィの口をニコラスは後ろから塞いだ。ラザールには四人で出かけると言ったのに実際にはスヴェン、イヴェットと別れて長時間シルヴィと二人きりだったニコラスとしては、これ以上シルヴィが何かを言って、自分とスヴェンの計画がラザールに露見するのを避けたかったのだ。
「んっん!! んんんん!!」
ニコラスの手のせいでシルヴィの言葉は意味を成さなかった。シルヴィは自分の口からニコラスの手をはぎ取ると同時に、勢いよく振り返って彼に抗議した。
「ニコラス! 息ができないじゃないの!」
「はいはい、悪かったよ」
ニコラスは少しも悪びれず口先だけで謝り、自分の席に戻ってから、今度はアリーヌに向き直った。
「アリーヌ大公女、もし乗馬に興味がないなら、無理をされる必要はありませんよ」
「いえ、無理だなんて……。でも……」
アリーヌは遠慮がちにラザールに目をやった。
「でも?」
シルヴィが続きを促した。
「ラザールに迷惑をかけてしまうなら、やめておいたほうがいい……のかしら……?」
答えを求めるように、アリーヌはラザールとシルヴィを交互に見つめた。
「迷惑ではないよ、アリーヌ。ただ、アリーヌ本人が望まないなら、俺は無理強いをしたくないってだけの話だ」
「興味はあるの」
遠慮がちに本心を打ち明けたアリーヌに、シルヴィはすかさず彼女の背中を押した。
「じゃあ行きましょうよ!! すっごく楽しいんだから!!」
アリーヌは上目遣いでラザールに
「いい?」
と確認した。
「ああ」
ラザールの返事に、アリーヌはほっとしたように
「じゃあ、行きたいわ」
とシルヴィを見つめた。
「やった!」
シルヴィは軽やかな動きで立ち上がり、その場で小躍りした。