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翌日、六人は食堂に集まって遅めの朝食を食べた後、それぞれの準備に取りかかった。ラザールはこの後診察にやって来る医者との面会に備え、特に予定のないアリーヌはイヴェットから借りた本を携えて中庭でくつろぐことにし、それ以外の四人は外出のための身支度をした。
四人は準備ができたら屋敷の玄関口に集まることになっていた。この屋敷の玄関口は吹き抜けになっていて天井が高く、床に使われている石は白なので、清々しい感じのする開放感溢れる造りになっている。そこには椅子も置かれているため、早く準備を終わらせた者はゆったりと座って他の面々を待つこともできる。
とはいえ、連れていってもらう立場でスヴェンとニコラスを長時間待たせるわけにはいかない。イヴェットはアレクシアの手を借りて素早く身支度をすませた。
スヴェンに『それなりの格好』と言われたため、イヴェットは秋らしい茶色がかった赤いドレスを選んだ。えり元やそで、すそには白いレースのフリルがあしらわれ、白い帽子のリボンにはドレスと同じ素材が使われている。持っていく小さなかばんは、ドレスと全く同じ色ではないものの、ドレスの生地よりももう少しだけ暗いくすんだ赤い色のものを選んだ。
髪をどうしようかとイヴェットは迷ったが、スヴェンの『かしこまりすぎる必要はない』という言葉に従って、きっちり結うのではなく、ハーフアップにしてもらった。その上から帽子をかぶり、あごの下でリボンを結べば準備完了だ。
イヴェットが仕度を終えて玄関口に行くと、シルヴィが椅子に座っていた。姉が来たことに気づいたシルヴィはさっと立ち上がってイヴェットに駆け寄った。
二人はお互いの姿を見て固まってしまった。イヴェットはシルヴィの、シルヴィはイヴェットの格好を見て、驚いたのだ。
「シルヴィ……、あなた、その服……」
シルヴィは貴族令嬢ではなく町娘が着るようなデザインのからし色の服を着ていた。一年半ほど前に彼女は一度髪を肩の長さまでばっさり切ってしまったのだが、その後に再び伸ばし始めた髪を後頭部の高い位置で一つに結っていた。どこからどう見ても、若さと元気が溢れる快活そうな庶民の娘だ。
シルヴィはスカートのすそをつまんでくるんと一周回った。
「これ、いいでしょ? オーレリーに頼んで譲ってもらったものなの!」
オーレリーとは、ビセンテとシルヴィの乳母ロシェルの娘だった。イヴェットにとってのアレクシアのような存在だ。
得意顔で庶民の服を自慢してから、シルヴィは眉間にしわを寄せた。
「姉上こそ、何でそんな動きにくそうな服を着ているの?」
「動きにくそう……?」
「だって、お忍びみたいな感じでって言われなかった?」
服装と同じく、会話もかみ合わないので、姉妹はそろって困惑顔で首を傾げた。
そこへニコラスとスヴェンが姿を現した。彼らは建物の中ではなく、外にいたらしい。姉妹の話し声が聞こえたのだろうか、二人は屋敷の重厚な玄関の扉を開け、かつかつという靴音を響かせて姉妹に近付いた。
「シルヴィ、準備はできたか?」
ニコラスの声に、姉妹は並んで歩くニコラスとスヴェンに目を向け、ぎょっとした。ニコラスとスヴェンが身につけていた服も、シルヴィとイヴェットのように対照的だったからだ。
ニコラスは麻でできた灰色のシャツを着て彼の髪と同じ黒のトラウザーズをはいていたのだが、スヴェンは白いシャツの上に濃紺の上着をはおっていた。
きっと傍目には、スヴェンが貴族の青年、ニコラスがその従者、そしてイヴェットは貴族令嬢、シルヴィが従者の恋人あるいは貴族令嬢の付き人に映ることだろう。
しかし実際には、ニコラスは異国の王子であり、シルヴィは大公の娘だ。彼らの格好は本来の身分に合わない。
「ニコラス、どういうこと? あなた、動きやすい服って言ってたわよね?」
「それについては馬車に乗ってから説明するよ」
ニコラスはシルヴィの質問には答えないまま、急かすように恋人の背中を軽く押した。
玄関の扉の外にはすでに馬車が待機していた。ナルフィ家所有の、屋根のない四輪馬車だ。この季節は暑すぎることも寒すぎることもないので、日中の移動には箱馬車ではなくこの屋根がない形の馬車のほうが風を感じることができる。
シルヴィがニコラスに手伝ってもらいながら危なげない足取りで馬車に乗り込み、ニコラスがその後に続いた。二人は進行方向とは逆向きの席に並んで腰を下ろし、スヴェンとイヴェットを待った。
狐につままれたような顔をしたイヴェットはスヴェンに手を引かれるまま馬車のところまで歩き、ドレスのすそを押さえながら馬車に乗り込んだ。
スヴェンがイヴェットの横に座った後で、ニコラスは振り返って御者に馬車を出すよう合図した。
馬車が走り出した途端、今までずっとうずうずしていたシルヴィが
「それで、結局今日はどこに行くの?」
とニコラスに詰め寄った。
ニコラスは一度スヴェンを見やり、男同士で目を合わせてから、再びシルヴィに視線を向けた。
「俺たちは市内を散策しよう。お前、前にローゲのあちこちに行ってみたいって言っていただろう?」
ニコラスが言うとおり、シルヴィはずっとお忍びでローゲ市内を見て回ることに憧れていた。
だからニコラスの言葉を聞き、シルヴィはぱあっと顔を明るくさせた。
「本当に!?」
「ああ」
満面の笑みを浮かべたシルヴィだったが、はっと我に返った。
「でも、『俺たちは』ってどういうこと? 四人一緒じゃないの?」
シルヴィは首を傾げて隣に座っているニコラスと、彼の向かいに座っているスヴェンを見た。二人がにやりと笑ったので、シルヴィは彼らの意図を悟った。これから自分とニコラス、姉とスヴェンで別行動をするという計画なのだろう。
男性二人の反応を目にして、イヴェットも彼らの計画を理解した。
ええっ!? そ……そんな……。
イヴェットは心の中でだらだらと冷や汗をかいた。
四人で出かけるのだとばかり思っていたから、イヴェットは油断していた。妹が一緒なら心強いと思っていた。
イヴェットとて、スヴェンと二人だけになるのが嫌なわけでは決してない。彼との二人きりの空気にまだ慣れていないだけだ。だからこそ変に緊張してしまったり、戸惑ったりしてしまう。一方のスヴェンは自分のようにおどおどしたりうろたえたりすることは全くなくて、彼と自分の対比にイヴェットはますます気後れしてしまい、自分のことを情けなく思うのだ。
それに加えて、イヴェットにはもう一つ不安要素があった。
し……心臓がもつかしら………?
彼と一緒に過ごした昨日までの二日間でさえ、イヴェットの心臓は壊れそうなくらい働いている。今日これからどこに行ってどう過ごすのかイヴェットは知らないが、自分の心臓はこれからの負荷に耐えることができるのだろうか。
すでにどきどきと早鐘を打ち始めた胸元を両手で押さえながら、イヴェットは婚約者と妹、妹の婚約者とともに馬車に揺られた。