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きっと一生縁がないもの  作者: 冗長フルスロットル
第一章 きっと一生縁がないもの
2/77

2

ラザールが一人悶々としているうちに、馬車はとうとうフォルニート城下街に入った。城に行く前に、ラザールはいつも城下街で一つ用事をすませる。大通りに面した花屋で婚約者アリーヌのために花束を買うのだ。


ラザールは恋愛において気が回るほうではない。女心の扱いなら、都の女性たちとの優美ながらも刺激的な火遊びを楽しむスヴェンや先輩のヴィクトールは言うまでもなく、ニコラスの足元にも及ばないだろう。


それでもラザールがアリーヌに会うたびに花を用意するようになったのは、妹イヴェットの一言があったからだ。


『お兄様、アリーヌお義姉様にお花を贈られてはいかがですか? アリーヌお義姉様は、きっとお喜びになると思います』


イヴェットにそう言われた時、ラザールは思いっきり顔を引きつらせた。


はっ……花!? 俺がアリーヌに花を渡すのか……!?


ラザールは花を買う自分の姿も、アリーヌに花束を渡す自分の姿も想像できなかった。


彼は女性に花を贈るなんてことは都会の女慣れした軟派な男たちがすることだと思い込んでいたので、名門貴族の出ではあるものの地方都市育ちの朴訥な自分には全く関係がないことだと思っていた。


それでもイヴェットがせっかく助言してくれたから、ラザールは意を決してフォルニート城のアリーヌを訪ねる前に城下街の通りで見つけた花屋に入った。恥ずかしさを何とかこらえつつも、その時の彼は右手・右足と左手・左足を同時に出して歩くほどに緊張していた。花屋の中に入った瞬間に、葉っぱの青くささが混じる中にもふんわりとした花のいい香りがして、ラザールはそれだけで何だか落ち着かなかった。


店のおやじの姿を見た時、ラザールの緊張はいくらか和らいだ。顔の輪郭をもじゃもじゃのひげで覆われた中年のごつい男性は自分よりもこの店に不釣合いだったから、何だか笑いを誘われたのだ。彼はまるでお花畑で戯れる熊のようだった。


「今日はどんな用件で?」


前かけをした熊のようなおやじにフォルニート訛りで尋ねられたラザールは、


「はっ……花っ……束を……」


とうわずった声で返事をした。


「花は何がいいかね?」


ラザールは店を見回した。色とりどりのいろいろな種類の花があり、どれも美しくはあったが、しかし花に関する知識を全く持ち合わせていないラザールにとってはどれも同じに見えた。


「任せるよ」


ラザールは自分で選ぶのを諦めて店のおやじに任せることにした。


「今日の花の中で一番新鮮なのはこれなんだが、これでいいかい?」


おやじは店のカウンターの一番近くにあった花を指差した。


ラザールがおやじが指差す方向を見ると、


「クチベニズイセンという花なんだ」


と彼は花の名前を教えてくれた。


花を見て、ラザールも名前の由来を悟った。真っ白な花びらの中心にぱっと目を引く黄色い皿状の副花冠があったのだが、その端っこが赤く染まっていた。確かに口紅を引いたくちびるのように見える。


かわいらしい花だったからラザールは


「ああ、これでいい」


とうなずいた。


おやじはごつごつした大きな手に似合わぬ繊細な手仕事で手早く花束を作った。


それをアリーヌに渡した時、彼女は目を驚きで大きく見開きながらも喜んでくれた様子だったから、それ以来ラザールはイヴェットの助言に従い、婚約者に会う前に花を用意するようになった。


店のおやじに親近感を抱いたラザールは、フォルニートの城下街で花を買う時にはいつも同じ店を利用した。


おやじのほうも定期的にやって来るラザールの顔を覚え、おやじが花束を用意する間に二人は世間話をするようにもなった。


雑談の延長であれこれ訊かれたため、ラザールは自分の出自や婚約者アリーヌに会うためにフォルニートに来ること、ここで買った花を彼女に贈っていることなどをおやじに打ち明けた。


おやじはどの花を贈ればいいのか分からないラザールの戸惑いを見抜き、いつも彼のほうからラザールにお勧めの花を紹介した。自分で選ぶ必要がなかったから、おやじの提案はラザールにとってもありがたかった。


アリーヌに花を贈るという行為に対する気恥ずかしさが消えたわけではなかったが、すっかり顔馴染みになった熊おやじのおかげで抵抗感もいくらか和らぎ、ラザールはアリーヌに花を贈り続けている。


ラザールがほぼ三カ月半ぶりに例の花屋に入ったところ、相変わらずのひげ面をしたおやじが彼を出迎えた。


「ああ、坊ちゃん。久しぶりだね。今日もお城のお姫様へ花を贈るのかい?」


「そうなんだ。頼むよ」


「はいよ」


熊おやじはラザールと必要最低限の会話はするが、彼をからかったり彼とアリーヌの関係を根掘り葉掘り聞き出そうとしたりすることはなかった。おやじの声は低く、口調はゆっくりとしているため、彼は熊おやじと話すと毎回不思議とほっとする。


いつもと変わらないおやじとの会話だったが、しかし今日のラザールはふいに泣きたくなった。それはここ最近彼の周囲を取り巻く状況が急に変化してしまったから、今までと何も変わらない飾り気のないおやじとの会話が余計にありがたく思えたからかもしれなかった。


おやじが花をまとめる様子を見つめつつ、ラザールはイヴェットのことを思い出した。


アリーヌに花を贈ることを勧めてくれた大切な妹。今シャルナルクにいる彼女は、どんな気持ちでいるのだろう。ちゃんと食べているだろうか。ちゃんと眠れているのだろうか。


イヴェットのことを考えると、ラザールの胸が痛んだ。


けれどラザールのそんな心情を知るよしもない熊おやじは、いつもと変わらない手つきで器用に花束を作っていく。おやじはナルフィ家の事情なんて知らないから、彼の三人の妹たちのように彼を質問攻めにはしない。そんな当然と言えば当然の事実に、ラザールはとにかくほっとした。


イヴェットのことは心配だが、離れている自分に今できることは残念ながら何もない。今はこれから会うアリーヌや彼女の家族のことを考えなければならない、とラザールは自分に言い聞かせた。


「はい、坊ちゃん。お待たせ」


完成した花束をおやじはラザールに手渡した。今日の花は、花に詳しくないラザールもさすがに知っている。ナルフィ城の庭にも咲いている、秋の花コスモスだ。


「ありがとう」


ラザールは礼を言って代金を支払い、店を出た。


いつも以上に熊おやじに癒されたラザールは、勝手に励まされたような気分になり、彼が作ってくれた花束を携えてフォルニート城へと向かった。


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