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三人はお菓子をつまみながらおしゃべりに興じた。主に話していたのはアリーヌとシルヴィで、イヴェットは微笑を浮かべて二人の弾むような会話を聞いていた。
アリーヌから見て、イヴェットもシルヴィも本当にいい子だ。ローゲ育ちの貴族令嬢たちは確かに洗練はされているが、裏で他人を批判したり、嘲笑したり、貶めたりと陰湿で意地が悪い。その点、イヴェットは他人を悪く言わないし、シルヴィは表裏がない性格なので、アリーヌとしても一緒にいてほっとするし、何より楽しい。
アリーヌとシルヴィはあれこれいろいろなことをとりとめもなく話し続けた。時にアリーヌはお腹を抱えて、シルヴィは涙を流して爆笑し、イヴェットも口元を覆いながら上品に笑いをもらした。
お茶はすっかり冷めてしまったが、そんなことなど少しも気にならないくらい、三人はおしゃべりに熱中した。
するとラザールと彼の二人の友人が執事をともなって、アリーヌたち三人がいる中庭のガゼボに現れた。ラザールたちが帰ってきたら音や気配で分かるだろうと三人は思っていたのだが、話すことに夢中で全く気づかなかった。
三人はまず立ち上がり、シルヴィが自分の席を離れてニコラスに駆け寄った。
アリーヌの横に立っていたイヴェットは執事に新しいカップやお湯を持ってくるよう言い付けていて、この姉妹の性格の違いがよく表れているわね、とアリーヌはくすっと笑った。
アリーヌは再びラザールたちに視線を戻した。彼らは全員が同じ白い長そでのシャツに黒いベストとトラウザーズを身につけていた。士官学校の制服なのだろう。
ベストと同じ真っ黒な髪をした青年にシルヴィは勢いよく抱きついた。相手の青年もまるでシルヴィがそうすることを知っていたかのように腕を広げ、自分の胸に飛び込んできたシルヴィの体をしっかりと受け止めた。
「ニコラス、いらっしゃい! 元気にしていた?」
「ああ。お前は? なんて、訊くまでもないか」
ニコラスが先ほどの自分と全く同じことを言ったので、アリーヌは思わず噴き出してしまった。
アリーヌの問いには笑って肯定したシルヴィだったが、ニコラス相手だとその返答は前回とは違っていた。
「私のことなんて、全然心配じゃないのね」
拗ねたように頬を膨らませたシルヴィに、アリーヌは驚かされた。こんな女の子らしいシルヴィの姿を過去に一度も見たことがなかったからだ。
シルヴィもちゃんと女の子なのね。
アリーヌは意外に思いながらも、仲睦まじい様子の二人を眺めながら頬をゆるませた。
ところが、彼らの次の行動にアリーヌは度肝を抜かれた。この場には自分もラザールたちもいるというのに、ニコラスはシルヴィの頬に手をやってから少しの躊躇も見せずに彼女にくちづけたのだった。
ティティス帝国ではたとえ夫婦であろうとも男女は他の人の目があるところでキスをしたりはしない。アリーヌの両親もそうである。
なっ……なっ……何てことをっ……!!
公衆の面前でこんなふうに堂々とニコラスがシルヴィにくちづけるのも、彼が異国人でありティティス人ではないからなのだろうか。
アリーヌが慌てて視線を横にずらすと、ラザールも気まずいらしく、彼はシルヴィたちとは逆方向に顔と体を向けていた。彼は険しい表情でこめかみを押さえ、肩を落としていた。
そりゃあラザールだって複雑よね……。妹のこんな姿を見せつけられたら……。
ラザールの心中を察したアリーヌは彼に同情してしまった。
アリーヌにも一人の姉と二人の兄がいるが、彼らとその配偶者がくちづけているところなんて見たくもないし、想像するだけでも嫌だ。そういったことは夫婦二人の時にやってほしいと思うし、そうであるべきだとも思う。
このようなアリーヌの反応が、身分の上下を問わず、ティティス帝国では一般的なのである。
アリーヌとラザールがその場で固まっている間に、自由に動くことができる人間がいた。スヴェンだ。アリーヌは彼と面識はないが、ローゲの社交界の寵児である彼が太陽のように輝く金髪の持ち主だということは有名な話なので、彼女の視界を横切るように移動するその頭に自然と視線が吸い寄せられてしまった。
その頭はだんだんアリーヌのほうへと近付いてきた。が、正確に言えば、彼は彼女を目指していたのではなかった。彼女の右隣に立っていたイヴェットを目指していたのだった。
スヴェンはアリーヌから少しだけ距離を置いた左横を通り過ぎていったん彼女の視界から消えた。その間に彼女の背後を横切ったスヴェンは、彼女の右横にいたイヴェットの隣に立った時に再びアリーヌの視界に入った。
「イヴェット」
イヴェットはアリーヌのようにぼんやりとスヴェンを見つめていたのだが、自分の隣までやって来た彼に名前を呼ばれてはっと我に返った。
スヴェンと和解してから、これが彼と会う初めての機会だったため、イヴェットは緊張していた。彼にどんな言葉をかけていいのかも分からなくて、イヴェットは返事をすることさえ忘れ、顔を上げることしかできなかった。
スヴェンはイヴェットに対してそれ以上何も声をかけなかった。イヴェットも何も言えないままだった。
スヴェンはゆっくりとした、しかし迷いのない動きで両手をイヴェットへと伸ばし、壊れ物を扱うようにそっとイヴェットの体を抱き寄せた。
イヴェットの体には最高潮の緊張が走り、彼女の体は小刻みに震えた。イヴェットは自分で自分の体を支えることさえ困難になり、そうしようと思ったわけではないのだがスヴェンにもたれかかってしまった。
スヴェンは左腕をイヴェットの腰に回して彼女の体を支えつつ、右手を使ってイヴェットのあごを持ち上げ、そのまま身を屈めた。
アリーヌは横目でスヴェンがそうするのを目撃したが、そこまでしか目にすることができなかった。見なくてもその先に何が起こるのか分かったし、何より恥ずかしくてそれ以上見ていられなかったから、アリーヌは慌てて前を向いた。
まっ……まさか、あのイヴェットまで……!!
嘘でしょう……!? 信じられないっ……!!
イヴェットは身持ちが固いことで有名で、夜会やパーティーで男性と踊ることはあっても、それ以外の時に彼女のほうから異性に触れることはなかったし、誰かが彼女に触れようとしてもさり気なくかわしていた。
そんなイヴェットだったから、婚約者相手とはいえども他人の目がある環境でされるがままになっている彼女がアリーヌには何だか信じられなかった。
視界の左側の端っこではシルヴィとニコラスが相変わらずくっついていて、アリーヌは自分の正面に立っていたラザールに視線と意識を集中させる他なかった。
アリーヌの視線を感じたのか、ラザールも伏せがちにしていた目を上げた。
二人の視線が絡み合うと、ラザールは気まずそうにしながらゆっくりとアリーヌのほうへ歩き出した。
アリーヌのほうも、無意識のうちに背後の熱源から距離を取りたいという気持ちが働いたのか、二、三歩前に進み出た。