ギャンブルと僕
お子様は読まないでね。
「飲む、打つ、買うは男の甲斐性」なんて言葉が時代錯誤に感じられるようになって久しい。
僕はおっさんなので、これらにそんなに忌避感は抱いていない。ちなみに最後の一つ以外は結構嗜んでいる。最後の一つもたまにはするけど。
何かヲタっぽいことばかり書いているので、たまには違うテイストで、「打つ」ことギャンブルについて、つらつら書いていこうと思う。
公営カジノの導入がよく話題になる。現在日本には様々な公営ギャンブルがあるにも関わらずにだ。
競馬、競輪、競艇、オートレース。今はネット環境が整っているので、購入するのは昔と比べれば非常に簡単になった。
また、どんなしけた街(失礼)でもパチンコ屋が一軒もないなんてことは珍しいだろう。法的にはグレーゾーンだが、立派なギャンブルだ。
これほど世間にはギャンブルが溢れているのに、なぜカジノまで作りたがるのか。
理由は簡単だ。儲かるからだ。客さえ集まればという条件はあるけれども。ギャンブルというのは、基本的に胴元が儲かるようになっているのだ。
日本で一番メジャーな公営ギャンブルである中央競馬(J○A)を例にするのが、一番分かりやすいだろう。
三連単や、WIN5のような高額配当が期待できる馬券が導入されているが、どんな高額配当が出ようがJR○は痛くも痒くもない。逆に話題になって嬉しいのではないだろうか。
なぜなら最初に売上からテラ銭を差っ引いているからだ。
あるレースの馬券の購入者が100人いて、皆100円ずつ購入して、売上が10,000円だったとする。
実際はこんなしけたレースはないが、説明を簡単にするためなのでご勘弁を。
ここから25%を○RAは無条件で持っていってしまう。残りの7,500円が客の取り分になる。
的中者が一人なら7,500円の払い戻しになり、十人なら750円になる。しかし、配当がどうだろうがJ○Aの2,500円という収入は変わらない。もちろん、馬券の売り上げが二倍になれば、テラ銭も二倍になる。
今は馬券の種類によって控除率が異なるみたいだが、平均すれば25%というのは変わらないようだ。
もちろん、レースの賞金などはここから支払われるので、25%全てが利益になる訳ではないが。
よく競馬場でおっさんが、「あの柱はおれが建てた」なんてのたまっているが、あながち間違えではない。馬券を購入した時点で、誰もが例外なくJR○に利益を供与しているのだ。僕も柱の一部くらいは貢献している。
客個人の勝ち負けなんてものは、公営ギャンブルでは主催者には関係はない。いくらびっくりするような高額配当が出ようとも、テラ銭を除いた後で客に配分しているだけだからだ。
胴元にとって、重要なのは売上なのだ。売れるほど儲かる。あんなにお金をかけてCMやらを流すのは、客を集めてもっと馬券を売りたいからに過ぎない。
逆に客が集まらないと破綻する。地方の公営ギャンブルの経営難のニュースが絶えないのは、単純に売上が悪いので、経営していけるだけのテラ銭が稼げないからである。
よほど運が良いか、「あごのとがったざわついた男」くらいの博才に恵まれていなくては、公営ギャンブルで勝つことは難しい。
「いや、競馬で勝ってるよ」という人もいるだろう。
そう、瞬間的に勝つことは難しくはない。一発デカいのを中てて二度としなければよい。
難しいのは、トータルで長期に渡って勝ち続けることだ。このハードルの高さはプロの存在の希少さで分かる。
パチンコやパチスロの収入のみで生活している人は、昔から多数存在する。最近は厳しいみたいだが。
しかし、公営ギャンブルのみを生業にしている人はどうだろうか。ましてや長期(10年以上)に渡ってとなると、滅多にいないのでは。
公営ギャンブルでの勝利を困難にするものは、主に「テラ銭」と「不確定要素の多さ」の二点だろう。
テラ銭を最初に引かれるということは、想像以上の足枷になる。なぜならマイナスからのスタートを意味するからだ。馬券を購入した時点で、皆等しく負けているのだ。これはどんな凄腕でも避けることはできない条件だ。
次に不確定要素だが、これは行為の主体が「生き物」であることに起因する。
競馬なら主役はお馬様だ。人間の思惑通りに走ってくれることの方が少ないだろう。僕も発走と同時の落馬で、馬券がレース開始直後に紙くずになんて経験をしたことがある。
競輪、競艇、オートレースは競馬に比べれば「人」の重要度は高い。だが、人間だって生き物だ。精神状態や体調によっては、その技量を十分に発揮できないこともあり得る。
これが、毎回同じ確率での抽選を繰り返す「機械」を相手にする、パチンコやパチスロとの最大の違いだろう。
僕も昔は馬券をちょこちょこ買っていたが、前述のようなことを理解したので、滅多に買わなくなってしまった。
全く関係はないが、競馬に興味を持ったきっかけは「ダビ○タ」である。
という訳で、専ら博打は機械が相手で、勝つ方法論が明確なパチンコがメインになってしまった。
小遣いくらいは稼げていたので、博打というより、お金も稼げる趣味みたいなものだ。最近はあまりに酷い調整(パチンコなら釘、パチスロなら設定)のために、足が遠ざかってしまっているが。
結論を述べれば、基本的にギャンブルで客が勝つことは難しいということになる。
商売として成り立っていることを考えれば自ずと分かることだが、客は負けることが前提なのだ。
勝つ人もいるが、それはほんの一握りに過ぎない。そして、その一握りに入ることを夢見てギャンブルに挑んでも、それが現実になることは滅多にない。お金を稼ごうと思うなら、普通に働く方が100倍簡単だ。
さて、否定的なことばかり書いてきたが、別に娯楽としてのギャンブルを否定する気はない。
馬券を購入して、ワクワクしながらレースを観ることは確かに楽しい。その興奮だけで満足できるのならば、ギャンブルと上手に付き合えるだろう。
逆を言えば、勝利を目的とするのならば、ギャンブルには手を出さない方が無難だということだ。
負けることが前提のもので、勝つことは想像以上に困難である。運にすがっても、その現実を覆すことはできない。
どうしても人は「自分だけは特別」と思いがちだが、現実は物語ではない。労力が伴わない儚い願望が実現するなんてことは、そうそうないのだから。
たまにはよかろうと訓戒めいたことを書いたが、所詮はしょうもない話にすぎない。ギャンブルに手を出すかどうかなんて、結局は自己責任なのは言うまでもない。




