王子と魔女の問答
アレクサンドル王子は常に笑んでいる。
ルサリィは再会してからの青年のことをそう思っていた。
だからその夜やってきたアレクサンドル王子も、秀麗な美貌の上にやわらかな笑みを浮かべていた。
「ルサリィ、きちんと休めたか」
はい、とルサリィは頷く。公務終わりなのだろうか。夜着ではなくきちんとした正装のままやってきたアレクサンドルは、部屋の真ん中に置かれているテーブルの前の椅子に優美に腰かけた。
「では早速だが、教えてもらおうか。私の意中の女性を籠絡するには、どうすればよいか」
促され、王子の目の前に腰を下ろしつつルサリィは狼狽える。燭台のあかりに照らされた王子のオッドアイはそんな彼女をじっとみつめていた。
「その前に、王子の意中の女性について伺いたいのですが」
「ほう」
ルサリィは絡めた自身の両の手をきつく握りしめた。王子はどこか面白そうに微笑む。
「そうだな……私よりかなり年上だ」
「とっ、年上……」
ルサリィは予想外の答えにさらに狼狽えた。20歳の王子より年上。この国での貴族女性の婚礼は18歳前後が多い。となると、まさかまさか、お相手は既婚者なのではないのだろうか。
「お、お相手は……ご、ご結婚されているのでしょうか……」
「いや」
お相手が既婚者であるならより勝手がわからない。そう思い冷や汗をかきながらのルサリィの言葉に、王子は否定の言葉を口にした。
「していない。していない、と思う。そうだろう、ルサリィ」
「え、ええ。私はしておりませんが、今はそれは関係な……」
私のことは関係ない。そう言葉を紡ごうとしたルサリィの言葉を遮ったのはアレクサンドルの真摯な声だった。
「おぬしに良い人はいないのか」
ルサリィは羞恥のあまり思わず頬を赤らめて瞳を伏せる。ルサリィにとってみればそんなひと居るはずもなく、それはつまりアレクサンドルの「相談役」として役不足であることをまざまざと痛感させる事柄であった。
「……申し訳ありません。おりません……」
魔女が婚礼をしてはいけないというわけではない。現に北の魔女には生涯を共にする相手がいる。東の魔女は血統により連なってきた魔女だ。ルサリィにそのような相手が居ないのは、つまりのところルサリィ本人のせいであるといってよかった。
ルサリィには森の精霊の血が流れている。それはまわりの人々のものとは時の流れを違え、それゆえルサリィは必要以上の人とのかかわりを拒んできたのだ。密接に長く関わりをもったのはたった二人きり。彼女を拾ってくれた前南の魔女と、目の前の皇子だけだった。
恥ずかしさのあまり顔を俯けたルサリィには王子の表情はわからなかったが、王子はわずかに詰めたような声で続けてこう問うた。
「……特別に想うものなどは、おらぬのか」
「……はい」
「今も、昔もか」
「……はい、そうでございます」
もう完全に相談役としては失格だ。ルサリィは穴があったら入りたい気分だった。随分ととうがたっているのに、ルサリィには人の子であればとうの昔に経験しているであろう感情を理解していないのだった。まさか自分の世話役だった年寄りの魔女がこんなにも物を知らなさすぎるとは思わなかったのだろう。おそるおそる見上げた先にある王子の瞳は信じられないものを見たようにかすかに見開かれていた。
「も、申し訳ございません」
ルサリィは顔を赤く染めたまま慌てて頭を下げる。自分はなんという役に立たない魔女なのだろう。あまりの申し訳なさに泣きたい気分でもあった。大切な子供の、大切な用事であったのに。
「……いや、謝ることはない」
たっぷりとした沈黙の後、やがて王子が口を開いた。それは叱責ではなく、どこか呆けたような響きが混じっていた。
そっと見上げた視線の先、王子はこめかみにあてていた右手を離しながら宝石のようなオッドアイを細める。それはこれまで見たどの笑顔より嬉しげに見えた。
「わからないのならば、これから二人で経験していけばよい。そうだろう」
「は、はい」
なんという優しい子供だろう。ルサリィは感動のあまり涙ぐみながら再び頭を下げる。
役立たずの相談役に落胆したであろうに、その一片の感情をぶつけることもなくお優しい言葉を向けてくれるだなんてと胸の奥がじんと暖かくなる。
「頭を上げよ、ルサリィ」
「は、はい」
ローブの袖で顔を拭い、あわてて頭を上げる。王子はまっすぐにルサリィを見つめていた。
「はじめの問いに戻ろう。意中の女性を籠絡するにはどうすればよいか」
ルサリィは頷く。そう、感動ばかりしている場合ではない。ルサリィには求められている事柄があるのだ。
「あの、王子とその女性とはどういう関係なのか教えて頂けないでしょうか」
「関係」
「はい、まずは、その女性について知っておかなければ……」
膝の上で拳を固めながらそういうと、王子はわずかに苦笑めいた笑みを浮かべた。
「関係か……。どうなのだろうな、少なくとも私は男としては見られていないようだ。嫌われてはいないと思うのだが」
今や国中の女性の話題をさらっているといっても過言ではないアレクサンドル王子を男性としてみていないとは不思議な女性もいるものだ。そう思いながらルサリィは慌てて身を乗り出した。
「アレク様、しかし嫌われていないのであればいくらでも籠絡されることは可能であると思います」
「そうだろうか」
「ええ、アレク様は立派な王子におなりになりました。それにとてもお優しいお方なのですから」
「……そうか」
「ええ。アレク様は小さなころからお優しい方でした。ルサリィは誰よりもそれを存じておりますよ」
ルサリィの声に熱がこもる。ルサリィはこの王子のことをよく知っているつもりだった。幼子の頃はわがまま三昧だった王子も、長じるにつれて人を思いやることのできる子供に成長していった。その一つ一つの事柄だってつぶさに覚えている。小さなわがままだってその思いやりを向けられたらなんだって許せてしまっていた。もちろん、叱るべきときは叱っていたけれども。
「優しい、か。しかし今の私はそのようなことはないと思うぞ」
過去の思い出に浸りかけていたルサリィの思考を引き戻したのはアレクサンドル王子の言葉だった。
「私はたぶん、恐ろしいことを想い人にさせようとしている。どちらに転んでも、それはあってはならないことだというのに」
王子はけぶるような長いまつげを伏せる。それは影となって白皙の頬に淡く落ちた。
意味をはかりかねて沈黙を続ける魔女に向かって皇子は言う。
「……そうだな。すまないと、先に謝っておこう」