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蟲愛でる姫君と蟲の王子  作者: たま
第一章
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再会

 馬は大地を駆け続けた。少ない休息を取りながら一昼夜。ルサリィは馬を駆る騎士の背中に必死しがみついていた。とうの昔に腕は痺れ、馬の鞍に慣れない身体は痛みを訴え続けている。それでも耐えられたのは、ひとえにいとし子のことが脳裏にあったからだった。疲労のあまりにぼうっとする合間にも浅い夢は現れる。それはどれも幼き日の皇子だったが、きまっていまにも泣き出しそうな表情をしていた。


 白亜の城が朝霧の中に現れたときにはルサリィの頭は朦朧としきっていた。騎士は馬の足を止め、そこでようやくルサリィの様子に気づいたようだった。終始仏頂面であった騎士にほとんど疲労の色はない。身体を鍛えている騎士と貧弱な少女の身体では差が出るのが当然なのだが、持ち得るものには想像すらできないのかもしれない。

 黒髪の騎士は一瞬だけそんなルサリィに驚いた様子をみせる。しかしすぐに不機嫌そうな表情に戻り、ぶっきらぼうな声を出した。


「ここからは徒歩になる。歩けるか、南の魔女」

「……大丈夫です」


 ルサリィは答え、なんとか鞍から滑り降りた。地に足が着いた瞬間、力が入らずそのままその場にへたり込む。騎士は動揺したような表情をわずかにその面にのせたが、まばたきをする間にそれはかき消えた。かの高名な四方の魔女の1人のくせにこのようなこともできないのか、そんな内心が聞こえるような気がした。

 あわてて地に手を付けてよろよろと立ち上がる。肩にかけたかばんを引き上げると、黙ったままの騎士に向け首肯して笑って見せた。


「大丈夫です」


 騎士は黙ったまま、ただ深く眉間の皺を刻み込んだ。




 12年ぶりに見る城門から見上げる王城は記憶にあるものよりも大きかった。しかし懐かしいと思う感情はほとんど湧いてこなかった。思えばルサリィがまともにこの城をここから見上げたのは、城に連れてこられた時と追い出されたとき、たった二度きりだった。



「銀騎士ヴィンセント、只今帰還した」

「はっ」



 黒髪の騎士の声が朗々と響き、門番の兵が深く頭を下げる。ルサリィは黒髪の騎士を見上げ、小さく銀騎士、とつぶやいていた。階級にわかたれた騎士団の仕組みの中でもその身分はかなり高いはずだった。

 わざわざ銀騎士のひとりを自分の元に寄越すとは、王子のお悩みはかなり深いに違いがない。ルサリィはそう思い、さらに身の引き締まる思いだった。正直、小さかった王子のころとは違い、今の王子にルサリィができることなど何もないだろう。けれども、王子が望まれることがあるのならばできうるかぎり何かを成そうとルサリィは決めていた。


 城内は静かだった。

 それもそのはず、夜は明け始めたばかりなのだ。

 ルサリィはフードを深くかぶり、いやがおうにも目立つ長い新緑色の髪を押し込んだ。しんとした城内を騎士の後ろを着いて歩く。12年前、ルサリィが居たのは城の片隅の隔離された小屋だったから、城内の記憶もあまりない。騎士の纏うマントを見逃さないように追いながら、ルサリィは心臓が高鳴っていくのを感じていた。

 騎士の歩幅に合わせて小走りで進んでいるからでも、疲労困憊だからというわけでもない。それはただ、あの皇子に、ちいさかったいとけない王子に会えると思うからだった。

 二度と会えないと思っていた愛しい子供。

 蟲の病が解け、綺麗になった子供なら存分に愛されてもらえるだろう、大切にしてもらえるだろうと自らに言い聞かせながら身を切られるような思いで城を出た。二度と会えなくても、自分が忘れられてしまっても、幸せならばそれでよいと思っていた。


 見捨てるのか。


 その時の声は今もルサリィの耳に残り続けている。それはこれまで聞いたことのないような音だった。絶望と諦めを詰め込んだ、幼い子供が出すはずのないような悲しい声音。

 だから実のところルサリィは思っていたのだ。アレクサンドル王子はもしかしたら自分のことを恨んでいるのかもしれないと。すでに嫌われてしまっているのかもしれないと。


 それがまさか私のことなどを覚えていてくださっていたばかりか、こうしてまたお会いできる機会が訪れるなんて。

 最近とみに涙もろいルサリィはフードの下で唇を噛みしめた。


 騎士は黙したまま城の中を進み、そうしてルサリィがどこをどう歩いてきたかわからなくなったころ、ようやくひとつの扉の前で足を止めた。

 扉の前には二人の騎士が立っている。黒髪の騎士が目配せすると、茶色の髪の騎士がするりと部屋の中に入っていった。残った騎士はルサリィをうろんな目で見ていたが、しかし今のルサリィにはそんなこともうどうでもよくなっていた。心臓の音が耳に痛い。緊張でそのまま気が遠くなりそうな中、やがて内側から扉は開かれた。


「お待たせしました南の魔女ルサリィ殿。どうぞ、アレクサンドル王子がお待ちです」




 ルサリィはよもすれば震えそうになる身体を動かして部屋の中に足を踏み入れた。

 部屋の中は夜明け前のせいか薄暗い。ルサリィはフードの下から目を凝らす。本来ならばすぐさま膝をつかなければならないとはわかっていたが、それでも。

 はてしてほのかに灯る橙色のランプの側、そこには窓を背にするようにひとりの青年が立っていた。

 柔らかそうな銀色の髪が薄闇の中でも光を放っているように揺れている。白皙の肌は極上のシルクよりも滑らかな線を描いており、長い睫の下の瞳は丹念に磨かれた宝石のように透きとおっていた。

 美の神の化身とも例えられる整った顔立ちは恐れすら覚えるほど美しい。しかしルサリィには見覚えのないものだった。覚えているのは目の前の青年が持つ一対の瞳だった。蟲のようなごつごつとした殻の肌に覆われていて相貌の判別などつかなかった子供の、それでも殻に覆われない右瞳の色は瑪瑙のような紅蜜色、そうしてその片方はエメラルドを青空の映る水面に溶かして固めたかのような蒼緑の色をしていた。



 生まれたばかりの彼の美しいオッドアイを見て、父王は彼に、二つの色を持つ宝玉を用いた名を賜った。


 ――アレキサンドライト。


 クレフォレン第三王子アレクサンドルはその二色の瞳でルサリィをみとめ、その美しい口元に艶然とした笑みを浮かべる。そうしてとろりとした蜜のような声を薔薇色の唇から紡ぎ出した。



「……久しいな、南の魔女ルサリィ」


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