空の約束
アレクサンドル王子はゆるりと首を振ると、言葉の真意を量りかねているルサリィを見てやわらかく微笑んだ。
「まあ、よい。それで続きは」
「は、はい」
ルサリィは頷いたが、先ほどの王子の言葉にちらりと悲しいものを感じてしまっていた。恐ろしいこととはなんなのだろう。どちらかとはどういうことなのだろう。どうして自分に謝るのだろう。
もう一度問いたかったが、王子のうつくしい微笑みは先ほどの話題はもう終わりであると暗に告げていた。
「……その、ええと。では、お相手の女性に何か贈り物をしてはいかがでしょう」
「ほう」
話題を変えるためにひねり出した案は全く冴えたものではなかったが、王子は素直に頷いた。
「はい、お相手の女性の好きなものや欲しいものを」
「好きなものや欲しいものか。……ルサリィ、おぬしはたしか甘いものが好きであったな」
突然話を振られてルサリィは口ごもる。はいとなんとか頷くと、アレクサンドル王子は嬉しそうに瞳を細めた。
「では、欲しいものは」
先ほどから話が脱線することが多い気がする。ルサリィは困惑したが、かつてひとと話すときは相手のことを知ることから始めたほうがよいですよ、とお教えしたのはルサリィ自身だった。きっと王子はそれを忠実に守っているに違いないのだろう。
「ええと……そうですね、しいていうならパアムベルドの花の花粉が大量に欲しいです」
「……なんだ、それは」
王子が不思議そうにルサリィを見やる。ルサリィは続けた。
「蟲狩りの一族が今、ベルドという蟲を慣らそうとしているのです。そのベルドという蟲はとても大きくて、こう、枕のような平らな形をしております。ちょうど人が乗りやすい形をしているのです」
「ほう」
蟲のことになるとルサリィは饒舌になる。それはルサリィのすべてが蟲を守ることにあるからだった。ルサリィだけではない。南の魔女というものは、そう育てられるのだ。
「はい。恐ろしい外見をしているのですがとてもおとなしい蟲なのです。それを蟲狩りの一族は慣らして、飛行する手段にできればと考えているのです。そして、その蟲を慣らす手段が南の森に咲くパアムベルドという花の花粉なのですが、それが希少な花なのでなかなか揃えられなくて……」
「ふむ、蟲狩りか」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、ルサリィははたと我に返った。
蟲狩り、それはルサリィ以外に森で蟲と共存する一族の通称だった。蟲狩りと呼ばれているが、蟲を狩るだけの一族ではない。あくまで一族を森の一部としており、生きていくためだけに蟲を狩る。それが蟲狩りの一族だった。
しかしそれは王国では侮蔑の一族の名でもあった。一族の祖は王国においては重犯罪者であり、死罪と同等の意味である「蟲送り」という罪を受け南の森に追放された人間だったのだ。それが懸命に生き残り、そうしてその子孫は今も森の中でほそぼそと生き続けている。
南の魔女であるルサリィにとっては森の規律さえ乱さなければシカやウサギと同じように共存する存在であるのだが、王国の王子であるアレクサンドルには面白くない話であったに違いなかった。
「も、申し訳ありません」
あわてて頭を下げると、王子は不思議そうにそのオッドアイをみはった。
「どうした、何故謝る」
「ですが、蟲狩りの一族の祖は……」
ルサリィの拙い言葉で聡い王子はその意味を察したようだった。
「王子としては面白くない話であろうが、アレクサンドルとしては興味深い話であった。蟲で空を飛べるかもしれないとは、今まで聞いたこともない」
そうして優しく微笑んでくれるので、ルサリィはあまりの感動に三度涙ぐみそうになったがなんとか耐え抜いた。
「空を飛ぶか。一度でよいから味わってみたいものだ」
端正な顔にかつての幼き頃の子供のころのような明るい表情が浮かんだ。それはまるで、空にかかった虹を初めて見た時のような、明るいものだった。
「アレク様、アレク様がお望みであれば、私がいつか必ずその蟲を連れてまいりましょうとも」
だから思わずルサリィも幼い子供とかわすかのような約束を口にした。ルサリィにとっては戯言ではなくあくまで真実の言葉だったのだが、王子は再び大人の顔になって綺麗に微笑むばかりであった。