最弱くんと、委員長。
この物語での英雄というのは、神話に出てくるような奴らのことも指しますが、主人公だったり、ヒーローだったり。そこらを指す言葉でもあります。
「委員長。小坂井せつなって知ってるよな?」
「んい?」
昼休憩。
食堂で親子丼をかき込みながら、目の前に座っている汐崎美咲に、雨夜は相談を持ちかけていた。
相談の代金は、昼食を奢ること。
それで開口一番、小坂井の名前を出したのだが。
途端に、汐崎はラーメンを食べていた手を止め、目をぱちくりさせて、メガネを外してレンズを拭き、かけ直して雨夜の顔をじっくりと見て、有り得ない。と言いたげな表情を露わにした。
「おい……なんだその顔は、僕が人の名前を出したらおかしいか?」
「いや、だって君が……ちゃんと人を見てたんだね」
「なに言ってんだよ委員長。人なんて目を開いていれば視界に入るだろ」
「……そだね」
「なんだよ、その可哀想な子を見る目は!」
一瞬、相談相手を間違えたと思ったけれど、彼女以外だったら、相談自体成り立たない気がする。
汐崎美咲。
折り目正しく規律正しい委員長。スカートの丈をちゃんと校則通り着ているのは彼女だけじゃないんだろうか。
雨夜達の通う《夕凪高校》は、言うなれば、バカ高校だ。
前の世代は頭良かったらしいけど、高校三年生の世代から《夕凪高校》の黄金世代と褒め称えられて(ない)ぐらいバカだ。
そんな、バカな学校の中で異彩を放っているのが、彼女だ。
彼女は定期テストでも《箱庭》内一斉テストでも常に上位に鎮座する学力優秀者。
ちなみに雨夜は常に赤い。
そんな彼女がなんでこの、バカ高校に来たのかは……なんとなく想像できる。
大方、希望高校の試験で、名前を書き忘れたんだろう。
案外おっちょこちょいなのだ。
今だって、ラーメンにコショウをかけているつもりなんだろうけど、七味をドバドバかけてるし。
そして、もう一つ異彩を放っているといえば、やはりその容姿か。
肩胛骨あたりまでのびた艶やかな黒髪。人に凛とした印象を与える佇まい。効果音をつけるなら凛ッ! か、キラキラ。所謂美少女と呼ばれる少女。
片や雨夜は、針金細工のような矮躯で、色素の抜けた薄い黒髪。クマのある目からは生気が感じ取れない。
効果音をつけるならぬぼー、な少年。
日向者と日陰者。一軍と三軍。出逢うことはあったとしても、こう向き合って昼食をとることなんて、まずあり得ない組み合わせだ。
「いやごめんごめん。でも、君の口から人の名前がでるなんて……。明日は槍でも降るのかな」
「その反応には僕は一体どー返せばいーんだよ……委員長。手が震えてるぞ、そこまで僕が他人の話をするのが変なのか?」
「うん。珍しい」
「……むぅ」
そうもばっさりと言われてしまうと、言い返せなかった。
話が途切れた所をねらって汐崎はラーメンをすすった。
七味がたっぷりとついた麺を、口の中にほおばった。
急いで雨夜は、コップの中の水を飲み干した。
これで、彼女の手の届く範囲に水はない。
瞬間、委員長の顔が一気に赤くなった。舌を出しながら、「みずっ、みず!!」と騒ぐけれど、コップの中には水がない。
「うわわわわわわ!!」
焦った委員長はラーメンのスープを飲んだ。それにももちろん七味が浮かんでいて、委員長はとうとう。
「きゃーーー!」
と叫んだ。
***
「うー、舌と唇がヒリヒリするよ」
とりあえず、大暴れする汐崎を存分に楽しんだところで、雨夜は柔らかな笑みで、水を手渡した。
汐崎は怒ったように、それをぶんだくると一気に飲み干した。
一瞬、その中にも七味を混ぜようかと迷ったが、さすがにかわいそうなので止めた。
汐崎は、まだ辛いらしく舌とべえっと出して空気に当てている。
「へっと、それでなんだっけ? ああ、小坂井さんの話だったよね」
と、話の軌道を戻した。
「うん、知ってるよ。中学も一緒だったし」
「へえ、どんな奴だった?」
「珍しくグイグイ来るね。もしかして雨夜、彼女のこと」
「その、何でも恋愛話に発展したがる風潮は、嫌いだ」
「つれないなあ。えっと、彼女がどんな子だったかって言うと……暗いかな?」
暗い。地味。物静か。と汐崎は当たり障りのない言葉を並べる。
「彼女ね、友達を作るのが苦手…… というよりつくる気がなかったみたいでね、教室ではいつも一人だったし、昼休憩は図書室にこもりきりだったね」
「なんか、昔の僕みたいだな」
「そう言えばそうだね。同じ同族同士、仲良くなれるんじゃない?」
「ムリだね、僕は友達欲しかった組だし」
「そうだったね。まあ、それで彼女、それでいて暗いでしょ? だからイジメの標的になってるんだよ」
「知ってたんだ」
「もちろん、むしろあんな堂々としていて気づかない方がおかしいよ」
「…………」
知らなかった。
意外と周知の話なのかこれ。
「中学の時からずっと彼女はイジメられてる……雨夜、十人議会を知ってるよね?」
「十人議会って、たいしょーが所属してる《箱庭》の自治会みたいなとこだよな?」
「そう。その議員の中に一人、《箱庭》には珍しい、非感染者の議員がいてね。外でもかなりの権力を持っているらしいんだけど……いじめっ子はその愛娘なんだ」
だから、誰も彼女を救ってあげれてない。
逆らえば、この安全地帯から追い出されちゃうから。
「むしろ、彼女を人身御供にして自分を守ってる」
汐崎は若干怒ったように、言う。
「そういえば小坂井さん、最近学校来てないね。体調でも悪いのかな」
「いや、絶好調だけど」
「……? それで雨夜。どうして彼女のことで相談してきたの? わざわざ昼食まで奢ってくれて」
「え、えーっとな」
雨夜は若干言いよどんだ。
言うべきだろうか、しかし、こういう事はバレたら色々マズいんじゃないだろうか。
「……別に、少し気になっただけ」
「ふうん。そうなんだ」
少し怪しまれてしまった。
誤魔化すように「そう言えばさ」と雨夜は切り出し、汐崎は訝しみながらもそれに答える。
そうして、くだらないなりになかなか面白い会話。
「そういえば雨夜。宿題終わらせた」
「答えを写した」
「……だから君はバカなんだよ」
なんて話を続けていると。
「そういや、また“第四位”がやらかしたらしいな」
「なにやったんだ?」
「ビル一つを切り刻んでバラバラにしちまったらしい」
「うっわ、マジかよおっかねぇー」
不意に、物騒なワードが雨夜と汐崎の耳に入ってきた。
声がした方を振り向くと、男子二人が昼飯を頬張りながら“第四位”について話していた。
「第四位なー。公式二つ名なんだっけ。最……」
「確か『最狂』“辻斬り”だったはずだよ」
「そうだ最狂、なんつーか全体的に物騒な名前が多いよな、上位七位は」
「《箱庭》に住む感染者、全四百万人の危険度ランキングの上位ランカーだからね、畏怖されても仕方ないんじゃないかな?」
汐崎はそれこそ、ニヒルに笑い。
「ね、第七位『最弱』さん?」
と、周りに聞こえない程度に言った。
雨夜は若干うんざりした顔で。
「……なんで僕だけ畏怖されてないんだろーな」
とホザいて、視線を窓の方に向けた。
視線は窓の先にある空と空の境界を捉えていた。
あちら側とこちら側を、外の世界と中の世界を明確に分ける、境界線を。
今より数年前──突如世界中で蔓延した感染症。その症状として、世界に突如現れた欠陥のある能力。
感染して、拒否反応で暴走してしまったせいか、はたまた負荷があるせいか、感染者は忌み嫌われてしまい、ストリートチルドレンの急増が日夜ニュースになっている。
そんな時代。
日本のどこかに地図には載っていない街がある。
名前は《箱庭》。
区別され、差別され、運が悪いと殺されていた感染者達の安住地。
外の世界とは遮断された、感染者のための街。
そこで感染者達は外では味わえなかった平和な日常を過ごしていた。
後半は、街の紹介回。