最弱くんは、怒られる。
「お願い、そろそろ小坂井さんを許してあげてほしいんだ」
《夕凪高校》の一年B組にて。
汐崎美咲、両手をあわせて懇願していた。
その前で、雨夜維月はダルそうな目で、それを睨んでいた。
汐崎が人にここまで必死こいて、腰を低くしてまで頼み込む姿なんてあまり──いや、よく見る姿だから特に心を動かされることもなく。
雨夜はそれを見て。
「やだ」
と駄々っ子のように、言った。
「ええー……でも、もう一週間は経つんだよ。いつまで怒ってるつもりなんだい」
「一ヶ月経とうと一年経とうと、許す気はないよ。人の恩人を拉致しておいて許されると思うな」
ふてくされながら雨夜は言う。
「はぁ……君のその友達を大事にしようっていう精神は評価すべきなんだろうけど、いささかオーバーというか、やりすぎというか」
ふんす、と鼻息荒く頬杖をつく雨夜を前に汐崎はため息をついて、本気で怒っているという意思表示か、口をヘの字に曲げた。
「ただ私が拉致られただけじゃないか、傷つけられたりもしてないし、死んでもいないでしょ?」
両手をばっと広げて自分の無傷をアピールした。
外れていたはずの右腕もしっかりと、動いている。
生気のなかった目も、光り輝いている。元気に彼女は、事実とは違う事をほざいている。
「……ホントに忘れてんだな」
「え、なにか言った?」
「いやなーんも」
ホントは拉致られた後、包丁をさして壁に磔にされ、右腕と体を引き離されたのだが、その傷も、その記憶も、全て小坂井せつなによって元に戻されている。
だから、怒るに怒れない。
怒りをぶつけれる場所がなくて、向けようがない怒りが暴走してどうにかなってしまいそうだ。
だから雨夜は、不完燃焼気味にイライラに苛まれているのだ。
「そうだ。思い出した、そもそも私は彼女の部屋に遊びに行ってたんだ。拉致された訳でもない!」
「あそこはもう小坂井の部屋じゃないぞ。あいつは寮から自主的に出てってる」
「え、そうなの?」
雨夜が頷くと、汐崎は困ったように「うーうー」言い出して、誤魔化すように。
「と、とにかく!」
汐崎は机を強く叩いた。
その音に驚いたクラスメートが雨夜と汐崎を交互に見やったが、どうでもよさげにまた自分達の世界に戻った。
「私は小坂井さんのこと、怒ってないし、彼女を卑下する気はない。だから君も意地張ってないで仲直りしてきなさい!」
「……うなー」
音に驚きながら雨夜は唸った。
汐崎が叩いた席は小坂井せつなの席なんだが、今日、彼女は学校に来ていない。
さらに言えばこの一週間ずっと来ていない。
彼女はあの日以来、雨夜との約束である『僕と委員長の視界に今後一切、入ってくるな』を律儀に守っているのだ。
しかし、この約束には少しミスがあった。
視界に今後一切入ってくるなという事は、入りさえしなければ何してもいいみたいな。そんな解釈も出来る。
その事に小坂井も気づいたのだろう。次の日から小坂井の奇行は始まった。
例を挙げるとすれば、歩いていると後ろから「ごめんなさい」と話しかけてきたり。
靴箱を開くと、上靴が妙に綺麗になっていたり。
雨の日に傘を忘れたときは、自分の傘を雨夜の前に落として自分は濡れて帰ったり。
今日だって、机の中を調べてみると、雨夜が寝ていた授業のノートがいつの間にか入っていたりしている。
つまり。
彼女は雨夜に許して貰おうと必死に、ゴマをすっていると言うわけなのだが。
「…………ふん」
ノートを一通り見てから、ゴミ箱に投げ捨てた。
あっ、と汐崎は怒ったように言ってゴミ箱の中に落ちたノートを拾った。
「雨夜、人の好意をそう無碍にするものじゃないよ」
貰ったものはそう簡単に捨てちゃダメだ。
と、子供をしかるように言ってノートを雨夜に手渡した。
「……へーへー」
イヤイヤ受け取ると、汐崎は「えらいえらーい」と言ってきた。
どうも彼女、雨夜のことを年下の、それこそ幼児ぐらいの子供のように扱う節がある。
やめてほしい、と雨夜はずっと思っているんだが、切りだすタイミングを見失っていた。
「よし、それじゃあ素直じゃない君に命令だ。今日中に仲直りしてきなさい」
「イヤに決まってん…………」
「……」
「………わーったわった!! 分かりました! 仲直りします!!」
汐崎に睨まれて、不承不承と言った感じに、両手をあげて雨夜は叫んだ。
「ったく、しょうがねーな」
ブツブツとめんどくさそうに、しかしどこか嬉しそうに、まるでどこか口実を探していたように雨夜は呟いた。
一人で帰る通学路を抜け、殺人鬼の説教の脇を抜け部屋に帰ると、誰かがそこにはいた。
『……ごめんなさい』
次回、舞姫ちゃんが、ぶちキレる。