時計の記録と心臓の記憶
潮風が強く吹き付けている。
砂浜に佇んでいたマリアは、アインスの姿を見つけると大きく手を振った。
「アインス!」
「……マリア」
予想していたのとは異なる、満面の笑みを浮かべているマリアの様子に、アインスは戸惑いの表情を僅かに浮かべた。
アインスはマリアの近くまで歩くと、正面に向かい合う。
「随分、早く……待ってくれていたんですね」
「早く、会いたかったの」
「……マリア。私は――」
何かを告げようとしたアインスの胸の中に、マリアは飛び込んだ。
アインスは一瞬、悲痛そうに顔を歪め、そして――。
そして、驚愕に目を見張った。
「……マリア……?」
温かい、人のぬくもり。
それがもう、マリアから感じられない。
――カチ、コチ。カチ、コチ。
――カチ、コチ。カチ、コチ。
永遠を告げる音が、重なり合って聴こえてくる。
「――馬鹿な!!」
抱きついたマリアを引き剥がすと、アインスは大声で叫んだ。
「どうして、こんな……っ!!こんな、愚かな事をしたんだ!!マリア!!」
アインスはマリアの細い両肩を掴み、激しくその体を揺さぶった。
「どうしてだ!!マリア!俺は……!俺は、君が大事だから!!本当に君を、大切に想っていたんだ!!だから君を巻き込みたくなんか無かったのに!どうして!!!」
「アインス。……アインス。今なら、あなたの気持ちが、分かる気がするの」
心臓を喪って。体温を喪った今だから。
「……ずっと、耐えてきたんでしょう?アインス。ずっと自分を、責めて来たんでしょう?」
助けられなかった。最愛の人を。そして、最愛の人を想う心すら、無くした自分が。
幸せになって、いいはずが無い。
「ずっとずっと、一人で生きていくって。決めてたのよね?」
ねえ、アインス。
「ねえ、アインス。……私、あなたを1人にはしないわ」
アインスの真っ赤な瞳から、涙が溢れる。唇を戦慄かせながら、アインスはマリアを見つめていた。
「……ねえ、アインス。この世界が、いつか時を刻むのを止めるまで、ずっと一緒よ」
「マ、リア……」
2人は祈りを捧げる様に抱きしめ合う。
重なりあったお互いの胸の奥から聞こえるのは鼓動では無く。
それは寄り添うように永遠に、同じリズムを刻み続けていた。
◇◆
2人が抱きしめ合う光景を、小高い丘の上から一人の男が見守っている。
「……俺はずっと、心配していたんだよ、アルノルド。お前が、幸せになる事が、俺の願いだったんだ。……1人で永遠を生きることほど、残酷な事は無いんだから。……幸せに。達者でな……アルノルド。いや、アインス」
アル――かつてはトイフェルという名だったその男は、胸元からブローチを取り出すとエリザの写真に微笑み掛ける。
「……ごめんな、エリザ。アルノルドの心臓を喪ってしまった。……君を想う記憶は、俺の胸の中にもう無い。……なあ、エリザ。――このままいつか、俺は君を想う事を止めてしまうのかな……?」
アルは笑みを消す。濃い潮の匂いが、彼の鼻をつく。ぶわりと激しく風が吹いて、アルの頬を撫でていった。
「……そんな事、あるわけがない。この気持ちを忘れる事なんて、俺には絶対に出来ない。
待っていてくれ、エリザ。俺は絶対に体全てを人間のものと交換してみせる。……エリザ。早く人間になって……君の元に逝くから」
エリザ、愛しているよ。
潮風がアルの呟きを乗せて、遥か彼方まで運んでいく。錆びついた街が軋む。
アルは目を閉じてその音を聴き、再び微笑むと、2人に背を向けて歩き出した。
<了>