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エリザ  作者: KOU
8/9

潮風の記録 下

 アルノルドは、来た道を振り返ると故郷の街の姿を再び目に焼き付けた。

 

 感傷から来る行為では無い。もう二度と訪れるつもりは無かったが、その姿を記録しておく必要があると感じたからだった。

 

 記録。

 

 カチ、コチと正確なリズムが刻まれているのを、自分の体の内側に感じながら、アルノルドは再び歩きはじめる。

 

 自分はどうしてしまったのだろう?歩きながら、アルノルドは思考する。

 

 あの時、トイフェルと契約を結んだ瞬間。

 

 心臓を喪ったその瞬間から、アルノルドはまるで自分の周りに薄い膜が張られてしまったような感覚に襲われていた。

 

 黒衣の男。

 

 その姿を思い出すだけで溢れてくる憎しみと怒りがある。絶対に見つけ出して、報いを受けさせる必要がある。最愛のエリザを、あんな残酷なやり方で殺した人間を、生かしておくべきでは無い。

 

 そういう風に、記録されている。

 

 ぞくり、とアルノルドの全身を悪寒が駆け巡る。それすら、どこか他人事のようにアルノルドには思えた。

 

 これは何だ。どこか遠くから聴こえてくる音のような。色あせた絵画を見るような、この感覚は。

 

 エリザの顔を思い出す。それだけで、アルノルドの胸は軋み、締め付けられ、苦しみと悲しみ、憎しみと怒りで心が埋め尽くされるはずだった。

 

 ――カチ、コチ。カチ、コチ。

 

 茫然と佇みながら、アルノルドは自分の胸に手を当てていた。軋みも痛みもせず、淡々と永遠を刻む音を聴きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆

 

 

 

 トイフェルは、軽やかとも言える足取りで、山道を歩いていた。

 

 アルノルドという人間の男と交渉した結果、ついにアルノルドは心臓を手に入れた。

 

 心臓を手に入れることは悪魔にとっての悲願だ。もっとも入手が難しいその部分を手に入れれば、残りの部分はどうにでもなる些末な問題だった。

 

 アルノルドは一人笑みを浮かべながら心臓が埋まっている自分の胸をなぞり――

 

 そこに付けていた首飾りの存在を思い出した。

 

 

「これを、付けて行ってほしいんだ……俺の心臓の、一番近いところに」

 

 トイフェルがアルノルドに別れを告げた際に、そう切りだしながら手渡してきたものが、その首飾りだった。ちょうど胸に来る部分がブローチになっていて、中を開くとそこには

 アルノルドの恋人、エリザの写真が埋め込まれている。

 

 トイフェルは何気なく、ブローチを開くとエリザの写真を見つめた。

 

 今時珍しい、静謐な魂を持つ少女だった。

 

 あの黒衣の男は、すでに半分人間では無くなっていた。もちろん悪魔とも呼べない。最も下劣でおぞましい何かになり果てていた。その嗅覚に不幸にも一人の少女が捉えられてしまったのだ。幸福の絶頂にいたはずの、その少女が。

 

「……エリザ」

 

 どくり、と胸が締め付けられ、トイフェルはその痛みに驚きながらその場にしゃがみ込んだ。

 

「……?なん、だこれは……」

 

 アルノルド、お父さんとまた釣りにいったのね?

 

 ねえ、アルノルド、面白い本が手に入ったのよ

 

 アルノルド、お願い

 

 アルノルド

 

 

 愛しているわ

 

 

 

「……あ……」

 

 痛みとしか言いようのない悲しみが、トイフェルの心を支配した。トイフェルの顔が歪む。それは決して、トイフェルの物では無い痛みだった。これは。

 

 これは、アルノルドの、記憶。

 

 涙が次々と溢れる。呼吸が出来ない。張り裂けそうな胸の痛みにトイフェルは絶叫した。

 

 

 ◇◆

 

 

 

「……心臓と一緒に、アルノルドの記憶まで移ってしまったということ?」

 

 マリアは息を呑んで2人の告白を聞いた。

 

「……恐らくな。そうしてアルノルドの記憶を引き継いだ俺は、どんどん人間らしさを手に入れた。……エリザをどんどん大切に想うようになって行った」

 

「……そして、私は……。感情に極端に鈍くなりました。上手く笑う事すら、もうできません」

 

「……アインスが、アルを見て動揺したのって、それじゃあ」

 

「こんな私を、見せたくなかったからです。ある程度、自分の身に起きた異変から、トイフェル――アル自体にも同様の変化が起きている事は予想していました。私は、私でありながらあの時の復讐心を喪った。……あの時の自分に等しいアルに、そんな姿を見られるのは耐えられませんでした」

 

 アインスはじっとマリアを見つめてから、意を決したように口を開く。

 

「……マリア」

 

「いやよ」

 

「……まだ何も言っていませんんが」

 

「いやよ!!どうせ、こうなったからにはもうここには居られませんとか、こんな怖い思いをさせて、もうあなたの傍には居られませんとかそんなところでしょ!?」

 

「……」

 

「何よ!!感情が無いだなんて何よそれ!!アインスにはちゃんとあるでしょう!?エリザが、本を読むのが好きだったから、栞を集めているんでしょう!?私が……私がエリザと同じような危ない目に会うかもしれないから、見守っててくれたんでしょう……?」

 

 マリアの目に大粒の涙が浮かぶ。アインスはそんなマリアを、眩しげに、寂しげに見つめる。

 

「……ねえ、アインス。私――」

 

「マリア」

 

 マリアが告げようとした言葉を遮るように、鋭くアインスが言葉を刺す。

 

「私は、もう老いる事も、死ぬことも無い身です。名前すら、もう何度も変えて生きてきました。住む場所も一所にいることは出来ません。分かりますか。もう私は、人間じゃないんです」

 

 その言葉にマリアはより一層ぼろぼろと涙をこぼす。アルはバツが悪そうに視線を逸らした。

 

「……明日、この街を発ちます。宿の皆さんと、食堂の常連の方に挨拶をして。……マリア。それが自然な結末です」

 

 マリアは涙を拭うと、アインスを睨みつける。

 

「……それなら、最後に見送り位させて。遮るなんて、ひどいわ。逃げるなら、私にお別れの言葉位言わせてよ」

 

 アインスは目を見開いてマリアを見つめる。その様子にアルは大声で笑った。

 

「ははは!こりゃ一本取られたな。確かにアインス。尻尾巻いて逃げたら男じゃねえぞ」

 

「……分かりました。マリア。私は明日、西海岸の連絡路からこの街を出ます。……正午に西海岸の砂浜で会いましょう。――そこでお別れです」

 

「……分かったわ」

 

 

 アインスが去る姿を、マリアとアルはずっと見つめていた。

 

「それで?どうするんだマリア。あいつはもう決めちまってるみたいだけどな」

 

 マリアは振り返ると今度はアルを睨みつける。真剣な目で。

 

「アル。お願いがあるの」

 

 アルはしばらく黙っていたが、やがて口を開く。

 

「おいおい、お嬢ちゃん。悪魔にお願いなんてもんはきかねえよ。唯一聞くとしたらそれは――」

 

「……交渉?」

 

「そういうことだ」

 

 2人は視線を交わし、どちらともなく微笑んだ。


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