スクミーズ
あたしは故郷の村が嫌いだった。
寂れた村だった。海と山に挟まれた、南北に長い平野を埋めるようにつくられた集落は、水田と畑と古びた家屋が斑に交じり合い、いつも暗く重い空気に包まれていた。少なくとも、あたしにはそう感じられていた。
土地も海も痩せていた。村民の多くは農業か漁業に携わっていたが、時代が進むにつれ、それだけでは食べていけなくなった。
自然、若者たちは村を出て、外に仕事を求めることになる。あたしが物心ついた頃には、村はもう、そんな状態だった。
それでも、村を離れられない者はいる。それらの多くは老人と、土地で家業や何らかの生業を持っている者だ。離れたくとも離れられない。そんな思いを持って、またはそこを己の生きる地だと思い定めて、彼らは生きていた。
そんな村民たちの間で副業として根付いたのが、家庭内での縫製業だった。
隣町に大きな学校があった。この村を含め、多くの小中学校が廃校になる中で、生徒を統合し、建て増しされ、生き残ることを許された学校だ。それがすべて、交通の便がよく、村の近辺では最も栄えていた隣町にあった。
生徒が集まれば、需要が生まれる。制服。鞄。体操着。それから、スクール水着。
それらのうち、村で縫製の多くを引き受けていたのが、スクール水着だ。私の母も、夜になれば大抵いつも糸と針を動かし、どこのだれが着るとも知れないスクール水着を縫っていた。
村の子どもたちも、当然、村で縫ったスクール水着を持たされた。
あたしが中学生だった当時、村長だった犬眠というジジイが、地場産業としてスクール水着を定着させようと考え、村内で流通する水着をスクール水着一種に統一した。村中の商店やディスプレイに、黒、紺、白だけでは飽き足らず、赤や緑、紫やゴールドといった配色のスクール水着が現れた。そのうちに、八本の触手がついたものや、全体が魚の鱗状になったもの、余分な脂肪を燃焼させあなたの健康をサポートするものや、十カラットの輝きがあなたをささやかに演出するものなど、それはもうスクール水着と呼んでいいのかと疑問を投げかけたくなるようなデザインまで登場した。
小中学生だけでなく、高校生や大人の女性までもがスクール水着を身につけるという異様な光景が、村の中でだけ見られた。ほかの水着を身につけるものは、村をあげての需要促進に貢献していないとみなされ、村八分にされる。そんな空気が、漂っていた。
今から考えると、とんでもない話だ。よくぞまかり通ったものだと思うが、そういえば何とはなしに独立心の高い村ではあった。あくまで噂ではあるが、その昔、スク水立国というスローガンを掲げ、村ぐるみでこの国からの独立を企てたこともあった、らしい。そんなことを聞かされれば、ちょっと信じる気になってしまう。それくらいの雰囲気は、あった。その克己心の高さが、村の衰亡を招いた一因でもあるとは思うが。
ともかく、あたしにとって困ったのは、そのスクール水着だ。
あたしはスクール水着が嫌いだった。大嫌いだったと言ってもいい。原因は、あたしの身体にある。幼い頃から、起伏が激しい肉体だった。小学校高学年で、胸はすでに目立つほどに膨らみ始め、中学校に上がる頃には、Dカップのブラを身につけていた。それに比例して腰はくびれ、尻も張り出していた。どう見たって、子どもの身体じゃなかった。
スクール水着は、当然のことながら子どもが身につけることを想定してつくられている。特に第二次性徴前の、起伏の乏しい平坦な肉体にこそ、最もフィットするように考案されている。そんな水着が、あたしに合うはずはなかった。
スクール水着を身につけ、押し込められて、それでも存在を強調する胸を見るたび、いつかこの村を出て行ってやる、と心に誓っていた。
中学を卒業すると同時に、村を飛び出した。二度と帰らない。そのつもりだった。
なのにまさか、戻ってくることになるなんて。
身一つで飛び出したあたしは、山二つ越えたところの、村から一番近い大都市で職を見つけた。昼は弁当屋。夜はホステス。弁当屋の制服はだぶっとした割烹着で、胸が目立たないのがよかった。夜の仕事は、単純に金を稼ぐためだ。こっちでは胸が、役に立った。
金を貯めて免許を取り、給料のいいバイク便の仕事に転職した。バイクを乗り回すのは、あたしの性に合っていた。大きな声じゃ言えないが、村にいた頃は、電動自転車という触れ込みの、明らかに電動スクーターなブツに乗って、毎日隣町の学校に通っていた。はっきり言って自転車で通える距離ではなかったし、唯一の公共交通手段だったバスは廃線になりかけていた。自力で何とかするしかなかったのだ。
そんなわけで、あたしは苦もなく免許を取得し、比較的楽しいと思える仕事をゲットした。未来はそれなりにバラ色のはずだった。
なのにまさか、こんなことになろうとは。
先ほども言ったとおり、あたしが住んでいた村は、南北に長い、辺鄙な形をしている。国でいうなら、チリのような感じだと思ってもらえばいい。で、あたしが勤めているバイク便センターからは大概距離があるのだが、一番北側、ほんの五百平方メートルくらいの区画、そこだけが。不都合なことに、センターの配達区域に含まれていた。そして不幸なことに。その区画への配達便が、あたしに当たってしまったのだ。
大きなキャリーボックスが据え付けられたモスグリーンのスーパーカブに跨ったまま、あたしは煙草をふかす。サングラスの向こう側に、あり得ない光景が広がっている。真っ直ぐに続くアスファルトはあちこちがひび割れ、隙間から雑草が茂っている。両側に立ち並ぶ商店街はすべてシャッターが下ろされ、そのシャッターのどれもが赤茶色に錆び付いている。その奥、商店街の裏手、おそらく元は畑であったであろう場所には、なぜかサボテンが林立している。あたしの前を、どこかで見た、転がる草が通り過ぎていった。どこの西部だ。
住所を確認する。商店街のすぐ先だった。村の変わりようというか一層の寂れようには驚いたが、大事なのは仕事だ。村がどうなろうが、今のあたしには関係ない。
エンジンを再始動し、カブを走らせる。商店街を通り抜ける。人の姿はない。あたしにとっては好都合だが、それにしても、おかしい。
砂煙の向こう側に、高く細長い建造物が朧に見える。それも、あたしの記憶にはないものだった。この村からは、東京タワーも、スカイツリーも、通天閣だって見えたことなんてない。
ものの一分で、目的の家にたどり着いた。
この辺りでは珍しくない、古い平屋だ。表札には漉水とある。これも、珍しくない。漉水は、この辺りに多い苗字だ。あたしの母方の祖母も、確か漉水だった。
荷物を手にバイクを降り、呼び鈴を押す。反応はない。もう一度押してみたが、やはり同じ。そのような、気はしていた。
門扉代わりの柵をゆっくり開け、敷地に踏み入る。玄関のドア。人の気配はない。念のため三度叩いてから、引き開けた。鍵はなかった。
薄暗い玄関は片付いていた。しゃがみ込み、荷物を床に置く。埃が薄く積もっている。
荷物を置いたまま、土足で上がった。
ここはヤバい。あたしの勘が告げている。何があってもいいよう、最大限の用心をするべきだった。あたしの勘は滅多に外れない。それが悪いことであれば、特に。
払い下げの軍用ブーツが板間を叩く。でき得る限り足音を殺して廊下を進んだ。右手の部屋。おそらく仏間。
踏み込むと、仏壇とテーブルのある和室だった。ビンゴ。部屋の隅にダンボールが積み上げられ、一番上の箱が開いている。中から覗いているのは、紺色のスクール水着。
見たくもないものを目にして、反吐が出そうだった。
ダンボールを無視して、仏壇へ向かう。真ん中の引き出し。引き開けると、油紙に包まれたオートマチックが一丁横たわっていた。こちらもビンゴ。
いつか反乱でも起こす気だったか。この村のヤツらは、大抵武器を隠し持っている。あたしの実家でも、隠し場所はやはり仏壇だった。
油紙を剥ぐ。小型のグロック。弾倉を確認してから、後ろ腰に突っ込んだ。隣にあった弾薬ケースと予備弾倉もいただいておく。
玄関に戻り、届けるはずだった荷物の箱を開いた。ビニール緩衝材で包まれた金属部品が、整然と詰め込まれている。どれも、見覚えのない部品だった。
いったい何をやってやがったんだ。こいつら。
箱を閉じ、担ぎなおしてから、バイクに戻った。
嫌な予感は、まったく消えていない。むしろ、早くここから立ち去れと警告していた。
普段ならしたがっていただろう。ここが、あたしの生まれた村でなければ。
あたしはバイクを走らせる。南へ向けて。
田舎村に出現した西部の町並みを眺めながら、あたしは考えていた。いったい何があったのか。いったい何が起こったのか。
手がかりがあるわけじゃない。考えたところで、わかるわけじゃない。それでも、考えないではいられなかった。
気にしているのだろうか。この村のことを。村に住んでいたものたちのことを。自分の中では、もう捨てたつもりだった。だが、こうして突きつけられてみると、つもりになっていただけだとわかる。
簡単には捨てられない。過去も。自分も。
一キロほど走らせて、バイクを止めた。強い風が吹く。砂と転がる草が、目の前を通り過ぎていく。
その向こう側。人影があった。
三つ。ゆっくりと、身体を揺らしながら、近付いてくる。老人だからかと思ったが、違った。
肌がただれ、土気色に変色している。皮膚組織はところどころ剥がれ落ち、下の筋繊維を覗かせている。
左端の人影の、だらりと垂らした腕から指が一本、溶けるように砂地に落ちた。
拳銃を引き抜いた。躊躇わなかった。
体勢を低くした化け物どもが、スプリンター顔負けの速力で向かってくる。
引き金を絞る。二連射。左端の頭部が弾けた。その次に中央。久々の反動が手に、腕に、伝わってくる。
眼前に迫った右端の化け物が、手を伸ばす。
カブの前輪を滑らせる。車体が半回転して、浮き上がった後輪が、化け物を跳ね飛ばす。化け物の身体は地面で二度弾み、頭部がその先へ転がっていった。
散らばった肉片を痙攣させる以外動く気配がないのを確認してから、銃を戻し、エンジンを切った。化け物どもを見下ろす。まるで映画に出てくるゾンビー。動き回る死体だ。格好から、もともとはこの村の住人だったのだろう、とわかった。
なぜなら。彼らは三体とも、スクール水着を着込んでいるのだから。
馬鹿ども、今度はいったい何をやりやがった。
ともかくも、こんな輩がうろついているのであれば、拳銃一丁だけでは心もとない。
ぐるりを見渡す。錆びた洋品店の看板が目に留まる。道路に面してショーウインドウになっているため、シャッターが下りていない。何とも都合がよかった。
這いずる肉片を踏み潰しつつウインドウに向かう。一蹴りでガラスを破り、ブーツの爪先で下部のストッパーを解除した。
ガラス戸を引き開け、侵入する。奥の住居部分も含め、電灯はすべて消えている。人の気配は、やはりない。
手近なマネキンが構えている拳銃を奪い取る。シルバーのデザートイーグル。感触を確かめてから、左手に構えた。
カウンターの中に入り、バックヤードの棚を探る。マグナムと予備弾倉。必要なだけいただいた。革鞘付きの山刀もあったので、頂戴して太股に巻きつける。
一つ一つ。身に帯びるごとに、気持ちが高揚していくことに、あたしは気付いていた。
どれだけ息を潜めていようと。どれほど溶け込んだ振りをしていようと。こういうことでしか、己を実感できない者はいる。こういうときにしか、生を実感できない者はいる。
帰ってきたのだ。改めて、そう思った。
店の外を、砂埃が舞っていた。
ウインドウから大通りに出る。南側。人影が通りを埋め尽くしている。年老いた者。そこそこ若かっただろう者。男だった者。女だった者。
それらが皆女物のスクール水着を身につけ、迫りつつあった。
煙草を咥え、火を点ける。首を二度鳴らしてから、歩き始める。弾倉を二つ。宙に放り投げる。
銃を引き抜いた。
乾いた銃声がビートを刻む。先頭から、一つ。二つ。パラベラムが穿ち、マグナムが破砕する。頭部を撃ち抜かれた化け物どもが、順番に地に倒れ伏す。
あたしは歩みを止めない。引き金を絞る指を留めない。死人どもは崩れ落ちる。それでも距離は縮まってゆく。
右。左。空になった弾倉が地面を跳ねる。あたしは両手を大きく広げる。求めよ。さすれば、与えられん。
再装填。
新たな死を詰め込んだ両手の銃から薬莢が飛ぶ、跳ねる、飛ぶ。死者どもの頭部も、それにあわせて飛び、跳ね、転がる。
二つ目の空弾倉が、地を叩いた。化け物どもとの距離は、およそ三メートル。
右手のグロックを捨てた。山刀の柄を掴み、引き抜く。
そのまま群れに叩きつける。三つ。汚らしい頭部が空を転がる。長靴で列を押し戻す。一薙ぎ。逆手で二薙ぎ。一回転して、反動で、もう一薙ぎ。
群れを切り崩し、あたしは進む。いつの間にか、周りはゾンビどもに囲まれている。
見覚えのある顔がある。そんなことは、とうに気付いていた。
だけども一緒だろう、あんたら。生きていようが、死んでいようがさ。
あたしは黙々と、生の残滓を刈り取る。正確ではないかもしれない。もう手遅れなんだと、認めてやったほうがいいのかもしれない。だがあたしはせめてもの情けと、前々からこうしてやりたかったという想いを込めて、薙ぎ、刈り、裁断し、叩き潰しては恍惚に浸る。
気がつけば、両足で立っているのはあたしだけになっていた。
肩で小さく息をする。感情に囚われすぎて、無駄に体力を消耗してしまったようだった。だが、何かに決着をつけたような。そんな気持ちが胸のうちに広がっていたのも、また事実だった。
生きている。あたしはまだ、生きている。てめえらに生かされているわけじゃなく。己の意思で。
乾いた手拍子が、斜め後ろからした。
再装填したイーグルを構えて振り向く。道沿いのガソリンスタンド。その柱にもたれ掛かって、見知らぬ外人がゆっくり拍手している。
ショートブロンドの頭に、黒いライダースーツ。胸元は大きく隆起している。自分よりデカい乳の持ち主を、あたしは初めて見た。
「お見事」
口から出た言葉は、あたしが使っているのと同じだった。
「何者だ、あんた」
返答次第によっては撃ち倒すつもりで、あたしは問いかけた。
女が拍手をやめて、両手を挙げる。
「安心しな。敵じゃない。今のところは、な」
女の足元には釘を多数打ちつけたバットが立て掛けられている。それ以外に武器は、身につけていないようだった。
山刀を鞘に収めるが、銃口は外さない。
女は煙草を咥えると、凹みだらけのジッポーで火を点す。煙がゆらゆら舞う。
「詳しくは話せねえが、アタシはこの村をマークしてた。アンタが来る前からだ。数日前からどうも様子がおかしいからちょいと潜入してみたら、こんな事態になってて驚いていたところさ。だから、アタシも聞きたい。何者だ、アンタ」
「通りすがりのバイク便さ」
後ろへ顎で示して見せる。会社のロゴが入ったスーパーカブが、停めたままの形で先にあった。
「信じろって?」
「社員証を見せりゃ信じるかい?」
「……オーケー。そうだな。お互い無駄な質問だった」
敵じゃない。今のところは。それだけわかれば十分だった。
「それで、あんたはこの事態について、何か知ってるのか?」
その上で、情報交換ができれば、言うことはない。あちらも同じだろう。
「そちらさんが通りすがりってのが本当だったら、そちらさんよりは多少はな」
「教えていただけると嬉しいんだがね」
「何のために?」
「生きるために」
なるほど、と女は笑った。釘バットを掴み、肩に担いで歩き出す。あたしは銃口を外さない。
「原因が何かってんなら、知ってる。あれさ」
空いた手の親指で示す。道路に散らばる化け物どもの残骸は、それぞれが痙攣するように蠢いている。そのうちの一体。比較的若い男の身につけていた女性ものスクール水着が、それ自体が意思を持っているかのように動き、今まさに脱げんとしていた。
「どうして全員が同じ格好をしているか、疑問に思わなかったか? その答えがこれ。本体は、このコスプレ衣装のほうさ」
釘バットが振り下ろされる。肩紐を脚代わりに立ち上がろうとしていたそれは、一撃で平たく潰れた。
「何なんだこれは」
「アタシもそれが知りたくて仕方がないのさ」
重量のあるバットを、女は軽々と担ぎなおす。何本かの釘から繊維が垂れ下がっていた。
「スクール水着は、この地方の産業だった。確かに変な水着もつくっちゃいたが……生きている水着なんてのは、初めてお目にかかった」
「通りすがりにしちゃ、やけに詳しいじゃねえか」
「地元民だよ。あたしだって」
女は釘に貼り付いた繊維を引っ張る。
「こいつはあたしの想像だが。生きている水着ってわけじゃねえ。こいつは多分、そう。擬態ってヤツじゃねえか。あんたの話を聞いて、そう思った」
スクール水着の形を取っていれば、この村に紛れ込みやすい。つまりは、そういうことだろう。
女は繊維を放り捨てると、スタンドの方へ戻り始めた。銃を下ろし、後を追う。
「どうするんだ」
「こうするのさ」
給油機にコインを落とし、ノズルを引き抜く。それを残骸へ向けると、盛大にガソリンを撒き散らし始めた。
「アタシが知っているのはもう一つ。完全に息の根を止めたかったら、こうするしかない」
煙草を投げ捨てた。破砕音。衝撃。それから熱波。
あたしと女はふたり、燃え盛る炎と立ち昇る黒煙を眺めた。
ある光景を思い出していた。昔。あたしが小さいころにも一度、こんな炎を見たことがあった。
確か祖父だった。何やらよくわからない、家ほどもある大砲のようなものを空き地でぶっ放して、当時まだ村会議員だった犬眠老人所有の山林をひとつ、完全に炎上させたのだった。あれは確か、新聞に載るほどのえらい騒ぎになったはずだ。
そんなものをどこで手に入れたのか。子ども心に疑問を感じたあたしは、確か祖父に尋ねたはずだ。そのとき祖父はどうしたか。確かただ笑って、真っ直ぐ天を指し示したのだ。
「なあ」
あたしは問いかけた。女は目の前の光景を眺めている。
「あたしも手伝いたいんだが」
女がようやくこちらを向いた。
「もの好きな通りすがりだな。遊びじゃ済まねえぜ」
背を向け、歩き出す。女は見ている。あたしはバイクに跨ると、火を入れ、ターンして女のところに戻った。
キャリーを開けてみせる。
「こいつは」
「必要になると思うんだが。あんたか、ヤツらかは知らねえけどな」
噴き上がる火炎の背景。遠くに尖塔が、やはり朧に見えている。それは時に歪み、横方向に細い線が幾筋も走る。
部品がここにあるということは。ヤツらがしようとしている何かは、まだ完成していないということだ。
女が再び、降参のポーズを取った。
「オトノハ」
「グレイシーだ」
握手を交わした。それから二人、炎の奥に視線を移す。
「銃ならあるが、使うかい」
「こいつでいい」
グレイシーはバットの柄を二回、叩いてみせた。
スクール水着を着込んだ変態どもが、煙の向こう側からやってくる。
あたしは銃を構えた。相棒が、敵のただ中に飛び込んでいく。
銃声がこだまする。肉を叩き潰す音が重なる。あたしはイーグルを構え、バイクを走らせる。炎はまだ、高く熱く、立ち昇っている。
グレイシーが横に並んだ。
山刀を抜く。あたしが左を。相棒が右を叩き潰す。混じり合い、どれが誰とも分からなくなった肉塊どもが、あたしたちの背後に積みあがってゆく。
グレイシーが跳び、荷台に着地する。カブの前輪が浮き上がり、バウンドする。あたしたちの胸も、あわせて揺れる。
釘バットの一閃が、追い縋るゾンビどもを薙ぎ払った。
黒煙が後ろへ流れ、消えてゆく。纏わりつく熱気が剥がれてゆく。
ただ背中に寄り添う。背中を守る温もりだけが、確かにあった。
「あんた、この世界が好きかい?」
背中に聞く。
「ケツにキスしな。そんなところだ」
石摺りの音とともに、返ってきた。
「それでも。この世界で、生きていかなきゃいけねえとしたら、どうするよ」
煙と、快い芳香が漂ってくる。指に一本が挟まれて、唇に伸びてきた。
「そいつはもう、アタシと世界のヤツとの、食い合いだな」
笑みを浮かべた唇で。差し出されたタバコを咥えた。
「違いない」
景色が移ろっていく。長い直線路の先に、存在の定かでない尖塔がそびえている。
「いったいあれが、何だと思う」
「さてね。だが、あれが何であるかが、重要かい?」
「わかるなら、そのほうがいい」
「何のために?」
「生きるために」
古いブラウン管テレビの向こう側。
「あっちに行って。果たして戻って来られるのかね」
「戻って来たいのかい?」
あたしはかぶりを振る。
前方に、人の群れが見えてきた。それらはふらつくように歩き、スクール水着を着込んでいる。
「行くかい、相棒」
「行こうぜ、相棒」
あたしはバイクの速度を上げる。
過去はいらない。故郷も、帰る場所もいらない。あたしの後ろに道はない。前にだって、続いているわけじゃない。
刈り取り。切り開き。平たく均し。己で道をつくりあげて、あたしは歩みを進める。そして駆け出す。世界のすべてが敵に回るというなら、それでいい。立ち塞がるなら、叩き潰す。これからは。
あたしは叫ぶ。力の限りに叫ぶ。
世界よ、断末魔の悲鳴をあげろ。
(完)