前章 王城の華、一見と再転 再転 ‐Ⅱ‐
路面脇のベンチでは小柄な少女が子栗鼠のようにパンを頬張っている。粗引き胡椒のかかったハムと生野菜が挟まったサンドウィッチを詰まらせて盛大に咽た少女の背を擦ってやると、『す、すむゅましぇん……』と何とも間抜けな返事が返ってくる。
大通りで昨日世話になった似顔絵描きの少女を見つけたと思ったら、いきなり後ろに倒れそうになっていた。慌てて抱き留めたら、空腹で目を回したと言う。……呆れて肩がずり落ちた。
手近なデリで具の詰まったサンドウィッチと飲み水を購入し与えてみると、何処から出したんだというような量の涙を流して、嗚咽混じりに感謝された。
「うっうっ……ありぃがと、ござ、……ごじゃいましゅ、ロード。……ロード?」
そこでやっと彼女は彼の名を知らない事に気付いたようで、きょとんと首を傾げている。(……そんなに頭を捻っても、教えていないのだから俺の名は出てきはしないぞ)
「落ち着いたか? コホンッ、先日は世話になった。私の名は……」
(待て、本名を名乗るべきでは無いな……。ううむ、どうするか)
「私の名は、……ルディ・アヌス。ルディでいい。……貴族ではないからな」
ルディの言葉に不審げに上から下まで見た彼女は、何やらうんうんと頷きながら自分の中で違和感を強引に納得したようだ。
「そうだったの? そんな良い服着ているから私てっきり貴族様だと……。そっか、騎士か。あ、私はユゥハ。有難うございます。(別の意味で)危ない所を助けてくれて……。サー・ルディ」
(何やら別の意味でという単語が聞こえたが。……まあ、いい。それにしても貴族じゃないと言った途端に敬語が薄れたな。あまり慣れていないのだろう、無理もないが)
「いや、君のおかげで彼に追いつくことが出来た。これ位の事では礼にはならないが」
「ああっ! そうだ。そのことでちょっと……っ!」
ユゥハは襤褸の鞄をごそごそとすると、ルディの前に木綿の手巾を突き出す。
「……? 手巾がどうした?」
「じゃなくてっ、これっ! バウール金貨!」
ユゥハは手巾を広げるとそこに包まれた金貨をルディに押しつけた。
「お返しします、それ」
「いやしかし、それは正当な代金であって私に返されても」
ルディは金貨をユゥハに押し返そうとするが、腹を満たし生気を取り戻したユゥハは身を翻し、それを逃れた。
「庶民に金貨なんか換金出来るわけないでしょおぉぉっ! このお馬鹿ぁっ!」
何故か仁王立ちで踏ん反り返って断言されてしまった。
(そこまで、自信満々に自分を卑下する人間は初めて見た。……というか仮にも■■■■に向かってお馬鹿って。……おい、失礼だぞ)
「せめて、代金は銅貨でお願いしますっ! 私まだ、留置所とお友達にはなりたくないので」
勢いに圧されてルディは懐の財布を探るが、目当ての物は始めから入っていない。
「済まぬ、金貨しか持ち合わせていない」
ユゥハの頭を抱えて唸っている口元から、『このブルジョアがぁ……』とか聞こえてきたが、無視した方が彼女の為だろう。
「じゃあ、さっきのサンドウィッチは? 流石に金貨で払ってないでしょう?」
「つけて貰った。後で家の者から相応の代金を支払わせる」
ユゥハは、はぁぁぁ……と盛大な溜息を吐いて可哀相な人を見る目でルディを見る。
(待て、そんな顔をされる謂われはないぞ?)
「も、……いいです。この金貨はお返しします。あんな走り描きの絵なんて銅貨一枚の価値もありませんし」
「そうはいくか。あの絵で私が助かったのは事実だ。相応の礼をしなくては我が家の沽券に関わるっ!」
ユゥハは心底要りませんといった風で、ルディは思わず顔を顰めた。
(なんだその、あからさまに迷惑そうな顔は?)
「本当に、そんな大金払って貰うような類いのものじゃないから。気にしないでいいです」
ユゥハは右手を顔の前に突き出した形で、断固とした姿勢を保ち、制止してくる。ルディは流石に、この問答は自分が折れなければ終了しないと悟った。
「……分かった。ではユゥハには何か別の形で礼をしたい」
「別の何か……?」
ユゥハは首を捻って訝しがる。
「金貨では分不相応と言うなら仕方が無い。恩人の言う事を無下には出来まい。何か別の品なら礼の代わりになるだろうか?」
「そうですね、それならなんとか……。高価なのは要らないですからね?」
ユゥハは、不審げな顔でルディを見ながら念を押す。ルディとて無論そんな事、百も承知だ。
「分かっているとも。庶民の手の届く範囲なら構わないのだろう?」
分かっているなら良いんですけど……。と呟くユゥハに、ルディは意地の悪い笑みを浮かべた。勿論それを見られるヘマなどしない。
(この俺を馬鹿と罵った代償は高いぞ、ユゥハ。お前の希望など知った事か。俺は俺のやり方で、相応の礼をしてやろう……)
ルディはこれからどんな『お礼の品』を贈ってやろうかと頭の中で考えながら立ち上がった。
「何が欲しい? ドレスでも、宝石でも。ああ、……郊外にある屋敷が空いていたな、あれにするか」
にやりと不敵に笑った俺の顔を見て、ユゥハが引き攣った顔でルディを見て叫んだ。
「あんた、全然分かってないじゃなぁぁぁぁぁいっ!」
(何を言う? 俺から謝礼を受けるなんて滅多に無いのだぞ? 光栄なことじゃないか)
最早、ユゥハを弄る事しか頭にないルディは、晴れやかな笑顔をした。哀れな犠牲者となったユゥハを、しっかりと腕に納めて。
ルディは自身の肩にひょいとユゥハを担ぐと、中央通りを歩き出した。肩の上ではユゥハがぎゃーぎゃー叫びながらもがいていたが、下ろすつもりは毛頭無かった。