前章 王城の華、一見と再転 一見 ‐Ⅲ‐
ルクシエルは簡単な調書を取る為、万年筆を握る。
「ユゥハ・ルーミオ。路上で似顔絵描きを生業とする画家。と、……現在の居住場所はどこですか?」
目の前のルーミオは顔を赤く染めたままこちらの問いに答えた。
「地下街の『変人通り』にある画家長屋です。三号室を間借りさせて貰っています」
「ほう、画家長屋出身でしたか。カンディンスキー氏のことは、もしやご存じでしたか?」
「ヴァンは、じゃなかった……ミスタ・カンディンスキーは私の兄弟子です」
ルーミオの言葉にルクシエルは目を細める。
(……彼女はつまり、あの、ミヒャエル・ロミオか手解きを受けていたということだ。ともすれば実力は折り紙付きか。)
「女性には失礼とは思いますが、規則なので。年齢を教えて頂けますか?」
「……十九です」
ルーミオはそう言うと恨めしそうにこちらを軽く睨んでいる。先程手を引いて連れて来たのがお気に召さなかったらしい。十九歳ともなれば十分年頃だ。その割に小柄なのは生活環境が良くないせいだろう。日に焼けぱさついた髪も手入れをすれば美しい金髪になるだろうし、琥珀色の瞳はルクシエルの瞳と似た色味で好ましい。
「失礼しました。慣れない王城で迷われてはと思い手を添えたのですが、淑女には配慮が足りませんでした。お許し下さい、ミス・ルーミオ」
ルクシエルが手の甲に口付けようと身を寄せるとルーミオは顔を真っ赤にし、慌てて身を引きながら叫んだ。
「き、気にしないで下さいっ! 私は貴族じゃありません。そのような気遣いは不要です、ロード・サージェクト様」
「……私の事はどうぞサー・ルクシエルと呼んで頂けると、とても嬉しいです」
「…はい、サー・ルクシエル様。私もユゥハでいいです」
ユゥハの反応が一々過剰なのでつい調子に乗り過ぎた。ルクシエルは自分の容姿が並外れているのも自覚していたが、顔を赤くしながらも気丈に振舞おうとするユゥハのような女性が珍しくて、ついつい玩具にした事を心の中でだけ詫びた。
「話が逸れましたね。一次審査ですが、……そうですね。では、私の顔を描いて頂きましょうか? 時間は半刻。簡単なデッサンだと思って貰って構いません。出来は私と、後で陛下に見て貰う事にしましょう」
ルクシエルはそう言うと再度ユゥハに微笑み掛ける。だが、審査内容を聞いた後だからだろうか、ユゥハの顔に羞恥は無く、凛とした視線を返されるだけだった。
「分かりました。宜しくお願いします」
ユゥハは鞄からスケッチブックと鉛筆を出し、ルクシエルの指示を待っている。ルクシエルはそんな彼女を興味深げに眺めた後、懐の懐中時計を開き、長針が十二時を指したのを確認すると静かに始まりを告げる。
「どうぞ、始めて下さい」
ユゥハはルクシエルの顔をじっと静視している。その視線があまりにも素直過ぎて、ルクシエルは思わず笑みが零れた。だが、顔を赤くしたユゥハは直ぐにスケッチブックに視線を落としてしまう。
改めて見てみてもユゥハに特筆したものは見受けられない。容姿も飛び抜けて美しい訳ではなく、好感が持てるという程度だ。尤も、今の彼女の姿で正当な評価を得ようと言うのが問題だが。……ただ、前王の元宮廷絵師ミヒャエル・ロミオの弟子と言うのは注視しておかねばならない事由に思える。あの、ヴァン・ルイス・カンディンスキーとも交流があるようだし、もしかしたら『あの方』が探しておられる《彩現者》である可能性も零ではない。
ルクシエルは時計の針が四十分を過ぎたのに気付いて、慌てて思考を止めユゥハを見る。ユゥハはスケッチブックに鉛筆を走らせこちらに目を向けようとはしていない。並外れた集中力に感心する。
……ふと、ルクシエルは奇妙な違和感を覚える。彼女はルクシエルの方を向いていただろうか? 初めに目が合った以外でユゥハがこちらに視線を向けた覚えが無い。デッサンをしているのにモデルを見ないというのは、有り得ないのではないだろうか?
そうこうしている内に時計の長針が半刻を告げようとしている。ルクシエルは控えめにユゥハに声を掛ける。
「……はい。もう良いですよ。……見せて貰えますか?」
スケッチブックのページを破いたユゥハはルクシエルに絵を渡す。所在無げに視線を泳がす彼女に苦笑しながらも、ユゥハの絵に目を通す。……そして、息を止めた。
(……これは、デッサンのレベルではない。たった半刻でこれ程までに精密に描けるものですかっ!?)
「済みません。専門でないので良く存じませんが、ミス・ユゥハはデッサン中に私を見ていませんでしたよね?」
ルクシエルの問いにユゥハはきょとんと眼を丸くしている。そして何のてらいもなく告げられた言葉にルクシエルは、息を呑んだ。
「え? 一度見たものは忘れないので、何度も確認する必要がありますか?」
「……ふ、ふふ。中々面白いものを拝見させて頂きました」
突然笑い出したルクシエルの行動に、ユゥハは理解出来ていないようだった。
「あ、あの? そんな下手でした? ……私の絵」
「い、いえいえそう言う意味ではありません。……そうですね、私の判断だけでどうなるものでもありませんからお約束は出来ませんが……。私は好きですよ、貴女の絵」
あからさまにほっとした顔をしたユゥハの手を取り立ち上がらせると、ルクシエルはにっこりと笑い掛けた。
「さあ、一次審査はこれでお終いです。門までお送りしましょうミス・ユゥハ」
ルクシエルの手を握り返したユゥハは、顔を赤くしながらもゆっくりと頷き、歩き出した。