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彩配の繰り手  作者: 義已暁
~少女は春に別れを知る~
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序章 地下の魔都、二心の便り

まだ慣れません……(汗)

 ユゥハは簡素なベッドに身を投げ出すと、無造作に鞄を放り出す。直ぐ脇のテーブルの上にある小口(こぐち)の小刀を引き寄せると、封筒に押された薔薇(ばら)色のシーリングワックスを削いだ。

 ふわりと春の花の香りと共に透かし模様の入った洒落た便箋が顔を覗かせる。ユゥハは緩む口元を抑えきれずに引き抜くと、便箋を開く。そこにはお世辞にも上手とは言えない、書き殴ったような文字が躍っていた。


“よお、久しぶりだな。元気にしてるか?”


 優雅さの欠片も無い挨拶文にユゥハは苦笑する。

「相変わらずだなぁ、ヴァンは。ま、らしいけど」

 その馴染みある悪筆に頭を抱えながらも、それを解読しようとするこの行為さえ懐かしい。ユゥハは指でなぞりながら、一文字ずつ丁寧に拾ってゆく。


“こっちは特に問題は無い。一昨日やっと庭園の東側を完全に記録出来た。今日はウーリアの花が溜め池の脇に咲いていて中々綺麗だったぞ。お前にも見せてやりたいが王城に上がる機会も無いだろうから、無理か”


 手紙の主である、ヴァン・ルイス・カンディンスキーは、この長屋のお隣さんだった風景画家だ。宮廷絵師として王城に上がってもう三年になる。


“だが、機会があればお前も見てみるといい。これ程の美しさを保った庭園はそう無いからな”


 植物マニアの人間嫌いで有名で、長屋きっての変人の名を欲しい侭にしていたヴァンだが、画才だけみればユゥハなど遠く及ばないのだから『天才となんとかは紙一重』とは良く言ったものである。


“予定より長く居座ることになっちまったが、それだけのもんがあるからな。まだ暫くはここにいる事になりそうだ”


 王城に上がるや否や『俺はこの庭園を全て描き切るまで帰らんっ!』と豪語した通り、三年もの年月工房(アトリエ)に居座っている。それが出来る実力があるのだから、ある意味尊敬に値する。

(まあ、性格はアレだけど……)


“ああ、そうお前の好きな花をいくつか入れて置いた。ユゥハも年頃だろう、絵具の匂いばかりさせていないで少しは色気のある香りでも(まと)っておけ”


 本当にこういう所は気が利くを通り越して嫌味なのだが、事実封筒の中に入っていた押し花はユゥハの好きな花の香りを漂わせているのだから、悪意が無いだけに一々憎たらしい。

 封筒の中にはウーリアやネリネ、フォルグリーなど春季(しゅんき)に群生する香りの良い野花が押し花となって入れられていた。それらが部屋の中の濁った空気を一瞬で華やかにしていく。鼻に付く油絵具の臭いは、花の香りに押しやられて戸口の外に逃げ出したようだ。

 それにしても、随分分厚い封筒の割に便箋は一枚きりで、ユゥハは首を傾げて残りの紙束を引き出す。

「わぁ……。これ、ヴァンの描いた絵?」

 小振りな厚手の紙に描かれていたのは、おそらく王城の庭園を描いたものだろう。精密に描かれた植物が其処に在るように活き活きとしている。

 相変わらずの腕にユゥハは笑みを零す。

(パステルの臭い消しに押し花入れたのね、本当は)

 ヴァンが色気だなんだと冗談を口にすることはあったが、花を貰った事は今まで無かった。あの照れ屋は自分の絵が直ぐに気付かれないようにと花を添えたのだろう。どうせ中を見たら一目瞭然なのに、なんでわざわざ気障ったらしい事をしたのやら。

 よくよくその絵を見ると庭園には小さく人物が描かれている。人物の顔は見覚えのあるものだ。

「珍しい。ヴァンの絵の中の人間に、顔があるなんて」

 人間嫌いのヴァンは、風景に人物を描く場合、必ず顔を黒く潰してしまう。顔が描かれるのは一部の例外を除いて決して有り得ないのだ。


 つまり、彼の気に入った……画家であるという例外を除いて。


 風景画の中には十五・六歳位の少女が描かれていた。金の髪に、蜂蜜(はちみつ)色の瞳をした笑顔の美しい朗らかな少女だ。

 まさか、そんな訳は無いと思いながらもユゥハは絵を裏返してみる。そこにはやっぱり悪筆なヴァンのサインと『親愛なる心の同士(とも)ユゥハ・ルーミオに贈る』のメッセージ。

「やっぱりぃ~っ!! ヴァンの馬鹿ぁっ! 何でこんな美化されてるのよ。私はこんな美少女じゃないってばぁ……」

 ヴァンの絵の中に描かれる画家の顔はもれなく美化されてしまう。それも三割増しとかそんな以前の領域にまで。そして、本人に会うと皆がっかりするのだ、実物と違う……って。

 古くからの馴染みであるユゥハはヴァンの風景画に描かれる率が一・二を争う程で、つまりそれだけ他から間違った容姿で認知されている。実際この絵の人物とユゥハを照らし合わせて正解を導き出せる人間はいないだろうと、心底思う。

 ユゥハは羞恥で顔を真っ赤に染めて枕をぽすぽすと叩く。正直これを見ると凹むのだ。絵の中の自分と現実の落差に打撃を受けているのは、何も他人ばかりじゃない。取り立てて美しくもないユゥハを湖畔(こはん)の精霊のように描くヴァンの才能にも、その常軌を逸した妄想力を湛えた彼の見る世界も、自分には決して持ち得ないものだから。


 それでも、彼の厚意は素直に嬉しい。ヴァンがごく私的な事由(じゆう)で絵を描く事は少ないからだ。妹弟子のユゥハか師匠であるロミオ位にしか描いて無かった筈だ。

 ユゥハはテーブルに備え付けられた引き出しを開け、そっと絵をしまい込む。テーブルの引き出しは二段底になっていて、ヴァンに貰った絵や貴重品は必ず底の方に入れるようにしている。鍵が付いているのは、ここと戸口の内鍵だけなのだ。


 一番安全な場所には大切な物をしまわないといけない。


 ヴァンの絵は今やグラース銀貨四十六枚は下らない価値がある品となっていた。(マルーア銅貨四千六百枚分にもなる……!)

 しかし、ユゥハはどんなに極貧でも彼から贈られた絵を売ろうと考えた事など一度も無い。画家としての殆どの時間を共に過ごした同士との友情は、金には換えられない得難いものだ。

「……でもこの絵、ちょっと若いや。ん~? ……あ、そっか!」

 よく考えたらヴァンとはもう三年も会っていないのだ。十九歳のユゥハを知る筈も無い。この絵に描かれたのは、丁度王城に上がる前に最後に会った時のユゥハを描いたものだった。

「やっぱ長いこと会ってないと人の顔なんてうろ覚えになるか。ま、まさかそのせいで今までより脚色過多な妄想力の結晶になっているんじゃ……?」

 ユゥハは背筋が寒くなる思いで、しっかりと、入念に、引き出しの鍵を閉めた。あの絵は破壊力が強過ぎる。



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