ROBBER
俺はプロの泥棒だ。
突然、街に現れて、貴族の家から金目の物を持ち去っていく。
空き巣をしているのではない。家の中の者が寝静まった頃にやってきて、知らない内に家の中に入り、知らない内に家から出て行き、姿をくらます。
俺はプロの泥棒。忍び込めない家は無い。「泥棒」である俺の姿を知るものは誰もいない。
大きな街の、市場の隅。
「これを一つください。」
「はい、200リレンね。」
工芸品や名産品を売る、旅商人の露店。
露店、と言っても、道端に広げた布の上に商品をばら撒いたような感じだ。
その店を開いているのは、とがったあごと鋭い目が特徴的な、小柄で細身の若い男。
「最近、物騒なのよねぇ。」
あなたは旅商人だからもちろん知っていると思うけど、と、代金を払いながら女が言う。
「どこの街にも泥棒が出て、貴族の家を荒らして回っているんですって。」
女は、どこかの屋敷の使用人なのだろうか。左の胸に貴族の家紋を刺繍したブラウスを着ている。
「そうですか。大変ですねぇ。」
あいづちを打つその穏やかな声とは裏腹に、若い男の目は鋭く光っていた。
…なるほど。この街にもかなりの数の貴族がいるようだ。
近頃街を騒がせている泥棒の正体。それは、この旅商人だった。
もちろん、本人以外にこの事実を知るものはほかに誰もいない。
女が露店を後にし、その姿が見えなくなった。すると旅商人はそそくさと店じまいし、貴婦人の後をつけていった。
昼食時ともあって、市場はにぎやかに活気付いていた。通りの食堂からは食欲をそそる匂いが漂ってくる。
人ごみの中を進む女。女を追う旅商人。
市場の人ごみを抜けると、小高い丘の上に貴族の豪邸がいくつも建ち並んでいるのが遠くから見て取れた。
女はやはり貴族の使用人だったようだ。鞍をつけた馬に荷物を載せ、そのまま屋敷のほうへ戻っていった。
「…さて、準備でもするか。」
貴族の屋敷なら、どの屋敷にも金目のものがいくらでもある。それが少しでも手に入るのなら、別に泥棒に入るのはどこの屋敷でも良かった。貴族の家ばかりを狙うのは、他にも目的があるのだが、その話はまた別の機会にしよう。
先ほど女の後をつけてきた道を戻り、再び市場の喧騒の中に入る。
どこかで食事でもしよう。そう思って一瞬よそ見をしたとき、何かが体にぶつかって、どさっと倒れる音がした。
驚いて足元を見ると、5歳くらいの小さな女の子が倒れていた。
どうやら勢いよく走ってきて、そのまま旅商人にぶつかってしまったようだ。
「おい、大丈夫か?」
女の子を抱き起こして立たせる。
…泣いているのは驚いたからだろう。怪我はしていないようだ。
「痛い所はあるのか?」
首を横に振る女の子。
旅商人がいくらなだめても、女の子は泣き止まない。
「どうしたんだ?」
すっかり困ってたずねると、女の子は足元を指差した。
「わたしのお人形がぁ…。」
見ると、彼女の足元に可愛らしい猫のぬいぐるみが転がっていた。
「どれどれ…。」
転んだ時に引きずってしまったのだろうか。首のところが破けて、綿がはみ出している。
…参ったな。
女の子はしくしく泣いているままだ。よく見ると、彼女はかなり良い服を着ている。
…まずいな。貴族の子か。
…このまま帰したら、こいつの親が俺に文句をつけてくるかもしれん。
…万が一、捜索されるようなことがあったら面倒だ。
「よし、心配するな。俺がこの人形を直してやる。だから泣くなよ。」
精一杯優しい声を出して言う。
「ほんとう?」
女の子が心配そうな目で旅商人を見る。
「すぐに直してやるよ。ついてきな。」
旅商人は女の子を連れて、さっき露店を開いていた細い路地に向かった。
彼は持ち合わせの針と糸でぬいぐるみの裂け目をつないだが、縫った後が目立ってしまった。
「これじゃまずいよな…。」
女の子は、彼が持っていた商品の中にあったおもちゃで大人しく遊んでいる。
ため息をつきながら持ち物をあさると、どこで手に入れたのかは忘れたが、きれいなリボンの束があるのを見つけた。
…仕方ない。これでどうにかするか。
太いリボンをぬいぐるみの首に巻いて、縫い目を隠し、外れないようにきつく結んだ。
「おい、直ったぞ。」
旅商人は女の子にぬいぐるみを返した。
「わぁ、ありがとう!」
女の子は目をきらきらさせて、彼に礼を言った。
「ほら、早く帰れ。心配されるぞ。」
彼が言うと、女の子はサヨナラと言って、大通りへ駆けていった。
…あぁ、やっと終わった。
これでようやく今夜の仕事の準備ができる。
その日の夜。
旅商人は泥棒へと姿を変えて、貴族の豪邸が建ち並ぶ通りに立っていた。
スカーフで顔を隠し、最低限必要な荷物だけを持って、屋敷に忍び込む。
屋敷の裏手に回り、使用人の通用口から中に侵入した。
…鍵なんて、針金一本でいくらでも開け閉めできる。
暗い屋敷の中を足音一つ立てずに進む泥棒。彼は窓から射す月明かりを頼りに、金目のものを部屋の隅々までくまなく探した。
音を立てずにドアを開け、部屋に入り、音を立てずにドアを閉めて出て行く。
高価な家具や絵はあるが、彼はそれらのものには全く手をつけない。
…さては寝室に隠しているな。
彼が狙っていたのは、持ち運びやすい、指輪やブレスレットなどの貴金属や、宝石類だった。
再び廊下を静かに歩き、別の部屋のドアを開ける。
この部屋は…
彼の眼に動揺の色が走る。思わず声を上げそうになって、彼は手で口をふさいだ。
その部屋は、子供の寝室だった。
昼間、ぶつかって転び、破けたぬいぐるみを直してやった、あの小さな女の子の部屋だった。
すやすやと眠る彼女の枕元には、あの猫のぬいぐるみが置いてあった。
泥棒は、ふっと息をつき、自分が持っていた荷物の中から、いくつもいくつも宝石を取り出して、彼女の枕元に置き、そのまま子供部屋の窓から出て行った。
――なぜ、そうしたのかは、俺でもわからない。
――ただ、この家からは、何も持ち出してはいけない気がした。
昼間は旅商人。真夜中は泥棒。
この後、彼は泥棒稼業をしばらくやめることにした。
再び彼が泥棒として世に出るのは、しばらく後の話。
それはまた、別の時に話すことにしよう。