竜の里の火鍋と、砂の【 】
バグモンスターとの激闘を終えたその夜。
私たちは東の里の活気あふれる夜市へと足を運んでいた。
「さあさあ、遠慮しないで食うよろし! 今日はワタシの奢りアルね!」
無数の赤提灯が並ぶ大通りの一角。
鳳鈴がドンッと木製のテーブルに置いたのは、真っ赤なスープがぐつぐつと煮え滾る巨大な鍋だった。
「これが東の里の特産、『竜神火鍋』アル! 滋養強壮、疲労回復、そして何より最高に美味いよろし! アイリス、いっぱい食べるアルよ!」
「えっ、でもこれ、すごく赤……ごほっ! 匂いだけで目にくるんだけど……!?」
「ふん。我は真祖たる吸血鬼ぞ。人間の食い物など――む? なんだこの香辛料は。悪くない香りがするではないか……」
気高く腕を組んでいたルナリアまで、少し身を乗り出して鍋を覗き込んでいる。
鳳鈴はお構いなしに、取り分けたお椀を私の手にグイッと押し付けてきた。
「いいから一口食ってみるよろし! 飛ぶアルよ!」
言われるがまま、私はおそるおそるレンゲでスープをすくい、口へ運んだ。
「――っ!!」
瞬間、ガツン!と脳天を突き抜けるような強烈な辛味が爆発した。
でも、ただ辛いだけじゃない。後から追いかけてくる肉や野菜の濃厚な旨味、そして何種類もの香辛料が織りなす複雑な甘みが、冷え切っていた私の体を芯からポカポカと温めていく。
「かっ、辛い……! でも、すっごく……」
「美味いアルか!?」
「うんっ……! すごく美味しい!」
私が満面の笑みで頷くと、鳳鈴は「よーし!」とガッツポーズをして、自分の椀にも山盛りの具材をよそい始めた。
ルナリアも「少しだけ味見をしてやろう」と言いながら、ちゃっかり箸を進めている。
美味しい。温かい。
システムに追放されて、一人ぼっちになって。
過去の記憶も、大切な【 】の顔すら思い出せなくなってしまった私にとってこの『団らん』の時間は、まるで奇跡みたいにキラキラして見えた。
「……でも、私」
ふと、胸の奥に不安がよぎって、私はポツリとこぼした。
「私、これからも力を使ったら、色んなことを忘れちゃう。今日食べたこの美味しいご飯のことも、この温かい団らんのことも、いつか……」
俯いた私の背中を、鳳鈴の小さな手がバンッ!と力強く叩いた。
「痛っ!?」
「バカなこと言ってるんじゃないアル! 忘れたなら、また明日食えばいいだけよろし!」
鳳鈴は、口の周りをスープで赤くしながら、太陽みたいにニカッと笑った。
「過去が消えちゃうなら、今からワタシたちといっぱい新しい思い出を作るよろし! お主の頭の容量がパンクするくらい、毎日美味いもん食って、毎日笑わせてやるアル。だから、一人で不安な顔するのは禁止よろし!」
その真っ直ぐで力強い言葉に、私の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……うん。ありがとう、鳳鈴」
ルナリアがそっと私の涙を指先で拭い、微笑む。
「小娘にしては良いことを言う。……我らがおるのだ、貴公は何も恐れる必要はない」
温かい。この人たちと一緒にいれば、私はきっと大丈夫。
心からの安心感に包まれながら、私が再びレンゲを口に運ぼうとした、その時だった。
『――エラー残滓を検知。物理演算の修復を試みます』
不意に、無機質なシステムの声が空から降ってきた。
先ほどの闘技場での戦いで生じたバグの余波か。突然、私たちの目の前にある火鍋の「炎」が異常に膨れ上がり、猛烈な勢いで鳳鈴の顔面へと襲いかかったのだ。
「なっ……!?」
鳳鈴は両手が塞がっていて、避けきれない。
このままじゃ、彼女が大火傷を負ってしまう。
私は思考するよりも早く、世界の裏側へと意識を繋いでいた。
「定義改変!! この暴走した炎の熱を、『心地よい春風』に書き換える!!」
カシャッ。
空間が捻じ曲がる音と共に、鳳鈴の顔を焼くはずだった猛火は、ふわっと優しい風へと変わって消滅した。
「へ……? あ、アイリス、お主また変な魔法使ったアルか!?」
驚く鳳鈴の無事を確認して、私は安堵の息を吐こうとした。
――パキンッ!!!
その瞬間、頭の奥で、鋭いガラスが割れるような音が弾けた。
「あ……」
小さな声が漏れた。
でも、今回は過去の光景が消えたり、戦い方が抜け落ちたりはしなかった。ただ、口の中がひどく乾いたような、奇妙な感覚だけが残った。
「アイリス? 大丈夫かえ? ほれ、鍋が冷める前に食うよろし。そのお肉、お主に譲ってやるアル」
鳳鈴が心配そうに、一番美【 】しそうな厚切りのお肉を私のお椀に入れてくれる。
「うん……ありがとう」
私は笑顔を取り繕いながら、そのお肉を口に運んだ。
そして、ゆっくりと咀嚼する。
「……」
食感はある。温かさも感じる。
でも、先ほどまで私の舌を喜ばせていた、あの強烈な辛【 】も、複雑なスパイスの香りも、濃厚な肉の旨【 】も。
今の私には、まるで砂を噛んでいるように、何一つ感じられなくなっていた。
【 】。
食事を楽しむための当たり前の機能。
先ほど、私が美味しいと感じたあの「竜神火鍋の【 】の記憶」ごと、システムは私の感覚を綺麗にデリートしてしまったのだ。
「……アイリス? どうしたアルか? 辛すぎたよろし?」
私の動きが止まったのを見て、鳳鈴が顔を覗き込んでくる。
ルナリアも、少し不審そうな目で私を見つめていた。
ここで私がおかしなことを言えば、二人はきっと悲しむ。
私のために、こんなに温かい席を用意してくれたのに。せっかく、私の不安を吹き飛ばそうと笑ってくれたのに。
だから、私は。
「ううん……っ、ちがうよ」
私は、砂のように無味乾燥な肉を無理やり飲み込みながら、わざと大げさに涙を流してみせた。
「すっごく熱くて……でも、すっごく暖かくて……涙が、出ちゃっただけ」
「アハハ! 泣くほど美【 】いアルか! ならおかわりもいっぱいあるよろし!」
「やれやれ、忙しない奴だ。ほれ、水を飲め」
笑う鳳鈴と、呆れながらも優しいルナリア。
私は、【 】がまったくしない火鍋のスープをすすり続けながら、「熱いね」と何度も繰り返した。
二人の温もりに救われた喜びと、それをもう【 】として共有できない切なさがごちゃ混ぜになって、私の頬を伝う涙は、夜市が終わるまで止まることはなかった。




