透明な神様と、届かない温もり
『――特異点、およびその随伴データの完全消去を実行します』
神の声と共に、データの海が真っ赤に染まった。
空を埋め尽くす幾千、幾万もの光の剣。それは世界の秩序そのものである神の絶対法則の刃。かすめるだけで存在を概念ごと初期化する、理不尽な死の雨。
「来るアル! アイリス、ワタシの後ろに!」
「我らの命、最後の一滴まで貴公の盾となろう!」
鳳鈴が全竜化の闘気を迸らせ、ルナリアが真祖の魔力障壁を展開する。二人はボロボロの体で、私の前に立ち塞がった。
「ううん、私がやるよ」
私は、二人の前に出た。
心は、静かなままだ。【 】も、恐怖もない。ただ、私の中に定義された「二人を守る」という唯一の駆動プログラム(ルール)が、私の体を動かしていた。
「定義改変!!」
管理者権限の黄金の魔力を爆発させ、私は神の放った光剣の群れを押し留めた。黄金と赤黒い光がぶつかり合い、宇宙空間が悲鳴を上げるように歪む。
『――脆弱なデータの抵抗ですね。ならば、定義そのものを希薄化させましょう』
神の多面体が、冷酷に回転した。
瞬間、私の魔力をすり抜けた数本の光剣が、ルナリアと鳳鈴をロックオンした。
「しまっ――」
間に合わない。二人が概念ごと消し去られる。
――そんなの、絶対に嫌だ!!
私は、自分の存在を燃料にして、無理やり二人との距離をゼロに書き換えた。
二人の体を突き飛ばし、私がその光剣を真正面から受け止める。
ドゴォォォォォンッ!!!
「アイリス――ッ!!」
二人の悲鳴が響く。
光剣が突き刺さった場所から、私の体が、砂のようにドロドロと崩れ始めた。
否、崩れているんじゃない。透明なノイズになって、世界からデリートされているんだ。
急速に消え失せていく、私の右腕。
肩から先が、青白いノイズを走らせながら、跡形もなく消滅した。
「ああ……あああああっ!! アイリスの腕が、腕がぁぁぁっ!!」
鳳鈴が、崩れ落ちた私に駆け寄り、残った左手を握りしめて号泣する。ルナリアも、顔を真っ白にして私の肩の「空白」を見つめていた。
右腕がない。でも、痛みは感じない。
私は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの鳳鈴の顔を、左手でそっと撫でた。
「……大丈夫だよ、鳳鈴」
私は、自分の唇が、勝手に言葉を紡ぐのを不思議に思っていた。
大昔、誰かに読み聞かせてもらった、大好きだった【 】の神様みたいに。
「大丈夫。……私にはまだ、左腕があるから。これで、二人を抱きしめられるから」
「うう……うわああぁぁぁん!! バカアル! バカアイリスアル!!」
鳳鈴が私の胸に顔を押し付けて泣き叫ぶ。ルナリアも、溢れる涙を隠そうともせず、私の左手を強く、強く握りしめた。
『――不確定要素(感情)によるエラー。……ならば、世界との繋がり(感覚)を遮断します』
神の攻撃は、休むことなく続いた。
今度は、冷徹な白い光が私たちを包み込む。
それは物理的なダメージではない。私の「存在の定義」を希薄にし、世界から隔絶させる攻撃。
「……ッ、がはっ!」
ルナリアと鳳鈴が、血を吐いて倒れた。二人のステータスが、急速に「希薄化」していく。このままじゃ、二人は誰からも認識されない、透明な亡霊になって消えてしまう。
私が、二人を世界に繋ぎ止めなきゃ。
「定義、改変……!」
私は、自分自身の「世界との繋がり(感覚)」を代償にして、二人の存在定義を強化した。
カシャッ。
二人の体が、確かな実体を取り戻す。
――だが、その瞬間。
私の中から、何かが、音もなく抜け落ちていった。
「アイリス! 大丈夫アルか!」
鳳鈴が、慌てて私を抱きしめる。ルナリアも、私の背中に腕を回し、強く、強く抱きしめた。
……あれ?
二人に抱きしめられている。その光景は、目に見えている。
でも。
鳳鈴の小さな体の熱も、ルナリアのひんやりとした真祖の体温も。
私を強く握る、二人の手の圧力も。
何一つ、感じられない。
【 】。
【 】という、他者の温もりを感じるための、当たり前の感覚。
システムは、神に挑むバグから、人間らしい幸せの象徴であった「温もり」さえも、綺麗にデリートしてしまったのだ。
「……二人とも」
私は、空っぽの左手で、宙を掻いた。
「今、私に触ってる……? 温かい……?」
私が無機質に問いかけると、ルナリアと鳳鈴は息を呑み、さらに顔を歪ませた。
「……ああ。温かいぞ、アイリス」
ルナリアが、震える声で嘘をついた。
「ワタシたちの温もり、お主に届いてるアルか……? 温かいアルよ、すごく温かいアル……!」
鳳鈴が、涙で声を詰まらせながら、さらに強く私を抱きしめる。
届いていない。
でも、二人がそう言ってくれるなら、きっと温かいんだろう。
「そっか……。よかった」
私は、何も感じない左手で、二人の背中を優しく撫でた。
『――未だに抵抗を続けるか、壊れた人形め。ならば、真実の光でその精神を焼き切りましょう』
神の多面体が、眩いばかりの、世界のすべての絶望(負のデータ)を凝縮した光を放った。
それをまともに受ければ、ルナリアも鳳鈴も、精神が崩壊して廃人になる。
「……行かせない」
右腕がなく、温もりも感じない体で、私は二人の前に立ち塞がった。
自分の視覚野のシステムを全開にして、神が放った絶望の光を、真正面から、すべて一人で受け止める。
パキンッ!!!
「あ、がっ……あぁぁぁぁっ!!」
魂が内側から焼き切れるような痛みに、私は絶叫した。この精神汚染の痛みだけは、私の存在を直接ガリガリと削り取っていく。
やがて光が収まった後。
私の脳内に、新しいエラーメッセージがポップアップした。
『――視覚データの破損。復旧不可能』
視界が、真っ白なノイズに包まれ、やがて完全な暗闇へと落ちていった。
「アイリス!? 目が、お主の目が真っ白アル!!」
「貴公……我らのために、そこまで……!」
二人の、悲痛な叫びが聞こえる。
目が見えない。宙を手探りする私の左手を、誰かが温かく握りしめた。……いや、温かいかどうかは、もうわからない。ただ、誰かが私の手を握っている、というデータだけが、脳内に響く。
「……大丈夫だよ、ルナリア、鳳鈴」
私は、暗闇の中で、二人の声がする方へ向かって優しく微笑んだ。
「大丈夫。……二人の声は、ちゃんと聞こえるから」
右腕はなく、目も見えず、温もりも感じない。
おとぎ話の神様みたいに、私はどんどん透明になっていく。
でも。
「行こう、二人とも。私を……神様のところへ、連れて行って」
私は、見えない瞳で前を見据え、二人の声を唯一の道標にして、神の玉座へと、確かな一歩を踏み出した。
感情も感覚も失った、壊れた人形。
けれど、その人形の胸の奥には、神の計算式では決して測れない、絶対的な「意志」が、静かに、けれど激しく燃え上がっていた。




