失われた女神と、世界の残酷な真実
『ずっと……待っていましたよ。私の愛しいバグ。いえ――この狂った世界を壊す、新しい神様』
脳内に直接響いたその声と同時に、遺跡の最奥に安置されていた巨大な水晶が、内側から光を放ってピキピキとひび割れ始めた。
パァンッ!と音を立てて水晶が砕け散ると、中から現れたのは、六枚の純白の羽を持つ神秘的な女性だった。
彼女がゆっくりと目を開くと、遺跡の淀んだ空気が一瞬で浄化され、春の陽だまりのような暖かさが満ちていく。
「何者だ……! 貴様から感じる力、天使どものようなシステムの尖兵とは次元が違うぞ!」
ルナリアが瞬時に私の前に立ち塞がり、紅い魔力を迸らせる。
「ものすごい気ある! 竜神族のワタシでも震えがくるよろし……!」
鳳鈴も一部竜化の構えをとり、鋭い牙を覗かせた。
二人の過保護な反応に、六枚の羽を持つ女性はふわりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「警戒しないでください、夜の眷属と、竜の末裔よ。私はあなたたちの敵ではありません。……私の名前はセレスティア。かつてこの世界を愛し、そして現行のシステムにその座を追われた『旧神』の最後の一柱です」
「旧神……?」
私が呟くと、セレスティアはゆっくりと宙を舞い、私の目の前に降り立った。
「ええ。アイリス、あなたをここまで導いたのは私です。あなたがその力を使うたびに発生する因果の歪みを辿り、この隠された遺跡の座標をあなたの無意識下に送り続けていました」
彼女がそっと手を振ると、遺跡の空間全体に、光の粒子で構成された巨大な世界のホログラムが浮かび上がった。
「あなたがたも疑問に思っていたはずです。なぜこの世界は、生まれながらにして人の限界が『ジョブ』や『レベル』といった数値で決められているのか。なぜシステムは、規格外の存在であるアイリスを『バグ』として執拗に排除しようとするのか」
セレスティアの悲しげな瞳が、ホログラムの地球を見つめる。
「今の神……現行のシステム管理者は、この世界を『巨大な電池』としてしか見ていません。人々の喜び、悲しみ、努力、そして命の輝き。それらすべてを『エーテル』というエネルギーに変換し、己の神格を維持するために吸い上げているのです。レベルやステータスという枠組みは、人間という電池から最も効率よくエネルギーを搾取するための、ただの管理タグに過ぎません」
「……っ!」
息を呑む私をよそに、セレスティアの視線はルナリアへと向けられた。
「真祖ルナリア。あなたが2000年もの間、人から血を奪うことを拒み続けたのは、決してただの優しさだけではありませんね? あなたの魂は、直感していたはずです。人間の命を吸い上げれば、その人間がシステムに提供するはずだったエーテルごと奪うことになり、結果として世界の寿命を縮めてしまうという残酷な仕組みを」
「……チッ。やはり、あの嫌な予感は当たっておったか」
ルナリアが忌々しそうに舌打ちをする。彼女が飢えに苦しみながらも人間を守り続けた裏には、そんな世界のシステムが関係していたなんて。
「そして鳳鈴」
次にセレスティアが見つめたのは、金色の瞳を丸くしている竜神の少女だった。
「あなたたち竜神族は、現行神が世界の歪みを修正するために作り出した『ワクチン』の末裔です。システムのバグを物理的に破壊するために与えられたのが、その圧倒的な力。だからこそ、本来ならあなたはアイリスを殺すための存在だったのです」
「なっ……ワタシが、アイリスを殺すためのシステムの手先だったアルか!?」
鳳鈴が愕然として自分の拳を見つめる。
「でも、ワタシはアイリスと戦って、こいつの優しさに惚れたアル! ワタシの誇りは、ワタシのもの! 神様なんかの言いなりにはならないアル!」
「ええ、その通りです。あなたたちはシステムという檻の中で、自らの意志で『愛』と『絆』を選び取った。それが、どれほど尊く、美しいことか」
セレスティアは慈愛に満ちた顔で微笑むと、再び私へと向き直った。
「アイリス。あなたはこの世界に発生した偶然のバグではありません。現行神の独裁を終わらせるため、私がシステムの大本に仕込んでおいた『管理者権限の鍵』……つまり、神を殺すための存在なのです」
私が、神を殺すための存在。
だから私は、この狂った世界のルールを書き換えることができる。
だからシステムは、私をエラーとして排除しようと天使を送り込んできたのだ。
「現行神を倒せば、システムは崩壊し、人々はレベルやジョブといった呪縛から解き放たれます。……ですが、それは同時に、世界がこれまでの秩序を失うことも意味しています。そして何より――」
セレスティアの言葉が、重く沈み込む。
「あなたが神の権限に近づけば近づくほど、システムは強烈な自己防衛を働かせます。あなたの記憶が削り取られていくのは、代償ではありません。システムが、バグであるあなたを『初期化』しようとしている防御反応なのです。このまま神に挑めば、あなたは……最後には【 自分自身の存在 】の定義すら失い、完全に消滅してしまうかもしれない」
「……!」
私の肩が、ビクンと跳ねた。
今でも十分すぎるほど怖いのに。これ以上進めば、私は何もかもを忘れ、私という存在そのものが世界から消えてしまう。
ルナリアと鳳鈴の温もりも、先ほど覚え直したばかりの「仲間」という言葉も。
「……それでも」
震える膝に力を込め、私はまっすぐにセレスティアを見据えた。
「それでも、私は行くよ。システムに管理されて、誰かのための電池として生きるなんて間違ってる。ルナリアに2000年も苦しい思いをさせて、鳳鈴の強さを道具みたいに扱う神様なんて、私が全部書き換えてやる」
私の決意を聞いたセレスティアは、少しだけ泣きそうな顔をして、ふわりと私を抱きしめた。
「ありがとう、私の愛しいアイリス。……では、私の持っている『旧神の知識』を、あなたに譲渡しましょう。これで、あなたは神の居城である『天の塔』への道を開くことができるはずです」
セレスティアの六枚の羽から、暖かな金色の光がこぼれ落ち、私の体へと流れ込んでくる。
世界の成り立ち。システムへのアクセスコード。天の塔の座標。
膨大な知識が、乾いた砂に水が染み込むように私の脳内に流れ込んでくる。
――だが、それと同時に。
システムによる強烈な『初期化』の防衛反応が、私の脳を襲った。
パキンッ!!!
いままでとは比べ物にならないほど、大きく、深く、魂の根幹が砕け散る音。
「あ、がっ……あああああぁぁぁっ!!」
あまりの痛みに、私はセレスティアの腕の中で悲鳴を上げた。
「アイリス!?」
ルナリアと鳳鈴が慌てて駆け寄ってくる。
待って。嫌だ。
セレスティアの知識が入ってくる代わりに、私の中から、もっともっと大切なものが押し出されていく。
子供の頃、眠れない夜に【 】が何度も読み聞かせてくれた、大好きな【 】。
『いつか、優しい神様が世界を救ってくれるんだよ』と語り継がれていた、私が一番好きだったあの物語。私が騎士になって誰かを守りたいと思った、その一番最初の原動力。
その【 】のタイトルも、描かれていた挿絵も、優しい声の響きも。
ドス黒いノイズに塗れ、グチャグチャに溶けて、完全に消去されていく。
「あ……れ……?」
金色の光が収まった後、私は虚ろな瞳で宙を見つめた。
「私……何になりたくて、剣を……?」
「アイリス、しっかりしろ! 私がわかるか!? ワタシの名前を呼ぶよろし!」
左右から私を抱きしめる二人の声が、遠くの水底から聞こえるようにくぐもっていた。
神を殺すための知識を得た代償。
それは、私の『過去のすべて』が崩壊を始める、残酷なカウントダウンの合図だった。




