7話
喉が詰まるような戦いの匂い。
木々の隙間を流れる、血の匂い。
全身を嬲る、地獣の威圧感。
それにも怯むこと無く。
剣を構える騎士。
銃を構える軍人。
その勇ましい姿はまさしく救世の戦士だ。
「・・・タフだな」
銃の弾丸を手元も見ずに装填し直しながら、オリンが呟いた。
「恐らく、長く生きた個体だろう。体毛が金属のように硬質化している。硬く、柔軟な毛皮が逆に剣の威力を殺している」
セフィーラが地獣から目を離さずに応える。剣先から伝わる感触は、まるで金属の肌。普段なら弾丸は元より戦車をも寸断する威力を誇るはずの加護による攻撃。それが、ことごとく弾かれる。
地獣もこの世界に住まう生命である。
通常の能力を逸脱したその力は、生態系の頂点に君臨する。
その能力により食う物には困らず、寿命をも伸ばす禍々しき力で人の手にかからず生き長らえた個体も少なくない。
刈り取った獲物の返り血、自らの油。纏う汚れ。様々なものが混じり合い、地獣の体毛は尋常ではないほどに凝り固まっていた。まるで自然の鎧。そのため動きが鈍重なのがせめてもの救いか。
「剣が持つかどうか」
刀身の具合を見るセフィーラも苦い顔をしている。
加護による強化に加え、異常に硬質化した体毛と皮膚。加護による力の負荷で、剣は悲鳴を上げていた。
加護の配分を身体能力、反応速度に振り切った分、剣の強化にまで回せなかった。これは、まだ自分の能力の未熟さ故。セフィーラは己の行動を恥じた。
「こっちは残弾2だ」
「そんな旧式の銃を使っているからじゃあないのか?」
こんな時にまで軽口を叩きあえるのはある意味すごい。
木々を掻き分けるように、地獣の巨体が起き上がった。
地獣も困惑していることだろう。いつもならばその爪を振るっただけで食事にありつけるのに、目の前の獲物を刈り取れない。おまけに腕を奪われて怒り浸透なのだろう。明らかな熱を地獣から感じる。
目は爛々と赤く輝き、眼下の獲物を捉えて離さない。その高ぶる気配は腕を切り落とされてなお翳る様子はない。
明らかに人が発するものとは別次元のそれに、シーアは心が砕けそうになる。それとは真逆の、心臓が支配されている感覚。
「俺がやる。援護しろ」
オリンは手の中の引鉄に指を掛け直す。セフィーラはそれに小さく頷くことで応えた。
一体何を考えているのだろうか。そのオリンの行動はシーアの理解の範疇を越えている。
ふたりはフォーメーションを変えた。
本来は前衛である騎士を後方に。後方支援が信条であるガンナーが前に出る。
地獣が周囲の木々をへし折りながら、駆け出す。
動きは緩慢。だが、速く、重い。体重が乗ったそれで突撃されれば、致命傷どころか全身の骨や内臓が破壊され、吹き飛ぶ。
だが、オリンは冷静だ。
巨大な影がオリンに迫り、その残った腕が空を裂く。
目と鼻の先のオリンへ凶器が振りかざされ、シーアは無惨な光景が広がる想像が頭の中を支配する。
しかし。
地獣の動きが震えた。
刹那の風が吹く。
セフィーラが神速の動きで、残る腕を吹き飛ばしたのだ。
地獣の咆哮が森の中に木霊する。それは、大気すら侵す渦を放っているようで。
信じられない光景は、続く。
オリンの身体が跳ね、地獣の頭部に手を添え。
巨体が揺れ、地響きと共に地獣の巨躯が緑の絨毯となった木々の中に沈む。数キロでは済まない重量の身体を、人間が押し倒した。
そして。
オリンが地獣の頭部に銃口を押し当て。
鈍く、重い音が響き渡った。
熱を放つ螺旋と共に、地獣の額にねじ込まれ。
巻き出る血漿。くぐもる咆哮。
僅かに痙攣する地獣を眼下に捉えながら、オリンは冷静に弾を装填し直し。
無慈悲に、冷酷に、抉り穿つ傷跡にもう一度銃身を添え。
躊躇いなく引き金を、引いた。
森を揺るがす発砲音。
やがて、緩やかに、生ける暴虐である地獣が。
小さな唸り声さえも、上げなくなった。
・・・自分は一体何を見ているのだろう。
人間の天敵である地獣を、人間が下した。
それは、一個小隊が原則であるルールが大袈裟な規則かのように。
たったふたりで。
「倒した、の?」
ピクリとも動かない地獣の姿を見て、シーアは胸を弾ませる鼓動の意味を理解できないでいた。
「・・・いや、完全に貫通はしていない。これだけの巨体だ、頭蓋すら分厚い」
オリンは小さく息を吐くと、腰に銃を収める代わりに、サバイバルナイフを引き抜いた。
「何、を?」
オリンの取る行動が想像できて、シーアは背筋を凍らせた。
「トドメを指す。野放しにしておけば、息を吹き返す可能性がある」
地獣は通常の動物を越えるタフさを持つ。完全に頭部を貫いていないこの状況では、その未来もないわけではない。
鈍く輝くナイフの刀身を、体毛を掻き分け喉元に刃を添える。
「何もそこまで。このまま放っておけば逃げますよ。こんなに痛い目を見たのだから」
そして、もう両腕もない。それはすなわちこの自然界では生きていけないことを示す。餌を取ることも出来ない。人間の強さも思い知っただろう。
シーアの放つ言葉に、オリンの表情が険しくなる。最初に出会った、生気の宿っていないぼんやりとした目とは違う、戦う者の、目。
「それを、お前は保証できるのか?」
最初、オリンの放つ言葉の意味をシーアは理解出来なかった。
「この個体が目を覚ました時、このまま街に近づかないと言い切れるのか?怒りを増さないと言い切れるのか?」
シーアははっとなる。
「牙もある。ぶつかられただけでも十分脅威だ。駆逐する対象には変わりはない」
・・・オリンの言う通りだ。
頭など、丸ごと食われる。足で蹴られたらただでは済まない。何も分かっていないのはシーアの方だ。
オリンは地面に横たわる地獣に目をやり、
「犠牲者が出てからは遅いんだ」
シーアは銃を握る手に力を込める。
「これも戦うと言うことだ。それを否定するのなら、お前は銃を置け」
オリンの手にした、鋭く尖るサバイバルナイフが閃く。分厚く、鉄板のような刃。
オリンは躊躇いなく刃を押し当て。
最初、硬質の金属がこすれ合う不快な音。
嫌な、何かを掻き分けるような音が耳に届き、染み出す鮮血が周囲の緑を赤く染める。
しばらく、肉の裂ける音が響く。
オリンはまるでプロの料理人のように手際よく地獣を解体してゆく。
精錬であるはずの緑の匂いが、不快な赤のものに塗り替えられていく。
ちらり、と目をやると、地面にはバラバラになった地獣の四肢が転がっていた。鼻の奥を揺さぶる、不快でしかない血の匂いも相まって、シーアの視界がぐらりと陰った。
「セフィーラ、手伝ってくれ」
オリンが言うと、セフィーラは背中のマントを外す。
「どれを運べばいい」
「とりあえず毛皮だけでいい。爪は俺が持つ。お前が斬った腕は…。向こうの茂みか?」
素人目から見ても上質なマントに、セフィーラは何の躊躇もなく捌かれた針金の塊を乗せる。当然、マントは血の色で滲んでゆく。
「一体何を?」
ふたりの行動の意味を理解出来ず、シーアは思わず問いかける。
「何って、戦利品を漁っている」
さも当たり前、と言わんばかりにオリンが応える。
「副業みたいなものだな」
追加の注釈したのはセフィーラだ。
「地獣の存在は脅威だが、各部位を覆う毛皮や骨は通常の動物より強固で質がいいからな。ただ、それを得るには相応のリスクを伴う」
それ故、貴重で高値で取引もされている、と続ける。
「でも、マントも真っ赤に。とても安物には見えないのに」
セフィーラのマント、すなわち騎士団に支給されるマントも、加護の力の籠もる高級品だ。
「まあ、いつものことだ。地獣退治にに付き合ってくれている時は必要経費として割り切っているよ」
そう、困ったように笑った。
オリンはナイフをスコップ代わりにして器用に穴を掘っている。そして、その穴に地獣の残りの亡骸を次々に放り投げた。
「肉は持ち帰らないのか?」
「だめだ。地獣の肉は臭くて固い。これだけ成長した個体ならなおさらだ」
「・・・一応食べたのだな」
爪や牙などの素材はお誂え向きに生えている蔓で束ね、縛る。
「ほれ。持て」
その塊を、オリンはシーアへと放り投げた。
断面も真新しい地獣の腕を見ると、落ち着きかけていた目眩が再発しそうになる。
その数分前まで生きていた地獣の片鱗を見ると、改めて目の前で繰り広げられていた光景の異常さが際立つ。
セフィーラは騎士の名に違わぬ強さだった。そして、オリン・ウォーラーもそれに匹敵する、いや、それ以上の底知れなさを感じる。何より、オリンは加護を使っていなかったのだ。
本当に最初に出会った時と同一人物なのだろうか。
とぼとぼと地獣の腕を抱えて歩くシーアに気が付き、セフィーラが歩幅を落とす。
「・・・実戦は初めてか?」
優しい笑みでセフィーラが言う。その言葉に悔しさを滲ませつつ、シーアは小さく頷くことしか出来なかった。
無様な姿を見せた。
新米とはいえ、銃を構えることしかままならず、震えて戦いを見ているだけだった。これではオリンの言う通りだ。戦いに身を置くことなどしないほうがいい。
やはり、実戦と訓練は違う。それを思い知らされた。
「まあ、誰でも最初はそうなる。私も、最初から剣を振るえていたわけではないからな」
セフィーラはそう言うも、そんな姿はとてもじゃないが想像も出来ない。慰めから放った言葉であろう。
「・・・隊長、あんなに強かったんですね」
砦ではおよそ戦闘には向かない、だらけた様子しか見せていなかったのに。
遠間からの射撃が効かないのなら、至近距離にまで近づき、放つ。理屈は分かっていてもそれを行動に移せる胆力。少しでも躊躇いを見せれば命はない。
「・・・彼は、君に説明していなかったのか?」
眉根を寄せ、セフィーラは疑問を口にする。
言った?何を?
「まったく。彼のものぐさは度を越えているな」
セフィーラは呆れたように息を吐くと、前方を歩く男へ厳しい視線を飛ばした。
「別に隠すことでもないし、砦の連中は周知の事実だ。話してもいいだろう」
オリンは後方の会話を聞いているのかいないのか、それを咎めることはない。
「オリン・ウォーラーは『特種』だ」
その言葉に、シーアは一瞬だけ足を止めた。
『特種』。
かつて、大陸を覆った暗雲がもたらしたのは大地の破壊と地獣の存在だけではない。
その劣悪で過酷な環境は、人間の本質をも変えた。
『特種』とは、特別且つ苛烈な環境下で育った人間の総称である。
肉体は元より、神経をも擦り減らす、明日の命も無い地獄のような黒白戦争下は、皮肉にも人間の潜在能力を大幅に引き出した。
人間の精神を削り取る瘴気に耐えうるため、本能的に身体が反応を起こした現象だと後の研究者は語る。
曰く、視力、聴力など人間の五感は研ぎ澄まされたように高まり、肉体は過酷な環境に耐えうるように強固になる。ただし、その力は衛生面、栄養面でも乏しい時代に生きる人間には手に余る代物で。
特にアゾン、ウィルベニアのお膝元ではない、身を守る力も乏しい地域でそれは多く見られた。
自らの力に耐えきれず自害する者。人知を超えた能力に高揚し、半期を翻す者。力に溺れ、自滅する者。
大地を分かつ人と獣の争いで、特種の存在は多く見受けられた。瘴気溢れる大気は、まるで選別をするように人間を飲み込み、それに抗うように生まれたのが特種だという。
大抵の者は地獣に襲われ命を落とす。そうでない者も、混沌に満ちた世界で生きることに絶望し、結局同じ道を辿る。それでも生に執着し、生きながらえた者のみが特種へと覚醒させる。
しかし、前述のような理由でも、天寿を全うした人間は稀だ。
科学的な根拠は未だ全貌が解明されるに至っていないが、特種に覚醒した者は凄まじい戦闘能力を引き換えかのように短命で、平均寿命を越える者は稀だという。その力の残滓に身体そのものが耐えられないというのが有力な説である。
オリン・ウォーラーはその地獄の時代を生き抜いた、最後の世代であるとセフィーラは語る。
黒白戦争が終結に向かったのは、アゾンとウィルベニアの力に加え、公にはなっていないが、特種の存在もあった。
人間の命を奪う大地を血で染める地獣と対等に渡り合える特種の存在は、救世主とも崇められた。しかし、戦争が終われば、その強大な力を恐れる人間は、特種の存在を糾弾し始める。ある意味地獣と対等に渡り合える特種に、普通の人間が恐怖を感じない訳がないのだ。
地獣に向けられていた軍事力、加護が特種への抑止力になっていったのだ。皮肉にも、特種が救った世界に特種が監視されることになる。
「隊長に向けられていた視線に奇妙さを感じていたのは、隊長が特種だという背景があるからですか?」
衛兵や、騎士がオリンに向ける、目。それはただ、アゾンとウィルベニアの軋轢から来るものだと思っていた。
逆だ。
異なる力への、畏怖。
「・・・それだけではないがな」
特種は当時ほどの神格化はされていない。今は軍人、騎士共々、それを制圧できる程の力も備えている。押さえつけられるのが分かっていて暴れる輩はもうこの時代にはいないだろう。
黒白戦争よりも前。
もう、あの頃の無益な戦いの二の舞いは踏みたくないのだ。
血を血で洗うような戦争。それは何も残さなかった。
心を通わせることの叶わぬ敵との戦いを経て、手を取り合うことを求めた。
例え、それが今は仮初でも。
しかし、その意識は時と共に風化する。
この世界は、そんな危ういバランスの上に成り立っているのかも知れない。




