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5話

 砦から緩やかな丘を下ると、ウィルベニアの街並みが迎える。シーアも砦に来る時に経由した街だ。砦の実態が『ああ』だと知る前には、希望に胸を膨らませていたわけだが。

 此処に来た時と同じく、穏やかに吹く優しい風が心地良い。

 シーアはオリンに連れ立って、後に続く。遠くには、尖塔を有する荘厳なウィルベニア城が見える。

 街はのどかで穏やか。牧歌的な雰囲気すら感じられる街中は、世界のしがらみや地獣等の脅威とは無縁のように思えた。それだけ、このウィルベニアが平和であるということ、そしてそれを守護する聖刻騎士団の力が大きいことの証であると言える。

 空は青い。

 流れる雲も、眼下の街の姿を移したかのようにたおやかで。

 街の人は現われたオリン、シーアの軍服姿にもその表情を変えることなく。

アゾンとウィルベニアが争っていたのは過去のことだからなのか。確かにシーアが砦に向かう時にもその姿を咎められることはなかった。

 むしろ、砦の住人の出現に街の人たちは友好的な態度で迎えてくれる。

 オリンたち砦の人間は、この街の住人に受け入れられているということ。でなければ、報奨目当てだろうと依頼を受けることもできないだろう。

 ただ。

「隊長!これが!我々の、仕事なのですか!?」

 そんな気持ちとは逆に、シーアの腕は力強い引力で引かれる。

 シーアの両手からは、一筋のリードが延びている。

 その先には一頭の犬の姿。そのリードは定規で書いた正確な斜線のように張り詰めている。

 割りとサイズのある大型犬だ。毛並みも良い、薄い茶色の犬。散歩できること嬉しいのか、舌を出しながらも尻尾をちぎれんばかりに振り回し、シーアの手の力を容赦なく奪う。

 シーアの問いに、オリンはさも当然のように頭を掻いた。

「まあ、そうだな」

 オリンの今日の仕事は、街の人たちの困りごとの引き受けること。

 この街でも有数の資産家でもある、豪邸に住む淑女からの依頼だ。

 生活に必要な買い物に加え、飼い犬の散歩。飼い主である依頼者は現在、足を負傷して今は愛犬の散歩も満足に出来ない状況なのだという。

 依頼者である彼女からメモとリードを受取り、代わりに買い物へと向かう。

 犬の散歩は、厳しいことを言えば世界の平和となんら関係はない。こうして犬のリードを制御するのを、シーアは自分の仕事だとは思えないのだ。

 納得の出来ない気持ちを、前方から伝わるパワーで引き戻される。

「ジョニーっ!ちょっとは、抑えてっ」

 ジョニーなる犬は、シーアの言葉も耳に入らないかのように元気を滾らせている。

 犬に引きずられるシーアの姿を、街の人間は微笑ましく見守っている。

 ジョニーは街での人気犬なのか、子供たちは嬉しそうに、その茶色の毛並みを撫でたり顔を埋めたり。その僅かな間がシーアの腕と足が休まる時間で。

もう少し子供に犬を預けたい気持ちもそこそこに、散歩は再開された。

 ジョニーが落ち着きを取り戻した頃、買い物も済ませ、今は飼い主の家へ帰宅の路だ。

 手にしたリードを飼い主に戻せたことに、シーアは心からの安堵の息を吐き、残ったのは久しく感じていなかった腕の自由で。

 買った品物を指定の場所に納め、無事に依頼は完了。

 ミス・フローラは、報奨金とは別に、シーアの手の中に飴玉を持たせてくれた。

「ありがとう」と、掛けてくれた言葉に、シーアは今までに感じたことのない気持ちになった。

 オリンは新たに砦に赴任してきた新人だということを説明すると、フローラはさらに「頑張ってね」という激励とともに笑顔を向けてくれた。

 名残惜しそうに尻尾を振るジョニーの姿を背にし、オリンとシーアはフローラの邸宅を後にする。

 そのすぐ後のことだ。

「オリン・ウォーラー!」

 通る、力強い声。

 シーアには聞いたことのない声。だが、オリンはそれに反応し、振り向いた。

 そこには鎧を身に纏った、長身の女性の姿。

 腰まで届く、流れるような黄金色の長髪。腰には一振りの剣を差しており、どこか高貴な佇まいすら伺える。

「・・・セフィーラ」

 オリンが女性らしき名を口にしたことから、どうやら顔見知りではあるようだ。

 こちらに近づいてくる足運びでさえ優雅で軽やか。

「相変わらずだな、見回りか?」

 仕事だ、とオリンは告げるとセフィーラは「感心だな」と薄く微笑んだ。

 そして、その切れ長の目がシーアを捉えた。自分でもドキリとさせられる魅力的な視線。

「・・・この子か?以前から聞いていた、砦の追加人員というのは」

 セフィーラはシーアに向き直ると、右手を差し出した。

 シーアは慌てて自分の手のひらを服で拭うと、おずおずと手を返す。

 ガントレット越しとは言え、その手は直の手のように暖かく、しなやかで。

「私はセフィーラ・レスト。ウィルベニアで騎士を努めている」

 その風貌から騎士だとは推測出来たが、本物を近くで見ることができるとは。

 ウィルベニア聖刻騎士団は世界でもアゾン軍人と対を成す最大戦力だ。

「シーア・ランベル、であります」

 語尾が失速していくのは、ハルーとは違う大人びた魅力に目が奪われていたのが主な理由だ。

 騎士。

 アゾンの銃火器の開発、製造を端にする軍備増強の気風も構わずに、ウィルベニアは剣を振るうことを貫いた。何より剣にこだわった。剣を捨てることをしなかった。

 騎士道主義という、堅固な信念がもたらす魂に、騎士の誇りは綻びはなく、精神に陰りはなく。

 遠い間合いから放たれる銃弾に、騎士は無力であったはずだ。かつての騎士はアゾンの生み出す銃火器によって一時は衰退の一途を辿ったはずだった。他国も剣を捨て、銃を手にし始めた。

 それが現代に置いては立場が復権したのは『加護』という技術が生み出されたからだった。

「今、極秘任務が終わったところだ」

 オリンは皮肉めいた言葉と共に、ミス・フローラの邸宅の方向を目で差した。それでセフィーラは察したようだ。

「はは、大した任務だな」

 セフィーラもそこに住まう犬の姿を思い浮かべたのだろう。

「私は顔を舐め回されたぞ」

 セフィーラは苦笑いを浮かべている。

 シーアは不思議に思っていた。

 アゾンとウィルベニアは友好国という頼もしくも危うい関係で体裁はとっているものの、その下アゾン軍人とウィルベニアの騎士の関係というものは敵対関係に近しいものであるというのが一般的な意見だ。それにしてはオリンとセフィーラの仲は友好的に見える。

 軍人は、不可思議な力で間合いを取り、銃弾すら超える速度で鉄の塊である戦車を容易に切り裂く力を得た騎士を疎ましく思い、騎士はかつてその地位を兵器の力で上り詰めた軍人を快く思っていない。

 今のオリンやセフィーラの預かり知らない時代の話だからと割り切っているからなのだろうか。

 オリンに向けられる笑顔は敵意のない穏やかなものだし、親しい友人だと言われたらそこに疑う余地はない。

 そんな、ふたりの談笑をシーアは隣で見ていると、遠くから何やら声が聞こえた。

 セフィーラを呼ぶ声は、やがてこちらへ近づいてくる。

 鎧を纏ったふたりの鎧姿の兵士の表情は血相を変えていて。

「何事だ」

 オリンに向けていたものではない、鋭く厳しいものにセフィーラは表情を変化させた。

「ウィルベニアの外で哨戒任務の兵からの報告です。地獣の影を確認のこと。種は不明。すぐさま帰還し、討伐隊の編成を」

 地獣。

 それは世界に脅威をもたらす獣の名。

 神の使いにも等しい天獣より枝分かれした怪物。かつて大陸を覆った黒雲が生み出し、残した異なる怪物。

「本部にはもう報告は済んでいるのか?」

「いえ、その途中でレスト様をお見かけしましたので・・・」

 セフィーラは僅かの間を逡巡し、口を開く。

「わかった。君たちはそのまま城へ戻って報告を」

「レスト様はどうなされるので?」

 セフィーラは腰に掛けた剣に手を添え、

「私が先行し、対応しよう。詳しい場所は」

 セフィーラのその言葉に、兵士の表情は一変する。

「おひとりで、ですか!?無茶です!地獣の討伐は種に関わらず一個小隊での行動が原則。それを無視するなど」

 兵の焦りはもっともだ。

 加護の力があるとはいえ、地獣の能力は脅威の一言。騎士がひとりで立ち向かうことは褒められたものではない。それは勇気ではなく、無謀だ。

「君たちの目はどこに付いている?戦力ならここにいるではないか」

 セフィーラが返した言葉と共に、その手がオリンの肩に載せられる。それにはオリン本人も驚いて。

 兵士もオリンに目を向けるも、その表情は納得いっていない様子だ。そのことはシーアも同感だった。

「・・・ウィルベニアの騎士が、アゾンの力を借りるので?」

 疑念に満ちた兵の顔。

 それは騎士という存在に誇りを持つウィルベニアの人間にとって、もっとも屈辱的なもの。

「君たちからの報告を受け、私の独断で討伐に向かった。その場で偶然彼と共闘することになった。理由としてはそんなところでどうだ」

 さも自然に、セフィーラは共闘の理由をでっち上げる。

「当然、討伐した手柄は我々が戴く。それなら文句はないだろう?騎士団の体裁も守られる」

 無論これはオフレコでだ、と付け加えて。

 兵士ふたりは顔を見合わせる。ここでは判断しかねる。そんな表情だ。

「・・・とりあえず、我々は報告に戻ります。くれぐれも無理はなさらないように」

 地獣の出現した場所と、「すぐに増援を向かわせます」という言葉を残して、兵士は城の方向へと向かって駆け出して行った。

「・・・俺の意思は無視なんだな」

 心底憂鬱そうにオリンは溜息を吐いた。

「これは思いかけずに転がり込んだ、君たちにとっても有益な仕事だろう?」

 言いながら、セフィーラは腰に差した剣を抜き、感触を確かめる。手入れが行き届いているかどうかを改め、流れるような仕草で剣を鞘に納めた。

「正気ですか?隊長っ」

 口を開いたのはシーアだった。

「地獣退治だなんて、危険すぎます」

 加護使いの騎士はともかく、オリンが地獣を下せるほどの能力を有しているとは思えない。

・・・それに、この女性騎士はオリンに協力を頼んでおきながら、手柄は騎士団のものだと名言したのだ。ならば、なぜオリンに協力を申し出たのか。そもそも戦力として捉えていないのか、理解に苦しむ。

「新入り。砦に戻って地獣退治に向かったと報告しに帰れ。ハルーならそれだけで解るはずだ」

「私の話、聞いていましたか?」

 シーアの抗議の声、怒気を孕んだ言葉もオリンは聞いていないかのような涼しい顔。

 それは、シーアは戦力として数えられていないという意味でもある。

 シーアは意を決したように顔を上げる。

「私も行きます」

 その言葉に、オリンとセフィーラは顔を見合わせた。

「・・・お前にはまだ無理だ」

 確かにシーアは地獣どころか、人間相手も元より、獣や動物にも銃口を向けたことはない。戦闘のイロハは紙の上の文字でしか理解していない状態だ。ただ、ここで素直に砦に戻る選択肢はシーアにはなかった。

「私だって軍人の端くれです!こういう戦いを経験しておくのも大切だと思うんです!」

 軍人の本分は民のためにあり。

 平和を脅かす災厄が訪れたのなら、それに対して速やかに対処するのが軍人の役目。ならば例に漏れず戦うべきだ、とシーアは考えている。

 銃の撃ち方も学んだ。実戦経験はまだないけれど、これから積んでいけばいい。今日がその日だと思えばいい。

 どうしたものか、とオリンは頭を掻く。

「脅威が街を襲ったら、平和は脅かされます」

 ミス・フローラも、足が治れば自分で散歩をさせたいだろう。地獣の脅威が膨らめば、この国を再び暗雲が襲うかもしれない。

 シーアは真摯な眼差しでオリンを見る。

 容易く命を奪う存在を、シーアは許しては置けないのだ。地獣も、そのカテゴリの中に当然いる。

「連れて行ってやればいい。これも経験だ」

 助け舟を出したのはセフィーラだ。

「いざとなれば君が守ればいい」

 意地悪そうな笑みでオリンを見る。 

 オリンは諦めたように嘆息し、

「・・・武器は携帯しているんだな?」

 オリンが問うと、シーアは力強く頷いた。

 ホルスターに差した銃はまだ新品の域を出ない。特殊鋼のサバイバルナイフも、まだ持ち主の顔を映すぐらいの鏡面を保っている。ただ、手入れは欠かしたことはない。

 その目の奥にある決意を確認すると、オリンはシーアを砦に追い返す言葉を放つことはなかった。

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