4話
燃え盛る視界。
立ち込める黒煙。
幼き日の自分が泣き叫んでいる。
それで、「ああ、これはいつもの夢だ」とシーアは確信し、ある意味安堵する。
恐ろしいほどの冷静さに自分でも驚く。
なぜなら、これから繰り広げられる惨劇は変えようのない事実で、夢の中で起きる出来事に過ぎないからだ。
それをシーアは幾度となく見てきた。
巻き戻る時の中で、これを変えようともがいてきた。だが、それは所詮夢で。自分の頭の中に投影された過去の事実は、仮に変えようとも現実の境遇が変わる訳では無い。
シーアは、それに対して無力感を抱き、眺めていることしか出来ない。
真っ赤に輝く炎。
建物を容赦なく火の手が襲っているが、俯瞰で見ている自分は熱くはない。それが、無慈悲な夢だと認識させられて。
目の前には、崩れ倒れているふたつの影。
まだ若い、男女。
折り重なるように抱き合う。それは既に物言わぬ姿となったシーアの両親だ。
ふたりとも腹部を刺され、大量の出血が大きな血の海を作り、痛々しくも床を染め上げている。
完成されていない物心の中にある、自分に刻みつけられた、もっとも幼い記憶。
強盗に襲われ、金品を奪われた挙げ句に、家を焼かれた。
唯一救い出されたシーアは、後に事情を聞いた時、そのことが理解が出来なかった。
年を重ねていく度、自分が置かれた境遇を理解し始めるのと同時に、怒りが沸いた。
何の非もない人間を力で押さえ付け、傷つけ。そして、他人の物を奪い去る。
決して裕福ではなかったけど、それなりに幸せだった。なぜなら、記憶がなくとも、両隣の父母に挟まれ眠るベッドがどれだけ暖かったかを覚えているから。
今は、ベッドの隣に誰もいない。体温の温かさはない。心の底から満たされる笑顔も、もうない。
もう、自分のような存在を生み出したくない。
だから、シーアは軍人になったのだ。
悪しき存在を打ち砕くために。
見知らぬ部屋でシーアは目を覚ます。
いや。
ここは昨日から自分の部屋になった砦の一室だ。
額にいつの間にか浮かんでいる汗を袖で拭い、シーアは息苦しさから開放されるようにベッドから身体を起こした。
窓から見える景色は、軍学校の宿舎でも、かつて居た故郷でもない。
ベッドから降り、着替えを済ます。
ここがどこであろうと、今日から軍人としての生活が始まるのだ。
そんな決意を胸に、シーアは扉を開けた。
「おはよぉ〜。シーアちゃん」
そんな言葉と共に笑顔を振りまくのは、手にしたカゴに山盛りのトマトを乗せたハルーだ。
瑞々しい果実に朝日が煌めき、鮮やかな赤を際立たせている。
「準備が出来たら食堂に集合ね。朝ご飯はちゃんと食べましょ〜」
砦の中庭と屋上には、ハルーの育てている家庭菜園があり、それだけでなく、外にも畑があるらしい。
ハルーから昨日告げられた衝撃的な事実。
今はもはや、第0部隊はアゾンの最前線としては機能していない現実。その弊害は、給金を別にして砦に回される資金は雀の涙で。運用費、維持費などは自分たちで賄わなければならないという点。
この砦の住人は軍人としての仕事の他に、別の仕事を請け負って、砦の運用に回しているのだという。それが砦に必要なことならば、シーアもやぶさかではない。
洗面所で顔を洗うなど準備を終え、食堂に向かう。食堂に近づくにつれ、いい香りが鼻に漂う。
砦の食事事情を一手に引き受けるのがハルーで。
テーブルにはここで取れたであろう野菜を乗せたサラダや、スープが並ぶ。
いい香りの最たる原因は、砂糖を混ぜた卵液に浸したパンが焼ける、甘く香ばしい匂い。
縦長のテーブルに、砦の住民が集結している。
「おはようございます、シーアさん」
笑顔を送ってくれるのはセレネだ。
ハルーを手伝い、テーブルに水の注がれたグラスを置いている。慌てて自分も何か手伝うことがないかと視線を巡らせるも、あとはもはや住人が椅子に座り食事を待つのみだった。
ハルーに告げられた、この砦で過ごす上でもっとも大切で、守るべきことは、食事は砦に住む人間が集結してから食べる、というものだった。
事情があり出払っている状況下や、体調不良時等を除いては、それがこの砦での絶対的なルールなのだという。
「それは、軍の規律よりも重いものよ〜」と、ハルーは冗談っぽく微笑んだ。
「さあ、みなさん準備はいいですか〜?」
ハルーが最後の空席に腰掛け、揃っているメンバーに視線を向ける。
ハルーの対面にはセレネ。ハルーの隣にディルノ。その対面にシーア。
上座にはオリン。それを挟んでフーリー。
湯気と甘い香りの立つフレンチトーストが人数分皿に乗っているが、何故かフーリーの皿だけ、どうやって調理したのかほぼ一斤に近い立方体だ。
そんな立方体の上で踊る、熱で溶けるバターの流動を、フーリーは目を輝かせながら凝視している。
てろり、と口元から零れ落ちそうになるよだれを、相変わらず彼女の体格にしては大きすぎる白衣の袖で拭いつつ、ナイフとフォークを手に切り分けようとする。
「こら、フーリーちゃん。まだですよ」
ハルーにたしなめられ、フーリーは不満顔を滲ませるもその言いつけを守り、ナイフとフォークの柄をテーブルに打ち付けつつ硬質の音を奏でながら早くしてくれという講義のポーズ。
「オリンくん、お願いしまーす」
ハルーが促すも、オリンはいまだ眠気と戦っているようで。
オリン・ウォーラーには爽やかな朝の空気を享受しようとする気概が感じられない。
「・・・じゃあ、いただきます」
オリンは気だるげに言うと、その言葉をきっかけに、朝食が始まった。
セレネは丁寧に両手のひらを合わせオリンと同じ言葉を放ち。
ディルノは無言だが、ちゃんと同様に手を合わせている。待ってましたと言わんばかりに、フーリーは「いただきまぁす!」と元気に宣言すると、立方体の解体に取り掛かる。
「頭を使うと、甘いものが欲しくなるのだ」
フーリーの、他のメンバーとは違うおよそその小さい身体に収まりそうにない大きさに、シーアは改めて驚きの目を向けていると、切り分けたパンを大きな口を開けて頬張る。
もぎゅ、もぎゅと頬を動かすフーリーの顔は幸せそのものだ。
慌ててシーアは手を合わせ、いただきますと小さな声で感謝の念。
銀のナイフで切り分け、フォークでフレンチトーストを口の中に運ぶ。
とろけるような甘みが口いっぱいに広がる。身体の奥底から極上の幸せが湧き上がってくるようだ。
「シーアちゃん。お味はどうかしら?」
ハルーのニコニコ笑顔が眩しい。
「お、おいしいです」
昨日の歓迎会の食事もハルーが手掛けたのなら、その料理の腕は相当なものなのだろう。一軍人の手の収まらないものだと思うのは、素人意見だろうか。
サラダに掛かるドレッシングもハルーのお手製だと言うし、その腕にもはや疑いはないだろう。
軍学校での食事はこれよりも大人数ではあったが、食事中は会話をすることも許されないほどに厳しかったから、昨夜の食事も含めて初めての感覚だった。
「遠慮しないで一杯食べてね」
言うが早いか、ハルーは甘いソースで汚れたフーリーの口元をナプキンで拭う。
フーリーはくすぐったそうに目を細めるも、すぐさまフレンチトーストの解体作業に戻る。
「オリンくん。いつもの淹れますね」
ハルーは機械でゴリゴリと音を立てながら豆を粉に破砕し、それに熱湯を注ぎ、香り高い湯気を作る。
マグカップに濃い琥珀色を注ぎ、それをオリンの前へ差し出す。
次いで砂糖とミルクで調味したものをディルノにも渡すも、ハルーの表情は険しい。
「ディルノくん!お野菜も食べなきゃダメだよっ」
ハルーの注意を鬱陶しそうに、ディルノは細い目で返す。そして、当てつけのように緑の葉野菜にフォークを突き立て、それを口の中へ不服そうにねじ込んだ。
「セレネちゃん、お水のおかわり、いるかしら?」
「あ、頂いていいですか?」
甲斐甲斐しく世話を焼くハルーの姿はまるでお母さんみたいだ。
そんな姿を見とれていたのを思い出し、シーアは慌てて食事を再開させた。
フーリーのフレンチトーストが量的に一番多かったのにも関わらず、その立方体は既に瓦解の一途を辿っている。
「では、食べながらでいいので聞いてくださぁい」
ハルーの目の前にはまだ料理の皿が残る。世話焼きに加え、食事ですらのんびり屋らしい。
「朝の定例会ですが、本日も個々の仕事に従事してください」
以上でーす、と言い残し、ハルーは口に運ぶ料理に満足そうに顔を綻ばせる。
「あ、あの。それだけですか?」
軍人の本分とは、市民を守るための活動が主。ここは自国ではないウィルベニアであろうと、それは変わらぬ信念であるはずだ。
「ウィルベニアの騎士さんは、とっても優秀ですもの〜。わたしたちの出る膜じゃないわ〜」
・・・ならば、自分たちの存在意義とは?
ハルーの言う通り、騎士道主義を貫き通したウィルベニア有する聖刻騎士団は、世界でもその能力の高さで名を馳せる。中でも加護という技能を使いこなす、ウィルベニア最高戦力は特にアゾンだけでなく外海にまで轟いている。
「ウィルベニアの平和は彼らに任せておけば大丈夫よ〜。わたしたちはわたしたちのやるべきことをしましょ」
ハルーはそれがさも当然かのように、言った。
「さっきも言ったけど、この砦には本国からの支援金はほぼないの。だから砦の維持は、自分たちでやらなきゃならないの。それが出来なくなったその時が、相互送兵の終わりなのかもね」
と、重大なことをさらりと言ってのけた。
「セレネちゃんは街の診療所で衛生兵のスキルを生かして看護師として働いてもらっているの。ディルノくんは街で困っている人の頼み事を請け負ったり」
そして、ハルーは自分たちで食べる分以外の野菜を売る、と。見事に軍人とは関係のない仕事ばかりだ。これではまるでなんでも屋ではないか。
そこに砦の懐事情の厳しさが垣間見える。
「シーアちゃんも、お手伝いしてくれたら嬉しいわぁ」
野菜作りでもなんでも、それがアゾンのためになるのなら従おう。例えばそれが長期の戦闘を見越した食料調達のためならば喜んで請け負おう。
ただ、アゾンはここへの予算を回していない。それは相互送兵をもはや重要視していない証拠ではないか。
納得のいかない物を感じながら、シーアは僅かに頷くことしか出来なかった。
「では、行ってきますね」
セレネは街の診療所へのバイト。
「我も仕事するかのー」
と、満腹による表情をだらしなくとろけさせているのがフーリーで。
この砦は三階建てではあるが、地下にもフロアがあるという。ただ、そこはほぼほぼフーリー専用階であるらしい。
「フーリーちゃんが地下に籠もる時は近づかないようがいいよ」、とハルーは謎のアドバイスを残す。
「俺は商団の護衛が入っている」
ディルノは気だるそうに砦を後にする。
人を見た目で判断してはならないが、とてもじゃないがディルノでは務まるような仕事には思えない。
そんな砦を去る人間を見送りながら、シーアは不可解な感情に包まれるのだった。
「オリンくんも依頼が入っているんだよね」
さっきのシーアの不安が的中したように、オリンは街の人間から複数の依頼を請け負っているのだという。
「シーアちゃんも、街に慣れるという意味で付いて行ってみたら?人ではいくらあっても困ることはないし」
と、ハルーは言った。
ならば見せてもらおう。
戦うだけではない、アゾン軍人の平和な世界での生き方を。




