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3話

「ここに居たのね〜」

 間延びしたハルーの声が空に溶ける。

 ハルーの後に続いて足を踏み入れた場所は、屋上だった。

 三階の更に上。

 本来は異変をいち早く察知するために周囲の様子を伺う櫓のような役割も備えていたのだろう。

 今は細い柱が空へと延び、様々な形、布が柔らかな風に揺られて泳いでいる。いわゆる洗濯物干し場として利用されているようだ。

 それだけでなく、屋上にも花壇が並び、花ではない緑が彩る。

 そんな中、ひとりの男であるらしい軍服が、ウッドチェアに寝そべっている。

 年の頃なら20代後半。ハルーと同世代だろうか。

 背はハルーより高いが、ディルノよりは小さい。黒髪が、ゆっくりと流れる風に小さく揺れている。

 シーアは憂鬱になった。

 ここに来てからまともな人間に出会っていない。

 方向音痴に、昼間から酒をあおる男。そして、職務を忘れ寝ている男。

 軍人としての規律や誇りはどこにあるのだろうか。

 ハルーの呼びかけに気がついたのか、男は僅かに目を開け、声の先にあるまだ眠そうな視線を向ける。

 ハルーはシーアを連れ、ウッドチェアへと近づき。

「こちら、この砦を率いる、シーアちゃんの言葉を借りるのなら、『第0部隊の隊長』さん」

 にこり、とはルーの笑顔がシーアの眼下の寝そべっている男へと向けられた。

 男はゆっくりと上半身を起こし、寝ぼけ眼を力だけで支え、困惑しているシーアに向かって半眼を差し向ける。

足元から上へ。シーアの半ば呆れにも似た表情をその目に収めると、男はゆっくりと口を開いた。

「・・・オリン・ウォーラーだ」

 それだけを言うと、オリンとやらはウッドチェアに背中を預け、再びまぶたを閉じたのだった。

 シーアの胸に去来する虚しさ。

 軍人は自分を律し、欲に溺れず、強くあるべし。少なくとも、シーアの思い描く軍人像はこんな自堕落な行動など見せない。

 穏やかすぎて方向感覚に難あり。目付きの悪い男は昼間から酒に溺れ、隊長と名乗る男は職務を忘れ寝ているときた。これが軍人であっていいのか。これが民を守る盾であり、銃であっていいのか。

 正直、失望に近い感覚だ。

 まだ、シーアは彼らの人となりを知らない。それだけで不信を抱くには早計だろう。

「オリンくん。後でシーアちゃんの赴任の書類とかへの署名とか、よろしくね」

 オリンくん、ときたものだ。

 部下から尊敬をされていないのだろうか。ハルーは階級のない気安いところだとは言っていたが、やはりどれだけ親しく仲が良かろうと、厳しくするべきところは締めるべきだと思うのだ。

 それが「分かった」、の意だと思われる手を振りながら、オリンは再び目を閉じる。

 シーアは屋上に来た時とは真逆の、背中を深く丸めながら、階段を降りる。

 その最中、変わらぬ穏やかな足取りで際を行くハルーを見る。

「ハルーさんは、不思議に思っていないのですか?」

 シーアの問いかけに、ハルーはくるりと振り返った。

「なにがかな?」

 シーアの胸の内を知ってか知らずか、対象的にハルーは笑顔も相変わらず能天気そのものだ。

「本当に、ここは軍隊なのですか?」

 思い描いていた理想像が砕けた時、そこに残るのは大きな喪失感で。

 そして、疑念。

 自分は本当にここに属し、彼らに付いて行っていいのか。

 シーアのやりたいこと、望むことはここにいては出来ないような気がして。

 シーアの問いに、ハルーは顎に指先を当てて、考え込む。

「んー。軍隊かもだけど、そうじゃないのかも」

 なぞなぞみたいな答えに、シーアの目の前は真っ暗になった。

 世界には、あらゆる脅威が山積している。

 地獣の脅威。

 それは、黒白戦争という異常な時代が遺した人類の敵。

 各地で起こる紛争を始め、その脅威は人ならざるものだけによるものではない、人間同士の諍いも含まれていて。

 弱き人を貶める存在は、指に上げれば暇はない。

 シーアが軍人になったのは、そんな戦う力のない存在に成り代わり、降りかかる脅威から守りたいからだった。

 アゾンは世界有数の武装国家。そして、第0部隊はその最前線であるはずだ。

 ハルーはそんなシーアの僅かに残る希望を打ち砕くように、さらに追い打ちの言葉を掛ける。

「さっき、便宜上は軍隊なんていったけど、ここはもう軍としての権限はないわよ」

 シーアは残った希望とともに、ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

「じ、じゃあ、一体何なのですか、ここは!」

 シーアの心からの問いかけ、ハルーは困ったような笑みを浮かべるのみだった。


 シーアに当てがわれた部屋は、殺風景なベッドだけが備え付けられた無機質な空間だった。

 石壁で囲まれたその部屋で、シーアは大きく溜息を吐いた。

 聞けば、この砦は軍隊の施設としては大きくその活動を狭めているという。

 相互送兵制度のため、アゾン、ウィルベニアの兵力を互いの国に送り合い、強力という名目の監視を続けてきた。 

 そこに国の思惑があるのはまだ未熟で幼いシーアでも解る。素直に頼もしいと思えないのも、軍属に就く今でこそ知ったことだ。

 だが、その制度で平和が保たれているのなら、それでもいいと思っている。 

 今、争うべきなのは人同士ではないからだ。

 もっと排除しなければならない脅威はある。それに立ち向かうため、シーアは軍人になったのだ。

 だが、シーアに突きつけられたのは厳しい現実だった。

 アゾンが構えられた砦を利用し未だ部隊を置いているのは、既に消えかけている相互送兵を辛うじて維持しているだけだった。その目的は、共闘ではないのだろう。第0という部隊を置き、ウィルベニアへの牽制と考える方が自然だろう。

(そりゃないよ・・・)

 今から他の部隊への希望を出しても、それが通るとは考えにくい。その進言がすんなりと通るほどわからない頭ではないと分かっているつもりだ。

 だから、ここに残るしか今のシーアには選択権がないのだ。

 嫌がおうにも、ここでシーアの生活は始まる。

 シーアは決意を込めるように、両頬を自分の手で挟んで、はたいた。

 私が、人を守るんだ。


「シーアちゃん。ちょっといいかしら〜」

 背負ったリュックの中の荷物を整理している時、数回のノックと共にハルーの穏やかな声が扉の向こうから聞こえた。

 これからの生活に不安を抱いていた頃だ。ハルーの声はなるほど癒やされないでもない。柔らかくも温かな声質は、心に伸し掛かる重圧を溶きほぐしてくれるようだ。それが根本的な解決にはいたっていないが。

 扉を開けるとハルーの顔。それと同時に微かにいい香りが漂ってくる。それが、ハルーから醸し出す匂いだと言われても、シーアは疑いはしないだろう。

「ちょっと付いてきてもらえるかしら」

 そう言いながら、ハルーはシーアを手招きする。

 微かに感じる良い香りは、ハルーに連れられる度に大きくなる。まるでそれはハルーが道に迷わないように漂ってくる道標のようで。

 連れられた先は、食堂へと繋がる扉の前だ。

「あ、ちょっとここで待っててもらえるかしら〜」

 ハルーの後に続こうと、シーアも食堂に入る寸前で、何故か扉が締め出される。

 その理由を頭で理解しようとする間もなく、すぐに扉は開けられた。

 おずおず、と言った様子でシーアが部屋の中へ顔を覗かせると。

「第0部隊へようこそ〜」

 大量の破裂音が響き渡り、シーアは一瞬身体を竦ませる。それが紙テープを撒き散らすクラッカーによるものだと気がついた時に、そこに数名の影が見えた。

 さらには、テーブルの上には豪華な料理が並べられており、温かな雰囲気を増幅させている。

 オリン、ハルー、ディルノ。そしてシーアの見知らぬ顔が一様にシーアを見ていた。

「今日はシーアちゃんの歓迎会でーすみんなでお祝いしてあげましょ〜」

 太陽のような笑みでハルーが高らかに宣言する。

「あの。はじめまして、ですね」

 そんな中、ひとりの女の子がやや緊張した面持ちで前に出る。

 藍色のロングヘアを三つ編みでひとまとめにした、穏やかそうな女の子だ。

 柔和な笑みの中に見える緊張からか、初めて顔を合わせるシーアの目の前にしてか、そこに硬さが垣間見える。

「セレネ・ベスペロワです。この砦で衛生兵をしています。よろしくお願いします」

 そう言って、セレネは深々とお辞儀をした。シーアも、それに釣られて慌てて頭を下げた。

 シーアは内心ホッとした。同じくらいの年齢の女の子がいるのは気が少し楽になる。

 衛生兵とのことで分野は違うが、仲良く慣れるといいな。

「えー。この度砦に新しい家族が増えまぁ〜す」

 のんびりと柔らかい口調でハルーはグラスを高らかに掲げる。

 オリン、ディルノ、セレネ。そしてシーアはそれぞれの飲み物が注がれたグラスを手に取る。

「それを祝して、かんぱぁ〜い」

 かくて、砦には陽気な声で満ち溢れたのだった。


 夕食を兼ねた、シーアの歓迎会。

 食事でも何でも、今まで集団で規則通りにしか行ったことしかないシーアにとっては、それはどこかくすぐったいものであり、それと同時に温かいものでもあった。

 ハルーはおせっかいのように、「これもどうぞ!」「食べて食べて〜」と、料理や飲み物を勧めるハルーに少しだけ困惑するも、悪くないという気持ちもあるのだ。それは今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。

 と、シーアはグラスの水を口をつけようとした瞬間、ぎょっとする。

 部屋の入口の方を見ると、何かが居る。

 それは人の姿を象った、ぼんやりとした白い影。

 ふと、シーアはいわくつきのなにかだと頭をかすめる。

 この砦は築数十年を悠に超える建造物だ。黒白戦争も体験している。何かそういうモノだという可能性もなきにしもあらず、だ。

 だが、それが霊的な何かではなく、人であることが判明する。

 年の頃なら10代。いや、一桁代にも思える。それくらい小さく、幼い。

 色素の薄い白い肌に、銀色に近しい白髪を無造作に後でまとめている。

 子供にしか見えない背丈に、羽織った白衣と髪の毛が床に擦れ、どこか人間味がないのがシーアが人ならざるものに見えた原因だろうか。

 シーアが戸惑いを隠せないまま、白い影がずりずりと衣擦れを起こしながらパーティーの中に混じろうとするのを、ハルーが気づく。

 どうやら見えているのが自分だけではないのだと、シーアは安心した。

「フーリーちゃん。起きてたんだ。いらっしゃい、シーアちゃんを紹介してあげる」

 まるで幼稚園児と接しているかのようだ。

 白銀の髪で僅かに隠れた顔は、髪の色と同じくらいに青白く、生気が無い。

 透き通るような、なんて陳腐な言葉は使いたくなかったが、それくらいきめ細やかで儚げだった。

 着ている衣服は医師のような白衣で、それがただ子供がませている用に思えて、可笑しさすら感じさせる。

 ちらり、とフーリーと呼ばれた少女がシーアを見る。

 ガラス玉のような瞳は、シーアの姿を完全に写し取るくらいに透き通っていて。まるで作り物の人形のようだ。

「こちら、今日からここへ住むことになったシーアちゃん。仲良くしてあげてね」

 シーアの目の前の少女は、外見こそ自分の半分くらいの見た目だが、オリンやハルーという例もある。まともな人間だと思っていない。きっと、一筋縄でいかないだろう。

「よ、よろしく」

 警戒にも似た表情で、且つそれを悟られないように、シーアは右手を差し出した。

 それに応えるように、白衣の袖を縫って細く、小さな手のひらが延びてくる。

 それをシーアは握り返した。

 少なくとも、この少女が幽霊などではないと確信した。少女の手が、自分の手をすり抜けることがなかったからだ。

 ただ、その手が恐ろしく冷たかったことを除けば。

・・・本当に幽霊じゃない、よね?


 シーアを中心とした会の時間はつつがなく進んでゆく。

 確かにハルーはおよそ軍人ではないほどに穏やかで。

 流石に酒は抜けているであろうディルノのか細い体躯は、拳銃が握れるかと思うくらい華奢で。

 ぱくぱくとケーキを貪り食うフーリーはこの砦に住む妖精か何かだろうか?

 未だ眠そうなオリンに、果たして戦闘能力が存在するのだろうか。

 口の中に運ぶ食事の味が、目の前の光景を見ているとまるで味が無くなっていく気がして。

 隊長であるオリン・ウォーラー。

 副隊長、ハルー・アロリア。

 隊員、ディルノ・ザッカード。

 衛生兵、セレネ・ベスペロワ。

 フーリー・ヴァルシュタインが博士号を持つ科学者だというのは流石に嘘だろう。

 これが、第0部隊の全人員であった。

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