1話
小高い丘に、巨大な砦が見える。
黒。白。灰。
様々な色の混じった石の塊が積み上げられ形作るのは、丘の上にそびえ立つ堅牢な巨大施設だ。
かつて昔の時代に作られたそれは、凄惨な時代を監視する役目を終え、悠然とその先にある人々の暮らしを見守っていた。
子供が大人になるほどの年月を重ね、砦を形成する石壁も風雨にさらされ続け、やがては角も取れ、城壁に丸みを帯びている。
そこにはもはや争いを繰り広げていた時代の凄惨さの面影はどこにもない。
そんな砦を、丘の下から見上げるように佇むひとりの少女の姿が。
オリーブ色の軍服はやや大きめであるらしく、袖や裾がその小柄の身体にまだ収まっていない。
背中には服の色を濃くした色のリュックが背負われている。
少女の顔は、これから始まる生活に不安を覗かせるような緊張が垣間見える。
柔らかな風が吹く。
それは丘に茂る草、花を優しく撫でる。
少女が身だしなみを整えるように、風に遊ばれた前髪を指でなぞる。そして、決意を込めた眼差しで頷く。
ゆっくりと。
だが、確かな力強い足取りで、少女は砦へ向かって歩いていくのであった。
「こんにちはー・・・」
所々に錆が浮かび、外壁と同様に年季の入った重厚な扉。
しかし、時を経てなお堅牢さを失わない門扉をゆっくりと手で押すと、拍子抜けするくらいに簡単に扉が動く。見た目とは違い、しっかりと手入れが行き届いている。
だが、砦の奥に反響する少女の声には何の返りはない。その無音に少女は一抹の不安を覚えた。
背中のリュックをつっかえさせないよう大きく扉を開け放つと、砦の中へそっと、顔だけでなく足を石畳の上へと踏み入れた。
少女の知り得ない何十年も昔からこの砦はあると聞く。今はその役目を終え、人が住まう住居だからなのか古臭さは感じるものの、石の上から伝わる人の気配と温もりは、少女の生み出した緊張が生み出した錯覚か。
エントランスは吹き抜けになっており、石の色の重厚感を感じさせないほどの開放感がある。
もう一度少女は声を反響させるも、問いかけは鈍く壁にぶつかるのみ。
さらに足を一歩踏み出すと、コツンとブーツの靴底が小気味よい音を奏でる。
改めて見上げるエントランスの先も、天井まで石で埋められている。
ここがこれから自分の住まう場所となると、少し感慨深い。
「あらぁ。お客様?いらっしゃい」
背後から突如掛けられた声に驚き、少女はビクンと背中を弾けさせ、身体ごと180度ほど反転させる。
そこにはひとりの女性が佇んでいた。
年は少女より一回りほど上だろうか。
ふわふわの銀髪を腰ほどまでに伸ばし、軍人にはおよそ思えぬ柔和な笑みを浮かべている。その手には、何故かブリキのジョウロを携えて。
ニコニコ、という音がピッタリと合う表情で、目の前の女性は当然の訪問者にも笑みを崩さない。
目の前の女性が到底軍属についていると思えなかったのは、その服装にも原因があった。
軍服のデザインはサイズは違えど少女と同じ。少女も、目の前の女性もアゾン軍に所属する軍人だからだ。
ただ。
よほど胸元が窮屈なのだろう。
上着を前で完全に留めず、白いシャツがその隙間から覗かせている。
なんとも言えない威圧感を感じるのは気のせいだろうか。
少女の目から見ても豊かなその胸は、目の行き先を奪うのに十分すぎる重量感と質量を感じる。
・・・それは今はいい。
それよりも奇妙に思ったのは、その軍服に無数のウサギやらネコやらのアップリケで所狭しと装飾されていたことだ。
少女の視線に気がついたのか、女性が小首を傾げながら破顔した。
「可愛いでしょお。集めに集めた動物柄のアップリケでーす!」
そう言って、女性はその場で一回転。
大小様々。種類も多様。動物であれば何でもいいといった様相。
回転した際に見えたのは、背中にデカデカと貼り付けられた、デフォルメされたライオンだった。そこに百獣の王の威厳はどこにもない。
軍人らしからぬ趣味と振る舞いに少女は少し面食らうも、これからお世話になる上司である。
少女は苦笑いでその場を濁す。
「それでぇ、どちら様でしょうか?」
女性がニコニコ笑顔のまま、少女を見る。
少女は襟を正し、表情を引き締める。
「本日付けでこの第0部隊に配属となった、シーア・ランベルであります!よろしくお願いいたします!」
シーアは緊張した面持ちを取り戻し、額に手のひらを掲げつつ、目の前の女性へ向かって敬礼をする。
「・・・えーと?」
シーアの挨拶に、女性はしばし宙に視線を彷徨わせ、逡巡。数秒の沈黙の後、合点がいったように表情をほころばせた。そこに何か忘れていたものを思い出したような反応があったのをシーアは見逃さなかったが。
「本国からの追加人員さんですね〜。聞いてます聞いてます」
訝しげな目を向けるシーアとは正反対に、目の前の女性は嬉しそうに笑顔を浮かべ、頷いた。
そして、「ちょっと待っててね」と言い残し、外に戻っていった。
奔放な女性の姿にシーアは少し戸惑うも、そんなことを思っている間もなく女性が戻ってきた。ジョウロを外に置いてきたのだろう。手ぶらだ。
「どうぞどうぞ〜」
女性が先導して、シーアを砦の奥に促す。
「あ、自己紹介がまだでしたね」
言いながら、女性はくるりと振り返り、
「ハルー・アロリアと申します。この第0部隊の副隊長をやらせてもらってます」
「えっ?」
その予想だにしない言葉に、シーアは思わず声を漏らしてしまっていた。この、全然そうは見えない人が副隊長?
女性、ハルーは苦笑して、
「・・・やっぱり見えませんよねぇ。副隊長らしく、威厳は持たなきゃな〜、って思っているんですけど」
と、そんな決意表明とは裏腹に、ぽやぽやとした空気が引き締まる様子はない。
「い、いえ。失礼しました。上官に向かって生意気な口を」
「気にしないで〜。ここではそんな堅苦しいことは抜きにしましょ」
シーアの失礼な態度にも、ハルーは怒る様子もなく。
「・・・失礼ついでに、階級をお伺いしてもよろしいでしょうか。これからここでお世話になるにあたって、さらなる失礼を重ねるわけにはいきませんので」
人は見かけによらない。このハルーという上官も、その見た目や様子とは違い、高い階級という可能性もないわけではない。
ハルーはくるりと振り返り、
「階級?そんなものはここにはないわよぉ?」
「・・・え?」
今のシーアの顔は、さぞかし間抜けな表情をしていることであろう。
果たして、階級がないなんてことがあり得るだろうか。ここは軍の駐屯地だろうに。
「言い忘れていたけど、ここは軍の規律とは無縁の気安い場所よ〜。私も副隊長なんて肩書はあるけれど、あってないようなものだから。シーアちゃんも遠慮しないでくつろいで頂戴ね?」
その困惑を知ってか知らずか、ハルーは心からの歓迎の言葉と笑みをシーアへと差し向けたのだった。




