第31話 コンプライアンス(法令遵守)と経済制裁(エンバーゴ)
「……ここは地獄か?」
アレクサンドル株式会社(旧・王都)。
そのメインストリートを歩く男が、震える声で呟いた。
深紅の法衣に身を包み、背後には屈強な異端審問官たちを従えている。
西方の大国・教皇庁から派遣された枢機卿、ザウエルだ。
彼の目の前では、オークたちが汗を流して道路工事を行い、ゴブリンたちが屋台で串焼きを売っている。
そして、すれ違う市民たちは、胸に「聖女印」の入ったお守り(元・魔物の骨)をぶら下げ、笑顔で挨拶を交わしている。
「魔物と人間が共存し、……穢れた骨を崇めている……。なんという冒涜、なんという背徳都市だ!」
ザウエルは十字を切った。
彼にとって、ここは繁栄した都市ではない。教義に違反した、焼却処分すべき汚染区域だ。
「ようこそ、ザウエル枢機卿。……遠路はるばる『監査』ご苦労さん」
社長室。
カイは足を机に投げ出し、教会の使者を迎えた。
隣には、顔面蒼白の聖女エレーヌが直立不動で控えている。彼女にとって、枢機卿は雲の上の存在であり、絶対的な上司だ。
「カイ・ヴォン・ハイローラー。貴様の罪状は明白だ」
ザウエルは椅子に座ろうともせず、分厚い罪状書を読み上げた。
「一、魔物を使役し、神の秩序を乱した罪。
二、聖女エレーヌを軟禁し、企業の広告塔として利用した罪。
三、許可なく『聖遺物』を偽造・販売し、信徒を惑わせた罪」
ザウエルは書類を机に叩きつけた。
「これらは重大な教会法違反だ。……即刻、魔物を全頭処分し、全財産を教会へ没収。そして貴様は異端審問にかける」
「……厳しいねぇ。ウチの就業規則とは随分違う」
カイはタバコに火をつけた。
これまでの敵(王や将軍)は、「金」や「利害」で動く連中だった。だから交渉できた。
だが、目の前の男は違う。……目が死んでいる。
「正義」や「信仰」のためなら、損得を度外視して他者を断罪できる、一番厄介なタイプだ。
「エレーヌ、お前もだ。……聖女ともあろう者が、このような男に魂を売り渡すとは。恥を知れ」
「っ……! で、ですが枢機卿! カイ様のおかげで、この国の貧民は救われ、教会も修繕できました! これは必要な……」
「黙れ! 悪魔の金で建てた教会に、神が宿るものか!」
ザウエルの一喝に、エレーヌが竦み上がる。
カイは煙を吐き出し、静かに言った。
「……おい、爺さん。ウチの役員を虐めるなよ」
「貴様……枢機卿に対し、その口の利き方は……」
「あんたの言いたいことはわかった。要するに『コンプライアンス違反だから営業停止しろ』ってことだろ?」
カイは立ち上がり、ザウエルの前に立った。
「だが断る。……ウチは株式会社だ。株主(国民)の利益を守る義務がある。あんたらのカビの生えた教義に従って、社員を路頭に迷わせるわけにはいかないんでね」
「……金か。あくまで、金が全てか」
ザウエルは軽蔑の眼差しを向け、そして冷酷に告げた。
「よかろう。話は決裂だ。……カイ・ヴォン・ハイローラー。貴様と、この国を『破門』に処す」
その言葉に、セリアとバルトが息を呑んだ。
破門。
中世社会において、それは「死刑宣告」に等しい。
「本日をもって、教皇庁は全聖教圏に対し、貴国との『通商断絶』を命じる。……食料、物資、金融取引。一切の交流を禁ずる」
ザウエルは踵を返した。
「世界から孤立し、干上がって死ぬがいい。……それが神の罰だ」
翌日。
恐るべき速さで「制裁」の効果が現れた。
「しゃ、社長! 大変です! 帝国との取引が止まりました!」
バルトが悲鳴を上げて飛び込んできた。
帝国は軍事国家だが、国教は教皇庁に従っている。破門された国と取引すれば、今度は帝国が制裁を受けることになる。
アイゼン将軍からは『すまん。上の決定には逆らえん。ほとぼりが冷めるまで出荷停止だ』という詫び状が届いていた。
「近隣諸国の商人も、全員逃げ出しました! 輸入ルートが全滅です!」
「国内の教会信徒たちが動揺しています! 『破門された国にいると地獄に落ちる』というデマが流れて……!」
物流停止。資産凍結。信用崩壊。
経済制裁。
マモン8世がやった「兵糧攻め」の、世界規模バージョンだ。
今回は抜け道がない。教皇庁の威光は大陸全土に及ぶ。
「……参ったな。物理(武力)も金(買収)も通じない相手か」
カイは窓の外を見下ろした。
活気のあった商店街から、再び人影が消えつつある。
宗教という最強の「規制当局」が、市場そのものを凍結させたのだ。
「カイ様……どうしますか? エレーヌ様を返還して、謝罪しますか?」
セリアが弱気な提案をする。
だが、カイは笑った。
「謝罪? バカを言え。……独占禁止法違反で訴えてやるレベルだぞ、これは」
カイは地図を広げた。
大陸の西側は教皇庁の勢力圏。ここからの物資はもう入らない。
ならば。
「……西がダメなら、東だ」
「東? そっちは『未開の地』ですよ? 魔王領のさらに奥、異教徒や亜人が住む無法地帯です」
「そうだ。……教会のルールが通用しない場所だ」
カイはバルトとオーク将軍(土木課長)を呼んだ。
「新プロジェクトだ。……『シルクロード(絹の道)』を作るぞ」
「は?」
「教皇庁の支配が及ばない東方諸国と、直接貿易ルートを開拓する。……規制された市場に未練はない。新しい市場を俺たちで作るんだ」
カイは瞳をギラつかせた。
経済制裁とは、裏を返せば「既存ルートへの依存」を断ち切るチャンスだ。
「アルヴィン! お前は東の『竜の国』へ営業に行け! 勇者のネームバリューを売ってこい!」
「エレーヌ! お前は『新解釈の聖典』を書け! 『教皇庁は腐敗した! 真の信仰はここにある!』とな!」
カイは宣言した。
これは、既存の世界秩序に対する、独立企業国家の挑戦状だ。
「神様が店を閉めろと言うなら、神様ごと買い替えてやる。……宗教改革の始まりだ」
(第31話 完)




