第15話 接待交際費と八百長試合
「……正気ですか?」
セリアが震える声で問う。
無理もない。
死の荒野と化したデッド・エンドの平原……。
そのど真ん中に、真っ白なテーブルクロスを敷いた長机が置かれているのだから。
机の上には、帝国から密輸した最高級の赤ワイン、焼き立てのパン、そして山盛りの肉料理が並べられている。
「正気だとも。これが俺たちの『最強の防壁』だ」
カイは、いつもの着崩したシャツではなく、サイズの合った漆黒の礼服(タキシード風)に身を包んでいた。
背後には、給仕服に着替えた兵士たちが、震える手でワインボトルを抱えて控えている。
そのさらに後ろでは、聖女エレーヌが「な、な、なんで私がこんなウェイトレスの真似事を……」と涙目でスカートの裾を握りしめている。
ズシン……。
ズシン……。
地響きと共に、黄金の鎧を纏ったオーク将軍が、その巨体を現した。
背後には一万の魔物軍。
彼らが一斉に足を止めると、その殺気だけで空気が凍りつくようだった。
「……人間よ。何の真似だ?」
オーク将軍が、重低音で唸る。
その声は、知性と威厳に満ちていた。やはり、ただの獣ではない。
カイは優雅に一礼し、グラスを掲げた。
「ようこそ、遠路はるばるデッド・エンドへ。歓迎致します、将軍閣下」
「歓迎? 我々は貴様らを根絶やしに来たのだぞ」
「存じております。ですが、殺し合いの前に、まずは喉を潤してはいかがでしょう? ……帝国産の『ロマネ・コンティ』、50年物です」
カイが合図を送ると、エレーヌがおっかなびっくり近づき、将軍の前に置かれた巨大な杯にワインを注いだ。
芳醇な香りが漂う……。
将軍の鼻がピクリと動いた。
魔界にはない、洗練された葡萄の香り。
「……毒味は?」
「必要なら俺が飲みましょう。ですが、毒で殺せるほど貴方はヤワじゃない」
「フン、口の減らない小僧だ」
将軍は豪快に杯を煽った。
一瞬、その目が大きく見開かれる。
「……美味い」
「でしょうとも。一本で金貨100枚は下らない品です」
カイはニヤリと笑い、さらにタバコの箱(最高級葉巻)を差し出した。
「単刀直入に言いましょう、将軍。……ここで俺たちと戦うのは、貴方にとって『大赤字』だ」
「何だと?」
「俺の兵はわずか300。貴方の軍勢なら数分ですり潰せるでしょう。ですが、得られるものは? ……我々の死体と、廃墟となったこの土地だけ。金も食料も、戦費に見合う略奪品は何一つない」
カイはテーブルの料理を指差した。
「ですが、もし俺たちを『生かして』おけば……この極上のワインと食料を、定期的に貴方の元へお届けできます」
「……我を買収しようというのか? 誇り高き魔王軍の将軍を」
将軍が戦斧を振り上げた。
空気が張り詰める。セリアが剣に手をかける。
だが、カイは眉一つ動かさず、煙を吐き出した。
「買収? まさか。これは『ビジネス』です」
「ビジネス?」
「貴方は部下を食わせねばならない。俺は生き残らねばならない。……需要と供給が一致している。ならば、無駄な流血は避けるのが賢い指導者というものでしょう」
将軍の斧が空中で止まる。
彼は、部下のオークたちが、並べられた料理を物欲しげに見つめていることに気づいていた。
魔界の食料事情は悪い。彼らは常に飢えている……。
人間を殺して得る一時の興奮と、定期的に届く極上の食料。
どちらが軍の維持に役立つか……。
知性ある将軍なら理解できるはずだ。
「……条件は?」
将軍が斧を下ろした。
勝った。
カイは内心でガッツポーズをしつつ、涼しい顔で提案した。
「簡単です。……『八百長』をして頂きたい」
「ヤオチョウ?」
「ええ。今日は激しい戦闘が行われたことにするのです。貴方は俺の罠にかかり、惜しくも撤退したことになる。……その証拠に、これをお持ち帰りください」
カイが指差したのは、あらかじめ用意しておいた『燃え尽きた砦の残骸』と、数体の『偽装死体(人形)』だった。
「貴方は『人間の砦を半壊させた』という戦果を持ち帰り、俺は『魔王軍を撃退した』という戦果を得る。……誰も死なず、双方が勝利者になれる。どうです?」
将軍はしばらく沈黙し……。
そして喉の奥で低く笑った。
「ククク……面白い。人間にしては、悪魔のような知恵だ」
「光栄です」
「よかろう。そのワイン、毎月10樽用意しろ。……それが手切れ金だ」
「契約成立ですね」
カイとオーク将軍。
人間と魔物。
本来なら殺し合うはずの二人が、テーブル越しにガッチリと握手を交わした。
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数時間後。
デッド・エンドに「偽りの勝利」の鐘が鳴り響いた。
「万歳! 万歳! カイ様が魔王軍を退けたぞー!」
「奇跡だ! あの大軍を、魔法(のような演出)で追い返した!」
兵士たちが歓喜の声を上げる中、カイは執務室で大量の請求書を書き上げていた。
『対オーク将軍戦:特別防衛費(ワイン代・食料費含む)』
『敵軍撃退報酬:金貨10万枚(特別レート適用)』
「……カイ様。これを『防衛費』として国に請求するのですか? ただの宴会費用ですよ?」
セリアが呆れ果てた顔で突っ込む。
だが、カイは悪びれもせず承認印を押した。
「結果を見ろ。一万の軍勢を追い返し、死者はゼロだ。……これほど安い『必要経費』はないだろう?」
「……もう、何も言いません」
セリアは溜息をつきつつも、どこか安堵した表情を浮かべていた。
彼女もまた、この不条理な「勝利」を受け入れ始めていたのだ。
「さて、これで『実績』はできた。……次は、この勝利をネタに、もっと大きな市場を動かすぞ」
カイは窓の外、王都の方角を見据えた。
現場での勝利は、あくまで交渉のカードに過ぎない。
本当の戦いは、この請求書が王都に届いた瞬間から始まるのだ。
(第15話 完)




