第11話 国境の空白地帯と独占契約
「……引き返すなら今ですよ、カイ様」
吹雪く雪山の中、セリアの声が風に消え入りそうに響いた。
デッド・エンドの北西、険しい山脈を越えた先にある国境地帯。ここは王国と、長年敵対関係にある「ガレリア帝国」との緩衝地帯だ。
「ここを越えれば、完全に国家反逆罪です。言い逃れはできません」
「うるさいな。寒さで舌が回らないなら黙ってろ」
カイは厚手の毛皮にくるまりながら、ガタガタと震える馬車の手綱を握るバルトの背中を蹴った。
「おいバルト、まだ着かないのか。凍死したらペナルティ(賠償金)はお前の遺産から引くぞ」
「へ、へい! もうすぐですぜ。帝国の国境警備隊との合流地点は……ほら、あそこだ!」
バルトが指差した先、吹雪の向こうに、黒鉄の鎧を纏った一団が待ち構えていた。
王国の華美な騎士とは違う、実用一点張りの無骨な装備。軍事国家として名高い、ガレリア帝国の国境警備隊だ。
「……止まれ! 何者だ!」
鋭い怒号と共に、数本の槍が突きつけられる。
セリアが反射的に剣に手を伸ばすが、カイはそれを制し、馬車から降りた。両手を上げ、敵意がないことを示しながら、しかしその態度はふてぶてしい。
「商談に来た。……話は通っているはずだが?」
「商談だと? ここは戦場だ。貴様らのような怪しい行商人は……」
「通せ。私が呼んだ客だ」
隊列を割って現れたのは、顔に大きな火傷の痕がある巨漢の将校だった。
鋭い眼光が、カイたちを値踏みするように射抜く。
「帝国軍、国境警備隊長アイゼンだ。……バルトとか言ったな。王国から極上の『鉄』を持ってくると聞いたが?」
「へへっ、鉄じゃありやせん。もっといいモノで……」
バルトが愛想笑いで答えようとするのを遮り、カイが一歩前に出た。
「単刀直入に言おう、アイゼン隊長。俺が持ってきたのは、ミスリルだ」
カイが合図をすると、バルトが馬車の帆をめくった。
そこに積まれていたのは、廃坑道でコボルトから回収した、青白く輝く鉱石の山だった。
帝国の兵士たちがどよめく。
ミスリルは魔法伝導率が高く、帝国が開発中の新型兵器に不可欠な戦略物資だ。だが、王国の厳重な管理下にあり、これほどの量はまず手に入らない。
「……ほう。純度は?」
「最高品質だ。おたくの国で採れる粗悪品とはわけが違う」
「なるほど。で、望みは? 金貨か? 亡命か?」
「『食料』だ」
カイはタバコに火をつけ、煙を吐き出した。
「麦、肉、酒。……それと、燃料。このミスリルの市場価格と同等の物資を、現物で寄越せ」
「物々交換か。……随分と足元を見た商売だな」
アイゼン隊長が、腰の軍刀に手をかけた。
その瞬間、周囲の兵士たちも一斉に武器を構える。殺気が、吹雪よりも冷たく肌を刺す。
セリアがカイの前に飛び出し、剣を抜いた。
「カイ様、下がってください! やはり帝国軍は信用できません! 奪う気です!」
「ふん、当然だろう。ここは法治国家の外だ」
アイゼンが冷酷に笑う。
「貴様らをここで殺し、荷を奪えばタダだ。なぜわざわざ対価を払わねばならん? 王国の裏切り者相手に」
絶体絶命の状況。
しかし、カイは笑っていた。
怯えも、虚勢もなく。ただ「計算通り」と言わんばかりの冷たい目で。
「……殺せばいい。だが、そうなればお前たちは『二度と』ミスリルを手に入れられない」
「なんだと?」
「そのミスリルは、俺の領地で採れたものだ。そして、俺にはそれを安定供給するルートと技術がある。……俺を殺せば、手に入るのは馬車一台分の鉱石だけ。だが、俺と手を組めば、毎月この量が届く」
カイはアイゼンの目の前に歩み寄り、指を突き立てた。
「これは『略奪』か『契約』かの二択だ。……目先の利益(一台分)を取るか、長期的な資源(鉱脈)を取るか。軍事大国の将校なら、どちらが得か計算できるよな?」
アイゼンが眉をひそめる。
カイの言葉はハッタリではない。デッド・エンドの「産業廃棄物処理」による資源回収システムは、カイにしか運営できないからだ。
これは単なる取引ではない。「サブスクリプション(定期購入)契約」の提案だ。
「……面白い男だ。名は?」
「カイ・ヴォン・ハイローラー。デッド・エンドの領主だ」
「領主!? 王国の貴族が、自国の資源を敵国に売り渡すと言うのか!」
「俺には国境なんて見えないな。見えるのは『需要』と『供給』だけだ」
しばしの沈黙。
やがて、アイゼンは軍刀から手を離し、豪快に笑い出した。
「ハハハハ! 気に入った! 王国の貴族は腐った豚ばかりだと思っていたが、骨のある奴もいるようだな」
アイゼンは部下に合図を送った。
「取引成立だ。……おい、駐屯地の備蓄庫を開けろ! 賞味期限ギリギリの缶詰から、最高級のワインまで、ありったけ持ってこい!」
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数時間後。
空だった馬車は、帝国製の保存食や燃料で満載になっていた。
帰り道、セリアは複雑な表情で、荷台の食料を見つめていた。
「……これで、兵士たちは飢えずに済みます。ですが……」
「まだ納得いかないか? 騎士様」
「これは利敵行為です。あなたが売ったミスリルで、いつか帝国の剣が作られ、王国の民が殺されるかもしれない」
セリアの正論に、カイは肩をすくめた。
「その時は、その剣を俺たちがまた買い取って、鉄屑として売り捌けばいい」
「あなたは……っ!」
「いいか、セリア。国が民を守らないなら、民が自分で生き残るしかない。俺は『正義』のために兵士を餓死させるつもりはない」
カイは懐から、帝国軍からサービスで貰った葉巻を取り出した。
「それに、これで帝国は俺たちを攻められない。大事な『取引先』だからな。……俺たちは今日、食料だけでなく『安全保障』も手に入れたんだよ」
セリアはハッとした。
王家に見捨てられ、魔王軍に狙われ、孤立無援だったデッド・エンド。
だが、敵国である帝国と「利害関係」を結ぶことで、帝国軍にとってデッド・エンドは「潰してはならない緩衝地帯」に変わったのだ。
「……毒を以て毒を制す、ですか」
「ただのリスク分散だ」
セリアは小さく溜息をつき、しかしその表情は少しだけ和らいでいた。
この男のやり方は、道徳的には最悪だ。だが、結果として誰も死なせず、誰も飢えさせない。
その矛盾した事実に、彼女の中の「騎士道」が音を立てて崩れ、新しい形に組み変わり始めていた。
「……帰ったら、配給の準備を手伝います。ただし! 帳簿は私が管理しますからね。ピンハネは許しませんよ」
「へいへい、厳しいこった」
カイは葉巻の煙を空に吐き出した。
物流は確保した。資金も回った。
デッド・エンド株式会社の基盤は整った。
だが、カイは知っている。ビジネスが軌道に乗った時こそ、最大の危機が訪れることを。
「さて……そろそろ『アレ』が来る頃か」
カイが予見した通り。
王都では、事態を重く見たマモン8世が、なりふり構わぬ次の一手を打とうとしていた。
(第11話 完)




