後編
後編となります。このお話で終わりとなります。
前編・中編でも書いておりますが、設定はざるです。ご容赦ください。
『俺は寂しかったんだ!大好きな人と会えないことがどれだけ寂しいか分かるか!会っても一言二言で終わる!毎日どんな気持ちで料理を作ったか分かるか!おいしいって言ってもらえるように一生懸命に作った俺の気持ちが分かるか!それをお前は疲れてるって理由で食べなかったよな!夜の営みもない!あの頃のお前はどこに行ったんだよ!』
環は胸を抉られるような思いをしながら大毅の作品を読んでいた。この作品に書かれていたのは大毅の寂しさが主なものだった。
(大毅にそんな思いを抱かせていたなんて気づきもしなかった……)
次の作品からはただ主人公がいい訳だけをして赦されるというリアリティもなく、無理矢理復縁させるという内容のものばかりだった。
(これは……。低評価されるし、感想もボロカスなのは納得だわ)
そうして読んでいくうちに12時を過ぎていた。この時、環は大毅と向き合うことを覚悟した。中途半端に読んでいくのは大毅に悪いと思ったからだ。秘書に連絡し、しばらく休養をとらせてもらうという旨を伝えた。
「社長はこれまでずっと働かれてきました。しばらくご静養なさってください。私達が頑張って穴埋めします!」
心強い言葉をもらい、環は大毅の作品を読むことに専念した。
『僕はどれだけ君を傷つけたか分からなかった。あまりにも愚かだった。すぐにやり直せると簡単に思っていた。でもそうじゃなかったんだね。僕は赦されるとは思わない。ただひたすら贖罪を続けるよ。そしていつか、いつかでいい。僕を赦してもいいと言ってくれるなら、僕はそれで十分だ。もちろん赦されても贖罪は続くって分かってる。死ぬまで償うよ』
急に作風が変わった。不倫された側、した側の心情の描写や復縁までの過程が丁寧に書かれるようになった。作品を重ねるごとにそれが洗練されていくのが分かった。
(あ、これって書籍化された作品だ。これまでの作品と比べると格段に違う……。すごくいい出来だわ。それを私は否定しまったのね)
そして次の作品を見ようとした時、ジャンルが恋人との甘い話の作品に変わった。
環はこの時の大毅のことが知りたいと思い、活動報告を読むことにした。順番に読み進め、「作品ジャンルの変更のお知らせとお詫び」というタイトルの活動報告があった。
『これまで再構築モノを書いてきましたが、今後は書かないことをここに宣言します。楽しみにされていた方は申し訳ありません。これからのジャンルは恋人との甘々系モノになります。変更となった理由についてもきちんとお話します。大切な人を傷つけてしまったからです』
とそこからはただひたすらに自分が犯した罪について長々と書かれていた。環はまたも胸を抉られる思いをした。
(あの時の土下座に感じた違和感は大毅が心を入れ替えたっていうことだったのね……)
コメント欄には
「先生の再構築モノが読めないのは残念です」
「先生!もう一度書いていただけませんか!」
など惜しむ声が書かれていた。環も同じように感じ、自分が大毅の作品を否定してしまったことを後悔した。
こうしてしばらくの間は恋人との甘い物語が続いた。
(これを書いていた時の大毅はどういう気持ちで書いていたのかな)
作品を読みながら、大毅の想いを知りたいと思うようになった。環の固く閉ざされていた心の扉に少しずつではあるが、確実に軋みを与え始めていた。
作品を読みながら大学での大毅との思い出が蘇っていった。あの頃の甘々な生活は本当に幸せだった。今にして思えば、それを終わらせてしまったのは起業してただただ業務に追われて忙しくしてしまった自分なのではないかと思うようになった。
(こうやって大毅の軌跡を追っていくと、次郎君が言っていたことが分かった気がする。私にも原因があったんだ……)
さらに読み続けていくと書籍化された作品がちらほら出てくるようになった。環も読んだことのある作品もあった。
大毅に大学時代を思い出すからやめてほしいと思っていた気持ちはとっくになくなっていた。ただただあの甘く幸せだった日々を愛おしく感じていた。
大毅の作品と思い出がリンクする度に環の心の扉にはひびが入っていった。あと一歩で扉が破れる寸前でファンタジー作品に突入した。環は思わず「あ……」と声を漏らしてしまった。
『またしても申し訳ありません。今後、恋愛に関する作品は書かないことを決めました。理由は再構築モノの時と同じです。僕はまた大切な人を傷つけてしまいました。僕が書いていたのはただの自己満足でした。甘い話を書くことで自分の中に残っていた思い出を美化していただけでした。これから一切の恋愛の描写はいたしません。楽しみにされていた方は申し訳ありません。そして大切な人をこれ以上傷つけることはしたくないので、ペンネームをヤダイから大野勝へと変更させていただきます』
すでに環は大毅の作品の虜になっていた。それだけにもう恋愛描写が書かれることがないと思うと残念な思いしかなかった。そしてどうして大野勝というペンネームに変わったのかを知ることができた。
(これも私が自分で引き起こしたことだった。私は何て愚かなことをしたのだろう)
大毅の宣言通り、ファンタジー作品には一切の恋愛描写はなかった。実際に環が買っていた書籍にも恋愛要素は一つもなかったことを思い出した。
「先生頼む!糖分をくれ!砂糖を吐くような話を入れてくれ!」
「先生の宣言通り恋愛描写がなくなりましたが、面白さはきちんとあるのが素晴らしいです!」
コメント欄を見る度に環は胸が痛くなった。
(確かに恋愛要素が欲しい。そうしたらもっと作品に深みが増すのに……)
いつのまにか環の心の扉は破られていた。大毅への想いと共に、大毅の作品に対しても強い想いが溢れ出していた。
環は全ての作品を読み終え、活動報告も読み終わり、大毅がどれだけ赦しを得るために頑張ってきたのかを思い知った。
(大毅に会いたい!会って話がしたい!もっと大毅の作品が読みたい!)
仕事を忘れ、大毅の作品に没頭したおかげで環は失っていた大毅への想いを取り戻した。それと同時に匿名で送られてくる10万円のことが大毅への感謝の念を思い出させた。
(私は一度も大毅に支えてもらっていたことについて感謝を伝えていない……。伝えなきゃ!ちゃんと謝らないといけない!大毅を疎かにしていたことも!)
環は家を飛び出して大毅のいるアパートへとひたすらに走った。タクシーを使えばすぐに着くということすら忘れてただひたすらに走った。
そしてようやくアパートに辿り着き、大毅の部屋のドアをノックした。しかし一向に出てくる気配はなかった。その時、隣の住民が買い物袋を提げながらやってきた。
「そこの人、もうとっくの昔に引っ越してますよ。今は誰も住んでません」
「えっ……。あの、引っ越したのはどれくらい前ですか?」
「確か2年くらい前だったと思います」
「そんなっ……」
環は膝から崩れ落ちた。大毅は自分が会いに行ったあとすぐに引っ越したんだろうと思い至った。すぐに次郎に連絡をした。
「もしもし、次郎君?大毅って今どこにいるか分かる?」
「ん?あいつはあのアパートにいるんじゃないのか?」
「次郎君も知らないの!?大毅、2年前に引っ越したみたいなの!」
「なんだって!?環は大毅の連絡先は知らないのか?」
「離婚をした時に連絡先関係は全て消去してしまっているから分からないの」
「……分かった。俺の方から連絡してみる。とりあえず環は一旦帰って落ち着くんだ!」
「うん、そうする。ありがとうね」
※
大毅が引っ越したことを知ってから2カ月が経った。結論から述べると、大毅の行方は全く分からなかった。次郎のメッセージも既読がつかなかったことからブロックされていると判断した。
大毅と縁を切ったため連絡先を知っている者は誰もいなかった。そこで興信所を使って大毅の捜索を依頼したが、興信所の方でも一向に行方を掴めてなかった。
休養を終え業務に戻った環は気丈に振る舞ってはいたが、内心ではもう会うことができないんじゃという不安を抱いていた。
それでも毎日エピソードは更新されているし、新たな作品も投稿されたりしているのを確認できるので、生きていることだけは確かだった。
痺れを切らした環はその晩、小説サイトでやりとりできるメッセージ機能を使うことにした。
『こんばんは、お久しぶりです。宮前環です。一度お会いしてお話したいと思っています。会っていただくことは可能でしょうか?』
送信ボタンをタップする。もう後戻りはできない。拒絶されればもう大毅と会うことは二度とないだろう。返信が来るのを祈る。返信は思ったよりも早く返ってきた。
『こんばんは、お久しぶりです。お会いしたいと言ってくださって嬉しい気持ちはありますが、僕の存在は宮前さんを傷つけるだけだと思い知りました。ですので申し訳ありませんが、この返信を最後に一切のご連絡はいたしません。ご了承ください。宮前さんの幸せをご祈念しております』
まさかの拒絶に環は絶句した。あの時、大毅が泣きながら土下座していた姿を思い出す。
(大毅はあそこで自分の存在が私を傷つけるんだって思ってしまったのね……。本当にごめんなさい!)
環はもう一度メッセージを送った。
『私はあなたにひどいことを言ってしまいました。本当にごめんなさい。あなたの生み出した大切な作品を否定してしまった。あれから次郎君に教えてもらってあなたの作品を全部読みました。あなたは赦してもらうためにあれだけの作品とエピソードを書いていたことを知りました。あなたの気持ちが私には伝わりました。私はあなたを赦します。だからお願いです!もう一度だけでいいです。会いたいです。今の私の気持ちをあなたに伝えたいです。お願いします!』
環は涙を堪えながらメッセージを打っていた。これが本当に最後。これで返信がなければ終わり。自分の込められる思いを最大限にして送信をタップした。
その後、堰を切ったかのように涙が溢れだし、嗚咽を漏らしながらひたすら泣いた。
気がつけば朝を迎えていた。泣きつかれて眠ってしまっていたようだ。頭がひどく痛い。よほど泣いたのだろう。洗面所に向かい、鏡を見れば目は腫れていた。気持ちを切り替えようと顔を洗い、今日のスケジュールを確認しようとしたところでスマホの画面を見て環は固まった。
なんと大毅から返信が来ていたのだ!環はすかさずメッセージの中身を確認する。
『僕は赦されたんでしょうか?もう僕には何が何だか分かりません。本当に僕は赦されたんですか?赦してくれるんですか?今、あなたに会いたいと思ってしまいました。これからあなたの会社へ向かいます。明日朝一番の新幹線で東京へ向かいます。10時ごろにはお会いできると思います。よろしくお願いします』
環の心臓が跳ね上がった。
(今日!?これから!?どうしよう!こんな目じゃ恥ずかしくて会えないわ!それに一対一っていうのも緊張するし……。そうだ!次郎君に立ち会ってもらおう!)
即座に次郎に連絡する。
「もしもし、次郎君?大毅が、大毅がこれから会社へ私に会いに来てくれることになったの!」
「おお、よかったじゃないか。しっかり話をするんだぞ!」
「それでお願いがあるの。次郎君も一緒に立ち会ってくれない?」
「はあ?お前はバカか!これはお前と大毅の問題だ!俺は関係ない!自分の力で何とかしろ!ていうかそれができないなら会う資格なんてないぞ!」
次郎の言葉にはっとした。確かにそうだと環は感じた。元々は夫婦だった二人の問題であって、それを話し合って乗り越えられないなら夫婦になんて戻れやしない。
「うん、そうだね。私がバカだった。きちんと決着はつけてくる。結果はちゃんと連絡するからね」
「分かったならいい。頑張れ!」
電話を切り、いつもより気合いを入れて化粧に臨むのであった。
※
いつものように出社し、いつものように業務確認をする。それが一番自分を落ち着かせる方法だった。やがて約束の10時になった。コンコンとノックする音が聞こえた。
「社長、お客様がお見えです。今日は確かこのあと予定があったと思うのですが……」
「その予定は今度にしてもらえるように調整してください。私はこれから大事なお話をする予定です。お客様をお通ししてくだい」
「はい!かしこまりました!」
いつもとは違うオーラを放つ環に秘書はよほどの大事があるのだと察知した。大毅を部屋へ通すと静かに部屋を出て行った。
「おはようございます宮前さん。お時間と……」
「ねえ、その宮前さんっていうのやめてよ?昔みたいに環って呼んでほしい」
「それはできません。赦してもらうというのはマイナスだったものがゼロになることだと僕のバイブルには書いてありました。ここからがスタートなんです。僕はまだ何もプラスにできていません」
「それに敬語もやめてほしい。昔みたいに気を遣わずに話そうよ?」
「ですが、僕はもう一度あなたとやり直せるのなら、一からやり直したいと思っています」
「それも大毅のバイブルに書いてあったことなの?」
「はい、僕のことを愛することはないに等しい。だからもう一度一から関係を築いていなかないといけないと書いてありました」
「大毅はあれから随分変わったね。自分のことを呼ぶのも俺から僕に変わってる。そのバイブルはよほど大毅に影響を与えたんだね」
「はい、バイブルのおかげで目が覚めました。今の僕があるのはバイブルのおかげです」
「じゃあこういうのはバイブルに書いてあった?」
そういうと環は大毅に抱きつき、大毅の唇に自分の唇を重ね合わせた。
「っ!い、いきなり何をするんですか!」
大毅は思わず環を引き離した。と同時に無理矢理引き離したことに罪悪感を感じた。
「キスだけど?まだ分からない?私、もうとっくに大毅の虜になってるのよ?」
「そ、それはどういう……」
「あなたの作品を全部読んで、読みながらあなたの愛がもう一度欲しくなっちゃったの。だってあんなに甘々だった恋物語が一切なくなってしまったんだもん。自分が悪いんだけどね」
一度距離を取り、環は頭を下げた。
「この会社が今あるのは大毅のおかげ。私はそれをすっかり忘れてしまっていた。大毅のサポートがなかったらこの会社は存在していない。本当にありがとう。そして業務を優先して大毅のことをないがしろにしてごめんなさい。ちゃんと私が大毅と向き合っていたら不倫はなかったかもしれない」
頭を上げると大毅の頬には涙が流れていた。
「ごめんなさい。僕がそれでも環さんのことを信じていればよかっただけの話なんです。誘惑に負けて不倫をしてしまった僕が全部悪いんです」
環は大毅の呼び方が宮前さんから環さんに変わったことに喜びを感じた。大毅がまた変わろうとしていると感じ取った。
「でも、今の環さんの言葉を聞いてやっと伝わったという思いも同時に浮かんでしまいました。僕はどこまでもダメな男ですね。こんなことすら思っちゃいけないのに」
「それもバイブルに書いてあったの?」
「はい、自分のやってしまったことをちゃんと受け止めないといけないと書いてありました。僕はまだ自分のやったことを受け止められていなかったということです」
「そんなにそのバイブルが正しいの?私はもう大毅と愛し合いたいと思ってしまってるけど?」
「な、なんか急すぎませんか?」
「大毅が今まで書いてきた作品は赦しを得るためのメッセージってことでしょ?私だけに向けたメッセージ。何千万文字のラブレターだよ?それを読んで心が動かないわけないでしょ!」
もう一度環は大毅に抱きつき唇と唇を重ねた。先ほどよりも長い時間のキス。
「バイブルを信じるのは否定しない。大毅が大きく変わるきっかけになったんだから。それで私に赦しを求めるようになったから。でもなんでもかんでもバイブルに頼っていたらダメだよ。私にも非があった。今度からは私もちゃんと大毅との時間を作る。だから私もごめんなさい。ね?何でもかんでも自分だけが悪いなんて思わなくてもいいんだよ。だからもう一度夫婦に戻ろう?」
「バイブルに頼ってばかりはいけない……、確かにそれは一理ありますね……。バイブルにはない展開ですし、こんな展開の話なんて書いたことがないですから。現実は小説より奇なりという言葉の意味がよく分かりました」
今度は大毅から環に口づけを交わした。大毅からキスをしてくるとは思わず環は思わず目を見開いた。
「これからも罪は背負っていきます。死ぬまで背負っていきます。そしてこれからはダメと言われたジャンルの封印も解きます。環さんにいっぱい愛のメッセージを送ります。これが今僕のできる精一杯です。言葉遣いとか呼び方は徐々に変えていくのでこれで勘弁してください」
「うん、分かった!大毅が言ったことだから信じる!早速スケジュール調整するね!」
こうして約7年もの期間を経て、大毅の努力による贖罪が実を結んだのであった。しかし大毅の贖罪はこれからも続く。
お読みいただきありがとうございました。
こんなことはありえない、再構築なんて無理、と思う方の気持ちは分かりますし、再構築が難しいということも身をもって分かっています。それでも僕自身が再構築を目指して頑張っているので、そういう人間もいるということをご理解いただけると幸いです。
今後の作品作りの参考になりますので、感想をいただけるとありがたいです。