第6話「誰にも知られてはいけない存在――ジョーカー、目覚める」
誰にも知られてはならない。
気づかれてはならない。
声を出してはならない。
私は、魔王城の影。
存在しない存在。
名前さえ、今ここでようやく与えられた。
──ジョーカー。
それは女王、リリス=カーミラ様が私に与えた唯一の“証”。
他の配下たちは私の存在を知らない。知らなくていい。いや、知られてはいけない。
私はこの城の壁の中、天井裏、地下迷宮を這い、
リリス様の命令がない限り動かない。
動くときはただ一つ――
「ジョーカー。暇を持て余したから、そろそろ出てきて遊びなさい」
それが、目覚めの合図。
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私が最初に受けた命令は、こうだった。
「わたくしの知らないところで、わたくしのことを知ってる奴は全部……消して?」
言葉は優しく、笑顔は甘く、でもその瞳には底のない狂気があった。
美しかった。
ぞっとするほど、魅力的だった。
だから私は、命令を忠実に守っている。
今日も誰かが、リリス様の部屋のドアの前で立ち止まった。
目的は不明。でも関係ない。
その瞬間、私は背後から現れて、消した。
一瞬の静寂。血の気配すら残さない処理。
笑顔のまま、私は影に戻る。
「よくやったわ、ジョーカー。さすが、わたくしのジョーカー」
その一言のためだけに、私は存在している。
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リリス様の命令で、今日は「地下書庫の整理」も任された。
実際は、彼女が数百年放置した“黒歴史の記録”を片付けるだけだ。
・自作の詩集「わたくしの恋は五千年眠っている」
・百人一首のパロディ「魔王一首」
・幼少期の絵日記「おかしをたべた よるに しもべがふとった。おもしろい。」
……全部、愛おしい。
「リリス様は、世界で一番かわいい生き物ですね」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
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夜。リリス様の寝室。
天蓋のカーテン越しに、彼女の寝息が聞こえる。
私はその隣で、静かに座っている。姿を見せないまま。気づかれないまま。
けれど、彼女は小さく言った。
「……いるのでしょう? ジョーカー。おやすみなさい」
「……おやすみなさいませ、リリス様」
それが、私だけに向けられた、唯一の優しさ。
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誰にも知られてはいけない。
誰にも気づかれてはいけない。
でも――もし、誰かがリリス様を傷つけようとしたら?
そのときは。
この“影”が、すべてを燃やしてでも守る。