第2話「魔王様、書類を着てください」
朝から胃が痛い。いや、正確には、女王様の服装が原因で、目と胃が同時にダメージを負った。
「だから言ったのです。窓際で寝巻き姿は――」
「朝の陽射しを浴びているだけですわ。文句ある?」
あるに決まっている。というか、何回目ですかそれは。
私の名前はバルザック=グレイヴ。魔王城の軍師を務める悪魔で、スペードの席に座る者だ。
本来ならば、魔王の命令ひとつで百の軍勢を操り、十万の敵を退ける……それが私の仕事であるはずだった。
なのに、今や私の戦場は――
「では、まず本日のスケジュールを――」
「却下」
「……まだ何も言ってません」
「でもあなた、どうせ“書類を三百通確認して署名しろ”って言うのでしょう?」
図星だ。というか、それ以外に何があるのか教えてほしい。
「魔王業は政務が命です。民の安寧と魔族の未来のためにも、書類作業は必須です。ですから――」
「服のように脱ぎ捨てられたらいいのにねぇ、書類」
「逆に服は着てください!!!」
もう限界だった。私は手にしていた外套を彼女の肩に無理やり羽織らせる。
しかしリリス様は妖艶な微笑を浮かべて、わざと肩からすべらせてみせた。
「ちょっとくらい肩が出てたほうが、士気が上がると思わなくて?」
「士気というより理性が崩壊します! というか私の理性が今まさに崩壊しそうです!!」
本気で今日こそ辞表を叩きつけようと思った瞬間だった。
「バルちゃん、女王の裸にまた怒鳴ってんのか〜?」
唐突に現れたのは、クラブの席を預かるガルド=フェリオ。
筋肉。全裸に見えるレベルの筋肉。どうして彼はいつも裸に鎧の肩当てだけなのだろう。
「ガルド!君までなぜ裸なのだ!!」
「いや、朝の筋トレしてたら服が破けてさ! 女王が褒めてくれたぜ、『今日の胸筋は芸術点高い』ってな!」
「女王様、それは褒め言葉ではありません!」
「いいえ、芸術的なものには敬意を払う主義よ」
……胃が痛い。誰か胃薬を。できれば飲む前に、女王様を布でぐるぐる巻きにしたい。
「バルザック、わたくしにも信頼を預けなさいな」
「信頼しております。されど、貴女は書類よりも朝食に興味があるし、謁見よりも昼寝を選ぶお方だ!」
「バルザック……」
女王様がゆっくりと近づいてくる。
赤い瞳が、艶めく唇が、ほんの数センチ先に。
「あなた、わたくしに逆らうの?」
「……っ」
「それとも、わたくしの手で“書類になりたい”のかしら?」
なんてセクシーな脅し文句だ。意味はよくわからないが。
「……それだけは絶対にお断りします!!!」
この魔王城には、秩序という言葉が存在しない。
しかし、それでも。
「私が止めねば、世界は混沌に沈む」
バルザック=グレイヴ、本日も健全な魔王政務のために戦う所存です。