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8話 2日目朝 スラム街

「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」

「へへ、こんな可愛い子に炊き出ししてもらえるなんて、生きてりゃいいことあるもんだ」

「貴方に、神のお導きがありますように━━━。次の方、どうぞこちらへ」



シデロリオの北東は、いわゆるスラム街となっている。

技術の発展に置いて行かれた者、市場競争に負け落ちぶれた者、ここで生まれここで育った者など、未だ教会の手が届かぬもの達が集まっている。

少しでも彼らの日々を良くしようと行われる事業の一環がこの炊き出しであり、それに聖女は参加していた。


朝早くから湯気を立てる鍋の周りには大勢が集まるが、今日はその数が一際多い。

もちろん、その原因は聖女の存在である。

教会には興味がなくとも、聖女に配膳してもらえる一生に一度あるかないかの機会に老若男女を問わず人が集まっていた。



「この機会に、少しでも教会への信用を取り戻せると良いのだが」

「おお……教主様……貴方もいらっしゃったのですね」

「ごきげんよう。少しでもあなたの腹を満たしていってください」

「ははは……」



仮設の机に向かい合って二人の老人が椅子に腰かける。

しかしその様子はまさしく雲泥の差、一片の汚れなき白聖衣と垢や泥でまみれたボロ布が互いに際立つ。

そんなことを気にすることなく、小さな老人が懸命にスプーンで食事を口に運ぶのを、大きな老人はじっと眺めていた。



「こっちの様子はどうですか」

「悪くはなかったですが、事件が起きてからはこっちもピリついていけませんね」

「こっちにも余波が?」

「あそこの店は景気が良かったですからねえ。こっちにも仕事が回ってくるんですわ」

「ほう」

「体力のあるやつはみーんな鶴嘴を担いでいた時もありましたわ」



そう言いながら、老人は曲がった背中をぽんぽんと叩く。



「デカい店ってのはいいですねえ。屑石堀りにも高値を付けてくれた」

「それはいいですね。……いくらかお聞きしても?」

「貴方にとっては端金ですよ。えー、だいたい……」



老人は楽しそうに机の上で指を動かす。

それが描く数字を見て、教主の表情はやや険しくなった。


スラムの仕事の相場を考えるとはるかに割がいい。良すぎると言ってもいいくらいの数字。

こんな仕事があれば、何もかもに飢えた人々の間で噂が広がらないはずがない。

いくら教会の支援が行き届かない場所とはいえ、監視の目まで届いていないわけではない。



(守護天使は都市の全てを常時監視している……不審な動きを見逃すなど……)



神の目たる守護天使の見逃しはありえない。

だが全く穴がないというわけでもない。

思いつく限りの隠蔽方法は個人単位ではおよそ実施不可能ではあるが、不測の事態続きの今、あらゆる可能性を考慮に入れねばならない。

とにかく、現状の判断材料ではまるで足りないと言わざるを得ないのだ。



「ありがとうご老人。また良い稼ぎが見つかることを祈っている」

「いやいや。大した話じゃないさ。ああ、でも無暗に言いふらすなって言われてたんだっけな」

「もう依頼が無いなら時効でしょう。きっと大丈夫ですよ」

「教主様の太鼓判があるなら安心だ。じゃ」



老人がよたよたと去るのを見送ると、教主は立ち上がってテントの裏へ行く。

一緒に来て作業しているシスターに声をかけると、そのまま返事を待つことなくどこかへと消えていった。


表では聖女を含む数名がまだ配膳作業に従事しており、その裏で鍋がいくつか保温機の上で待機している。

警備の騎士も順番に相伴に預かり、平和な朝食の時間が過ぎていく。

朝焼けはいつの間にか青空へと変わり、既にもうもうと立ち上る白煙が何本も手を伸ばしていた。




=====================================



聖務衣を見窄らしい麻の服に変え、得体のしれない汚れた布で顔まで覆い隠す。

背筋をゆがめ、歩き方を崩し、規律そのもののような振る舞いを限りなく粗雑に捻じ曲げる。

不遜に、狡猾に、貪欲に、いくつもの都市を渡り歩いてきた流浪人そのものがそこにいた。


視線に注意を払いながら、出来の悪い暖簾のようにそこらで干されているボロ布を掻い潜り進んでいく。

寝ているのか起きているのか分からないような人々が路上で寝ている姿もここでは珍しくない。

怠けているのではない。本当にしたいことが、できることが、すべきことがないのだ。

未来への希望もなく、働き口にも見限られ、緩やかに命をあきらめようとしている。

彼らの人生に対してもはや彼ら自身、責任を取ることができなくなりつつあった。


男は、それらから冷酷に目を反らし続ける。

手を差し伸べるだけなら容易い。だが、気まぐれに水をやっただけでは枯れた花の潤いは戻らない。

時間がかかろうと、いずれこのような光景が教会の手によって拭い去られることを願いながら、彼は歩き続けた。



たどり着いたのは、辛うじて体裁を保っている酒場だった。

すぐにでも崩れそうなテーブルに、しなびた男らがまばらに座っている。

彼らには目もくれず、男は一番奥でグラスを磨いている店員に話しかけた。


「仕事をくれ。何でもできる」

「……見ねえ顔だな。ほらよ」


無造作に投げられたボードには、数枚の紙が挟まっている。

内容は仕事の依頼で、重労働を鑑みると子供のお小遣いのような金額が提示されているものばかり。

こんなことでは、一週間生きていくことすら難しいだろう。



「シケてるな。表は随分賑わっているのに」

「文句があるなら帰りな。ちょっと前ならもうちょいあったがよ」

「ほう?聞かせてくれ」

「ヘファなんとかって店がぶっ壊されたらしくてな、そこから石堀りの依頼が出てたんだよ」

「どのくらい」

「この3倍」



身元も定まらないような連中を雇うには明らかに破格の賃金。

いくらヘファエストス鉱店が裕福とはいえ、明らかに投資として割に合っているとは思えない。

この値を付けられるならスラムの痩せた労働力でなくてもいくらでも集められそうなものである。

……とはいえ、彼の発言の裏は取れない。

信用など必要とされない空間において、金さえ出せばどんな名前だって騙ることは容易い。



「……どういうことだ。この辺には金の鉱脈でもあるってのか?」

「知るか。口止め料も含んでるのか。内容は誰も噂にすらしやしねえ」

「一人くらい口を滑らせたこともないと」

「はぁ、もういいだろ。好みの仕事はねえんだろ?さっさと他所行きな」




店員の顔に怪訝な色が浮かび始めたのを見て、大男は潮時を悟る。

懐から金貨を1枚取り出し、カウンターに置くとそのまま背中を向けた。



「すまんな。きな臭い噂はどうしても気になるたちでな。他を当たる」

「……」



店員は何も言うことなく、黙って金貨を懐にしまう。

グラスの一つも出さなかった店に、ましてや金貨など出す人物、スラムには()()存在しない。    

故に、店員は口をつぐんだ。

余計なことには関わらない。彼が子守歌の代わりに聞く教えの一つだった。


去り行く背中はあまりに大きく、入り口の戸をかがめて潜る際には一瞬店内が暗く感じるほどだった。

その影が遠くへ去り、普段の死んだような騒めきが戻って来る。



「おい。探してた男が来たぞ」




その中で、どこへ向けるでも無い言葉が、店の裏で静かに響いた。

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