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第7話 夜半の一幕

「『━━━かくして、神は救世主の呼び声に応え、この地に降り立った。その足元を、雪の代わりに真っ白な花が覆い尽くしていた。』……これが、現在の大聖堂所在地、アイリスバレーの由来とされています」



窓の外はとうに暗く、ランプの灯りだけが小さな部屋をほのかに染める。

教主は読み終えた経典を懐にしまい、聖女は小さなあくびをしながらペンを置いた。

夕食と湯あみを終えて後は床に着くだけ。

出先なのだからそのまま寝てしまっても構わないと教主は言ったが、日課なのでとせがんだ夜の手習いが終わったところである。

長い時間馬車に揺られ、半日以上患者の世間話に付き合った上でまだ頑張る根性は、彼女のささやかな才能の一つだった。



「今日はここまでにいたしましょう。明日の朝は早いですよ」

「事件の調査ですか……?それとも……ふぁ」

「詳細はまた明日にしましょう」



聖女がシースルーの外套をなびかせるとまるで夜風のように優しく月の光を絡めとる。

そのままするりと暖かな布団の間に吸い込まれていき、口元まですっぽりと夢の入り口に浸かる。

教主は枕元に跪き、柔らかな闇の中に人差し指を立てたと思うと、まるで見えない糸を巻き取るようにその先端を揺らす。

そしてその手で、布団の上から小さな体を優しく撫でる、ある種の安眠のまじないだった。




「…おやすみなさいませ」



彼が手を離したころには、ぱちっと伸びたまつ毛は既に安らかに畳まれて、薄い胸が静かに上下する。

静かに照明を落とし、音を立てぬように扉を閉める。

煌々と輝く月は、四角く部屋に影を落とした。



=====================================



離れから母屋へと続く廊下はもうすっかり灯が落ちて、月明かりだけが断続的に廊下を照らしている。

息を潜めても誰がどこにいるか分かりそうなほど静かなその空間に、柔らかい足音が一つ。

白いローブの中に両の腕をしまって歩く彼の姿は、子供が見たら幽霊に見間違えるかもしれない。

実際は夜遊びを咎めてくる幽霊よりよほど現実的に怖い存在なのだが、幸いにして今日の教会にそういった悪い子はいないようだ。


渡り廊下の壁は途中で切れ、裏庭どうしを繋ぐ連絡路となっている。

彼がそこで足を止めるのを見計らったように夜風が白づくめの巨体を撫で、老人とは思えぬほど鍛え上げられた体の一端を晒す。

満月を見上げ、何をか考えに耽るようにじっと淡い暗闇を睨む。


そして、その口が小さく裂ける。



「獣の匂いだ」



反転した視界の中央を紐のような何かが音を切りながら飛ぶ。

切っ先は生垣の一つへと突っ込み、土か枝かと一緒に大きめの塊を弾き出した。

塊は飛ぶように他の生垣を経由してあっという間に角の裏へと消えていき、消える寸前に居た場所目掛け飛んだそれが壁へと突き刺さる。


もはやその場には誰も残らず、二発の射撃の痕だけが”誰か”がいたことを示していた。




=====================================




「ヴァルがしくじった!撤収だ!」

「クソッ、猿顔のくせに何に感づいたんだ……」

「まあ最低限の収穫は得たさ、すぐに───」



教会を守るように囲む壁の裏、建物の影にしゃがれた声が集まる。

丈の長いボロ布を纏い、小さな闇だまりに収まる彼らは不穏な言葉を交わしあう。



「こんなにいるのか」



しかし、月の光からは隠れられても、その眼光からは逃れられない。



背中に走る悪寒に任せてその場を飛びのく。

直後、先ほどまでの地点は真っ二つに切り裂かれる。

弦の音の余韻のようなものがあたりに響き、男のローブがふわりと元あったように垂れ下がる。


また逃がした。

そう思えたのも一瞬のこと。


彼の周囲三方から、月の輝きを鈍く照り返すナイフが彼目掛けて迫りくる。



「「「()()()()!!!!」」」



どう躱そうとも直撃は不可避。

巨体も相まってすり抜けることもままならない。

狙いは喉、肺、大腿、どこに受けても致命的。


不意を突かれた男、教主はかの言葉に心当たりが無かった。

彼はただ、教会に侵入した不届き者に誅を下すのみ。





…………





三振の凶刃を受けた彼は、冷静にそれを見る。


頸動脈を狙った一振は僧帽筋に阻まれ惨めな姿をさらす。

脚を付いた一振は不幸にも膝を合わせられて弾かれ、持ち主とは逆方向に飛んで行ってしまった。


そして最後、彼の正面から狙った一振は、同じく真正面から彼に奪い取られた。


頭上高く、文字通り首の根を押さえられた襲撃者がばたばたと足をふって抵抗するが、ぶつかるつま先に教主は瞬きすらしない。

その正体を覆い隠していたフードは剥がれ、その長い鼻筋と月夜に輝く牙を、夜天にさらした。



「……獣人?なぜ……」



その顔はまさしく狼。

しかし、彼らは人のように二足を立て、肉球のある短い指で器用に人のように道具を使う。

本来はシデロリオ、引いてはリリアル邦にはいないはずの存在が、3人も、しかも教会への侵入を果たしていた。

さしもの彼とは言え、この事実には面食らう。



そこへ、()()()()()()鈍色の輝きがまたしても首筋へと迫る。



「そいつを離せ!」



澱みない刃筋に凄まじい反応速度で教主が裏拳を切先に合わせ、骨の潰れる音と共に勢いそのまま逆方向に吹っ飛ぶ。

しかし気を引くことには成功したようで、彼が視線を戻した時には手の中の毛むくじゃらの感触は失われていた。


死角からの掬い上げるような一撃をかわし、顔目掛けての滅多切りを冷静に撃ち落とす。

息を合わせた逆方向からの同時攻撃には腕二本で十分だと言わんばかりに受け止め、両者を勢いのまま壁へと投げ飛ばす。

全く息を付かせぬ月夜の攻防。

時間にすれば5分にも満たない一瞬の出来事。


それに終止符を打ったのは、夜空に響く三度目の破裂音だった。




「あッ……づ、ァ……」



教主の遥か前方からその呻き声は聞こえる。

植込みの中に倒れ、全力で背中の肉を縮めようと反り返る一人の獣人。

食いしばる牙の間からは涎が垂れ、憎しみと困惑の混ざった視線が虚しく空に刺さる。

体を横倒しにしながら、じりじりと壁へと向かう様子は芋虫よりも惨めで、時期が時期なら一つの娯楽に足るだろう。


教主は先ほどまでふるっていた得物、黒い鞭をローブの中にしまうと、その哀れな侵入者に向かってゆっくり歩を進める。

そして、這いつくばる姿の末端に向かって、思いきり足の裏を叩きつけた。



「がっ……、う"……ぐ……」

「目的と侵入経緯を答えろ」

「誰が……ッぁあアアア"……っ!!!!」

「これは慈悲だと知れ。教会を前に、隠匿は尊厳の剥奪と紙一重である」



厚い靴の底の乗った足首が軋み、筋も骨も繋がりを一つずつ断たれていく。

もはや使い物にならなくなりつつある足に、それでも片腕を這わせながら、獣人は前方の芝をむしる。

だが、呻くことしかしなかった獣の男がマズルを回し、教主の顔を睨みつけると様子が変わる。


黄色の目を三日月のように細め、泡のついた口の端をこれでもかと釣り上げて見せる。

まるでそれは、長い間の念願が叶ったような笑顔にも見えた。




「何がおかしい?貴様らが何を企もうと、神の前に全ては暴かれる」

「ひっ、ひひっ……その視線、"夢"と同じだぁ……」



獣人の男は、狂ったように笑う。憎悪と歓喜をないまぜにして、わざとらしく大声で。



「お前はぁ、オレたち全員が討つべき仇なんだよ!オレ達の魂がそう言ってるゥ!!!!!」

「何を───」





瞬間、今度は目の前の壁から凶刃が迫る。

不意を突かれた一撃、とっさに脚を離し防御態勢を取る。


……だが、それが引き裂いたのは彼の白い衣ではなかった。


彼は構えを解いて、小さく舌を打つ。



「……やられた」



足元の獣人、その喉が鋭く裂かれ、闇の中で色の濃い何かを溢れさせ芝の色を上書きしていた。



「……守護天使(ガーディアン)、前後一時間、半径5m圏の私の記録を収集、私以外の生体反応にマーク。結果は護教騎士団長に共有しろ」



何も語ることの無くなった骸と、二つの傷跡以外に痕跡はなく、他に何人いたのかすらもはや分からない。



「このタイミングで獣人が現れるか……、思ったより厄介なことになっているな……」



月だけが、彼の影を長く照らし出していた。

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