第5話 滞在一日目の成果
「ふむ……これは……」
「ひどい有様でしょう。この都市で一番大きな倉庫なのですが、駐屯騎士が騒ぎを聞きつけた時には既にこうだったと」
二人の偉丈夫が見上げる先には空と大地を隔てる鋼鉄の壁と骨組みが、大きな裂け目を抱えながらも辛うじて天井としての役割を果たしている姿があった。
天井以外も壁のあちこちには穴や裂け目ができており、通りに面したところにあるはずの大扉は正反対の裏口の扉と半ば融合するように折り重なっている。
倉庫だったというこの場所は子供がそのままひっくり返したかのような有様で、足元には元々何だったのかわからない物が散乱したまま放置されている。現場の見聞に来たはいいものの、まさに足の踏み場も無い。
「ハドリアル、お前が全力で暴れたらとしたらこうなるか?」
「なんですかその仮定は。倉庫の破壊……か、そこに隠れている人物の殺害が目的なら、隠れているこの倉庫ごと吹き飛ばしますよ」
「だが犯人はそれをしなかった。それはなぜか」
「……脅してさせたいことがあったから。逃げたので追わざるを得ず、抵抗されたので騒ぎも大きくなったと」
ハマーからの聞き取りでは、犯人と交渉の類いを行ったという言及はなかった。
実際に犯人との間で何かしら交渉があったとするなら、それは教会に知られると都合が悪いものだと言う事になる。
騎士に匹敵する力を持つ子供が、そうまでして商人に呑ませたかった条件とは、一体なんだろうか。
壁に付いた無数の裂け目の一つに手を当てて何やら考え込んだかと思うと、教主は踵を返して倉庫を後にした」
「引き続き調査を頼む。こちらでも何か分かれば共有しよう」
「……貴方が介入してくると聞いた時はそのまま解決してくれるものだとばかり思っていましたが」
「騎士団の仕事を奪いに来たわけではない。私には私の、騎士団には騎士団の解決すべき問題があるというだけだ」
足を止め、男は振り返る。
「実行犯が子供だとすれば、後ろで糸を引くものがいるだろう。そこを抑えることを忘れるな」
「もし、万が一、そのスーパー子供が一人で計画から実行まで行っていた場合は?」
「……そら恐ろしいことだ」
肩をすくめて、彼はそう言った。
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日が傾いて外壁に顎を乗せ、本日の勤めを終え行く人々を眺め照らす。
教主もその例外ではなく、長い影尾を引きながらぽつぽつと一人歩いていく。
今日は中央教会に宿泊するが、その前に診療所に預けていた聖女を迎えに行かねばならない。
昼間に比べて静まり返った診療所の門の前で、彼は一人思いに耽る。
蝶よ花よと育んでいる聖女のこと、彼女は誰がどう見ても未熟である。
そんな状態で、解決できる自負があるとはいえ事件の起きた都市へ連れ出すのに反対の声が無いわけがなかった。
だが、彼は老いた体。一人前になる前に自分が半人前以下に退行する身である。
その前に、きちんと庇護できるうちに、可能な限り経験を積ませたい。
……成長していくところを、少しでも見ておきたい。
そんなエゴを道理に包んで押し付けてしまった自覚はある。
(……あの子なら凄惨な失敗はするまい。何かあっても診療所のフォローが入るはずだ)
そんな独り言を紡がずにはいられないほど彼は内心浮足立っていた。
会釈を返す白い服の人々を通り過ぎ、彼女がいると思しき広間へと足は急ぐ。
だが彼の不安の声を少しずつかき消すように、前方から広がってくるのは賑やかな話し声だった。
「これは、一体……?」
広間へつながる廊下。
そこには患者服に身を包んだ老若男女が文字通り列を成していた。
しゃがんだり座ったりしながら人々はどこか楽しそうに、あるいはこれからの楽しみを共有するように言葉を交わしている。
前方は他の部屋から引っ張り出してきた椅子に座った人々がそわそわと何かの順番を待っている。
「どいてどいて〜。追加の椅子持ってきたよ~」
「……前が見えないくらい物を抱えるなと」
「うわあ教主様いつの間に!?ちょ、ちょ、お、っと……」
後ろからふらふらと練り歩いてきた山積みの椅子を半分ほどひったくると、昼過ぎに見た赤い髪がぴょこんと跳ねた。
相変わらず元気そうなつり目が驚きに丸くなると、明るい色が照明に映えてよく見える。
教主が奪った椅子を列に並べだすのを見て彼女も慌てて手持ちの椅子を配り始め、するとおもむろに教主が口を開いた。
「これはいったいどういうことだ?今日は祭日ではないはずだが」
「んー……直接見た方が早いんじゃないですかね?」
恭しく頭を下げてくる人らに椅子を配り終えた彼は、開きっぱなしの扉からそっと中を覗き見た。
隣に伸びている人の列が壁沿いに延々と続き、角を曲がってぐるりと渦を巻く。
それが壁から部屋の中央へと伸び、押しのけられた布団を超えた先で一人の少女が一回り高価そうな椅子に腰かけていた。
「お、おおお……俺、まだ、子供がこんくらいに小さくてよぉ……カミさんも体が弱いからあんまり働けねえのに……俺が、こんな……」
「大丈夫ですよ。貴方の献身はきちんと神の目に止まっています。教会は貴方のための支援を惜しむことはありません」
「あ、ああ。ああり、ありっ、ありがとうございますぅう……」
「涙を拭いて。今は。また働けるようにしっかりと体を休めてくださいね」
「な、なあ、終わったか?。次は俺だぞ!」
「はい、ちゃんと並べましたね。では、どうぞ不安を教えてください……」
「なあ、これ俺の番回ってくると思うか?」
「このペースだと晩飯の時間は過ぎそうだな」
「まあいいか。飯は毎日出るが聖女様はいつ来るか分かんねえもんな」
「ああ、見てるだけでもなんだか元気がでてくるなあ……」
想像を絶する熱気に、彼はただ呆気に取られていた。
中央に堂々座す少女を囲む人々はまるで彼女が神そのものかのように崇め奉り、傾けられる慈悲の言葉を舐めとるように頭を下げている。
中には職員すら仕事を放棄して祈りを捧げるものもあり、彼女への告解がもう一つの祭事として成立してしまっていた。
思った以上の成果に安堵のため息が出つつ、やや異常とも言える周囲の熱狂にもう一度注意を払う。
しかし、それは診療所という娯楽の少ない環境に、連邦の歴史上初めて実存する聖女の来訪という劇薬が投与された結果であるようだ。
それは紛れもないかの素養の一つでもあるが、この範囲なら問題ないと言えるのだろう。
「教主様?どうかしたの?」
「……なんでもない。少々無茶ぶりをしたが、想像以上の成果を得ているようで安心したのだ」
「お帰りなさい。教主様」
輪の中心からとことこと聖女が歩いて出迎えに来た。
中で列を成していた人々も礼の方向をずらし、聖人二人の再開を無言で讃える。
だが、これで臨時告解も終わりかと嘆く人も多いのか、隠しきれない落胆が透けて見える。
「ただいま戻りました。お勤めは、立派に果たされているようですね」
「……はいっ!ありがとう、存じます……!」
褒め言葉をかけた瞬間、少女の顔は水を浴びた花のようにぱぁっと色めき立つ。
だがすぐにその色は鳴りを潜め、何か言いたそうにもじもじと手を握りだす。
教主は彼女が口を開くのをじっと待つ。
そして、意を決したように聖女が顔を上げた。
「あのっ、それで、まだお話を聞けていない方々がこんなにいらっしゃって……」
生まれて物心ついてから従順そのものだった彼女の、初めてのおねだり。だった。
それが物を欲しがるでもなく、どこかに行きたがるでもなく、ただ苦境に喘ぐ人々の声を聴き届けたいというのは聖女らしいと言えばらしいのだろう。
正確に言えば、お願いする以前の段階で振り絞った勇気は枯れてしまったようだが、それを察せぬほど彼は角ばった人間ではなかった。
「元々様子を見に伺っただけなので、どうか気にせず最後までお勤めをお果たしください」
「ありがとうござ、っ、こほっ、こほっ……!」
「ケイシア」
「あ、お水持ってきますね!はーいどいてどいてー!」
赤髪の少女が風のように人混みをすり抜けていくと、部屋の内外で歓喜に震えた声が漏れ聞こえてくる。
教主はその巨躯を屈め、膝を折って聖女と視線を合わせ、簡易的に診察を行う。
風邪などではなくただの喋りすぎであることを確認し、再び頭が天を衝くかの如く立ち上がる。
「くれぐれも、無理だけはなさらぬように。御身はもはや、貴女だけのものではございません」
「承知しております」
誤魔化しのない真っすぐな色に納得した彼は首を垂れる。
そして振り替えることなく聖女に背を向け、聖女もまた彼に背を向けて先ほどまで座していた席に戻る。
ゆっくりと裾を払って座りなおすと、改めて目下に膝まづく民に向けてその慈愛を微笑む。
「中断してしまいましたね。続きを、聞かせていただけますか?」
人の列は相変わらず壁に沿って続いており、例の騒動で運び込まれた用心棒らしき強面の他にも、元々いた傷病人の姿がちらほら見られる。
適当な列の位置で声をかけ、出番が回ってくる見込みが薄いこと、明日も聖女は滞在することを伝えると、その点から列が名残惜しそうに崩れていった。
延々続くかに思えた列の末路をそうして眺めていると、教主の背中を通りすがりの怪我人がぽんと叩いた。
「残念だったな。聖女様とお話しできる機会なんてめったにないのになぁ」
俺はちゃんと話を聞いてもらったけどな、と口にせずとも伝わるしたり顔に、老爺は無愛想に合わせる。
「……そうだな」
「ま、あんたも教会の人間なんだろ?そのうち機会があるんじゃねえの。知らねえけどよ」
「ああ。お前は怪我が早く治るといいな」
「サンキュな。あんたも長生きしろよ」
男は松葉杖をついてえっちらおっちら歩いていく彼を見送る。
途中で職員に呼び止められ、何事かに腰を抜かすほど驚いたようだが、彼にとっては知ったことではなかった。
教会への帰路を行くその最中、先ほど投げかけられた単語がふいに喉奥からせりあがる。
「長生きか……」
口の中で転がす言葉には何の味も感じられない。
それは、価値とも、無価値とも、反価値とも言えない。
少なくとも彼にとっては。
「……はあ」
灰色のため息が、彼の答えだった。