第4話 診療所(広間)にて
診療所内の雰囲気は外よりも忙しない。
怒号が飛び交う、という感じではないが、どの人も自分の抱えた仕事の為に早足早口で所内を右往左往している。
教主や、そのそばにいる小さい聖女に気づく者も、軽く会釈をしてすぐに通り過ぎてしまう。
順番を待ってカウンターで手配を通すと、案内人が二人現れた。
「では、私は被害者に話を聞いてきます」
「分かりました。私もお供を……」
「いえ、聖女様には別のことを頼みたいと思います」
「別のこと……?」
教主は案内人の片方に目配せをする。
合図を受け取ったその人は聖女の前へ歩み出て、恭しく礼を見せた。
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広間には等間隔でマットレスが配置され、その上に包帯やギプスで処置された、痛々しい姿が何人も寝かせられていた。
その内の一人、比較的若い男が集団の一番端に寝されていた。
ギプスで固められた脚を投げ出し、退屈そうに天井を眺めている。
そんな彼に歩みよる小さな姿が、一つ。
「え、えっと、こんにちは……私……」
「あー?……ガキがこんなところに何の用だ」
「……そっ、その……少し、お話をと」
妙にひらひらした格好の、年端も行かない少女。
おどおどして落ち着きが無く、話し方の歯切れも悪い。
教会の人間だろうが、いったい何をしに来たんだろうか。
まさかこの惨状を笑いに来たのではあるまいな───と男の心中は穏やかとは言えない。
「……私は教会の方から来た者です。傷の具合はいかがですか?」
「はっ、教会ね。”おかげさま”で、こっちは毎日退屈でしょうがねえよ」
「あ、うう……」
「ちっ……」
投げかけた嫌味に対する余りに純朴な反応に嫌気がさす。
庶民のことなどろくに知らない箱入り娘、それが何かの催しで病人の看病を……そんな推測を男は立てた。
腹立たしい。それが彼の、そしてその場にいる傷病者の率直な感想だった。
こうして彼らが床に寝ているのはまとまった病床が不足しているからに他ならない。
先日の倉庫襲撃にて大小問わず怪我を負った者たちが、全てここに運び込まれていた。
近い診療所がここだった。事件の聴取に都合がよかった。他の診療所では対応に時間がかかる。など、理由を挙げれば色々ある。
だが彼らにしてみれば、仕事を全うしようとして働けない状態になったのに、まるで邪魔者のように押しのけられて不満がたまっていた。
働けない間は当然賃金も出ない。家族を養うものも少なくない中で不満に不安が重なっていく。
そんな状態で、汗の一滴も書いたことのないような小娘がのこのこやって来たところで、慰めになどなるはずがない。
そんな冷たい目を向けられてなお退くことのできない少女、聖女は震えだす体とは裏腹に妙な納得感を抱き始めていた。
先ほど教主からかけられた激励の言葉が、雪に染み込む湯のように、彼女の緊張をほぐし、決意を固めていく。
『今から話を聞いてもらう方々は、必ずしも教会に好意的なわけではありません』
『そ、そんな人がいるのですか……?』
『います。むしろ、貴女が今まで出会ってきたのは教会に好意的な人たちばかり。ですが、世界にはそうでない人も同数以上います』
『そ……そう、なのですね……』
『しかし、彼らが教会に、あるいは貴女に辛い態度を取ったとして、そこには教会が嫌い、という以上の理由があります』
『理由……』
『そう、それは─────』
「不安で……」
「……あ?」
「『不安で、仕方がない』『頼れるものがもうない』『何を信じていいかもう分からない』……」
「……何の話してやがる」
「働けない間は働けない。働けないと、食べていけない。もしかすると、怪我の治りが悪くて今までのように働くことはできないかもしれない……」
「やめろ……」
「教会に頼って、後で何を請求されるか分からない。そもそもあんな偽善者の頼りになんか……」
「不吉なことばっかり言ってるんじゃねえ!!!」
広場に絶叫がこだまする。
中に収容されている人らの注目は一挙に集まり、部屋の外からも何事かと様子を見に来る野次馬が出てくる。
声を荒げた男は半身を起こし、血走った眼で少女に喰ってかかる。
「知ったようなことばっか言いやがって……アンタみたいな箱入りには分からねえだろうがなぁ、俺達は毎日汗水垂らして働いてるんだよ!!!」
聖女は口を閉ざして動かない。
大きな声に肩をすくめ、暴風雨のようにまくし立てられる感情を真正面から受け止め続ける。
「そんなやつがなあ!上からキレイゴト並べたって俺達には何の得も───」
「その通りです」
「な……。……?」
「確かに私は、仕事を失う恐ろしさも、飢えに怯えた経験もありません」
「……じゃあ、ダメじゃねえか」
「ですから───」
聖女が体を乗り出す。
薄い胸に手を当てて、確かな信念を湛えた目を、まっすぐ目の前の男に向ける。
「───教えてください。貴方の苦しみ、貴方の恐怖を」
「う……近ぇって」
「決して言葉遊びで終わらないと誓います。ですから、貴方が苦難の闇から抜け出すお手伝いをさせていただけませんか」
一転、男の勢いは風に吹かれた蝋燭の火のように乏しいものとなる。
そして、聖女の勢いは真昼に天上で輝く太陽のごとく、まぶしく揺るぎないものとなった。
「私は、教会より”聖女”の身分を授かりました。その理由は、まだ分かりませんが……」
「それなら神はきっと、目の前で苦しんでいる人に手を差し伸べるための力を私に授けてくださるはずです」
男は、聖女の迷いのない顔を見た。
項垂れて、喉から何かうめき声が漏れたあと、彼は自分でも困惑したように言葉を紡ぎ始める。
「本当に……助けてくれるのか……?俺には、何も特別なものなんて……」
「助けます。救いは、特別な誰かにだけ与えられるものではないはずですから」
そうして男は、自身の苦境を語りだす。
理不尽、自業自得、賭けの代償、全てが救済に値するわけではなかったかもしれない。
だが、聖女は平等に全てを聞き届けた。
全ての苦しみに心から寄り添い、ともに迷い、時には拙くも道を示して見せた。
ふと、聖女は顔を上げる。
周囲にいた患者の一人が、おずおずと男の後ろに這って並ぶのが見えた。