第41話 黎明を背負う者
戦況は悪い。
侵入を許した魔物の群れはあっという間に東部から西部まで到達し、周辺住民が避難している施設を包囲し追い詰めている。
配備した騎士がいかに神の加護を受けていようと、圧倒的な物量差の前には気力も体力も底が知れていた。
終わりの見えない防衛戦。朝までと仮に銘打ってはいるものの、それで活動が落ち着くのは平時の話であり、今のような異常事態にどこまで通用するかは誰にも分からない。
諦めることは許されない。民の命を守るという建前が無くとも、恐怖に呑まれた時点で奇跡は薄れ魔物の餌食となるのは目に見えている。
ギリギリまで精神を振り絞り、使い果たした者から死んでいく。
騎士は騎士として。修道女は修道女として。その命を全うするか、神にも自らにも背いて死ぬか。
これが奇跡の数少ない代償。神に信仰を捧げた時点で、それ以外の末路は許されない。
最も苛烈なのは壁外の防衛線。
壁にできた裂け目の前にはただ一人、黒焦の騎士が持てる祈りを全て捧げて簡易的な結界を貼っている。
だがその大きさは十分ではなく、飛び込んでくる魔物を防ぎきることはできない。
壁上で射撃や砲撃を行う騎士も万全ではなく、その上長期に渡る戦闘でリソースが尽きかけていた。
「クソッ……ちょこまかと……!」
「もう一回壁を崩しますか!?次こそ塞ぎきれるんじゃ……」
「ダメだ。これ以上崩すと高さが足りなくなる……なにより……」
工夫は凝らした。根性も見せた。
それでもなお終わらない。止まらない。
「あの幻想種に乗り越えられたら……本当に何もかも終わりだ……」
彼の視線の先には、月夜に聳え立つ大いなる存在。
長い首は屹立し、その背後には蝙蝠のもののような翼が広がる。
機嫌よさげに長い尻尾を振り回すと地面は抉れ、汚らしい跡が足跡よりも鮮明に刻み込まれた。
悠々と四足で歩く全高は50m、トカゲのような三角形の頭からは歪んだ角が2本伸びていた。
[____観測終了 命名:噴怨竜/Dracones irrisor]
壁との距離は約2km。目を凝らせば其れがどんな表情をしているのかまで分かる。
「クソが!舐めやがって!あの炎を使えばすぐ終わるだろ!?」
吐き捨てながら一人の騎士は壁を通過しようとする魔物を2匹射落とした。
───だが、それに何の意味がある?
一匹で都市を蹂躙できる存在が間近に迫っているのに、たかだか小物を落としたところで全滅は免れない。
……そんな考えが頭をよぎる時、その騎士の握る矢から急速に光が失われていく。
「お前もう下がれ!ちょっと休め!」
「ぐぅっ……すまん……」
奇跡を扱う騎士において、士気の低下は戦力の低下に直結する。
心が折れた者にできるのは絶望を振りまかないように大人しくしてることだけだ。
「GUUUUUUUUUUURRRHHHHHHAAAAAAAAAAAA──────」
いよいよ、其れの咆哮が直に彼らの耳朶を叩く。
虚しい奮戦をあざ笑うかのような不快な騒音。それに何の感情が籠っていないと理解しつつも、悔しさに歯を食いしばって魔物を迎撃していく。
其れは足を止め、矮小なる抵抗をしばし眺めている。壁上の騎士らはそれに対して矢を向けることができない。
今、其れに攻撃して何の成果も得られないと分かってしまったら、その場の全員の心が折れかねない。
今、神に見放されるわけにはいかない。欺瞞でも暗示でも構わない。臆病を見咎められた時点で全員死ぬのだ。
其れはその事情を知ってか知らずか、より深く心を抉るために静観を選んだ。
「チクショウ……チクショウっ……」
「何か手立てはないのか……!?」
「諦めるな!神が我らを見放すはずがない……必ず……」
心は擦り減る。研ぎすぎた刃がいずれ欠けるように。
いくら言葉で飾り立てても、それは削れた隙間を埋めるようなものではない。
そして、一筋の光が差す。
「──────あ」
闇夜を拭き飛ばす焦熱と烈光。
この惨状の原点。だが今は、終わりなき責め苦からの解放の光に見えた。
そして、悲鳴のような音が響き渡った。
…
「……え?」
弾ける轟音。吹き荒れる熱風。
其れの口腔で収束した魔力は真っ直ぐ目標地点へと着弾し、周辺を焦がし溶かしていく。
その総熱量は及ぶべくもないが、輝きだけならば太陽にも匹敵するだろう。
騎士たちはそんな光が、目の前を横切っていく様を網膜に焼き付けていた。
なんで、と呟いた言葉がかき消え、直後、放出の終わった世界に暗闇が満ちる。
赤と緑で瞬く目をこすって彼らは状況を確認する。
壁の前に広がる大地は横一直線に焦げて禿げ上がり、その末端には未だ赤熱する大地がくすぶっている。
どういう訳か魔物らも動きを止め、その着弾点を注視しているように見えた。
件の幻想種はいつの間にか向かって左、北の方へ跳躍し、同様に着弾点に存在する何かに対して警戒心を露わにしていた。
───その何かは、爆心地の中央で高く腕を掲げている。
突き上げた拳の先端は地面同様に赤熱して、末端から徐々に炭化して崩れ始めていた。
だが緩慢に、しかし確かに体勢を変えていることから、それが生きていることは明らかだった。
そんな光景を目の当たりにして、誰かはこう思う。
まるであの熱線を素手で防ぎきって生き延びたのではあるまいか、と。
それは背中側、何もない空間から無事な方の手で何かを取り出そうとする。
握った拳は震え、力を込めた腕から何かが背筋へ逆流しているかのように苦しみ悶え体をよじりながら。
徐々に得物はゆっくりと姿を現し、肩で呼吸をする彼の手の中へと納まる。
それを手にした彼は、背中を丸めてゆらゆらと歩き出した。
『各……い…………聴……』
「この声、団長か!?」
「無事……いや、そんなことよりも───!」
『……内……の…………掃……に……せよ……』
「『都市内の掃討に移行せよ』?いったい何を言ってんだ……」
「……いや、行こう。ここはお二人に任せるんだ」
「おい、どういうことだ説明しろ!二人って……」
まだ大量にいる魔物に背を向け始めた騎士に、別の騎士が声をかける。
彼は振り返り、確信を持った顔つきで言う。
「教主様が戻って来たんだ」
その眼に微かな希望を再び灯らせて。
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(あと何分……いや、何時間か……)
騎士団長は祈っていた。
絶え間なく続く魔物の襲来を結界で防ぎながら、回生の一手がやってくる瞬間を待っていた。
幻想種の一撃を受け止めた時点でその力量を理解した彼は、残存戦力ではこの夜を決して乗り切れないことを悟った。
教主は行方不明。自分も足止めで精いっぱい。他の勢力が到着する前に都市は陥落ることだろう。
───今回の幻想種は狡猾だった。
事前に都市の許容量を遥かに上回る魔物を集めて温存し、教主が無防備になる瞬間、いつ来るかも分からない一瞬を淡々と待ち続けた。
期を見計らって熱線による超遠距離狙撃で結界、防壁、そして教主を一気に無力化し、守護天使の探知範囲外からけしかけた魔物の物量で押しつぶす。
……霞む思考で纏めた一連の推測は、概ね当たっている。
ここまではあの忌々しい魔物の筋書き通り。
ここから人類が巻き返すには外部の助力が必須。
だから彼は残った力を振り絞り、神にその信仰を示し続けた。
神ならば、この事態を見ているのならば、きっと救いの手を差し伸べてくれるのだと。
───そしてそれは、悲鳴のような音という形で現れた。
(弔鐘う朽笛……ああ……)
それはかつての大征伐で使われた道具。
吹いた人物に対して半径20㎞の範囲に存在する魔物全ての注意を一身に引き付ける悪夢の道具。
それを万全に使いこなせるのは、万を超える魔物に囲まれても涼しい顔をできる彼しかいない。
騎士団長は結界を僅かに緩め、その分で伝声の奇跡を行使する。
干からびた喉で最低限の指示を伝えた後、彼の意識は薄れていく。
(どうか……我らを……)
意識が無くとも、彼は立ち続けた。
朝になって回収されるその瞬間まで、槍の残骸に確かな光を宿しながら。
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朽笛を使い、熱線を素手で相殺し、そこに教主は立っていた。
片腕はもはや使い物にならない。その程度で済んだとも言えるが、どの道、この後の掃討には一手足りないのは同じだ。
だから彼は徐に背中に手を回し、勇者と同じ要領で得物を取り出し、握りしめた。
それは、恐らくは杖。
黒一色に染まったそれは夜空よりも黒く、材質はおろか質感すら判然としない。
頂点には何かの結晶が手のように枝分かれした部品の中央に嵌りこんでいる。
形状は歪にねじ曲がり、杖として体を支える役割は果たせそうにない。
その異様とも言える外観は、まるで杖そのものが自らの苦悶に身をよじり狂っているかのようだった。
「GUUUURRRHHAAAAAAAAAAAA──────!!!」
幻想種の咆哮を合図に、その場のあらゆる魔物がただ一人を目掛けて殺到する。
その様子に、先ほどのような余裕や慢心は感じられない。
全身、全霊を持って相手を殺す。
殺られる前に。
立ち直る前に。
動かれる前に。
人間一人を殺すには過剰とも言える圧力を前にしても、教主は平然としていた。
正確には発汗は止まらず、体も小刻みに痙攣しているが、それは魔物と相対する恐怖によるものではない。
「……私がいない間に、好き放題してくれたじゃあないか」
彼の脳裏によぎるのは、何をかけてでも守るべきだった最愛。
だが多くの魔物の侵入を許し、その中で無残に死んでいたとしても全く不思議ではない。
一刻も早く駆け付けて彼女の安全を確保するのが彼の身上としても目的としても正しいのだろう。
しかし、彼はそれを望まない。
正しくは、聖女がそれを望まないだろう故に、彼はそれを望まない。
「嗚呼───」
片腕が無くとも。
多くの罪傷に苛まれようとも
「この程度で───」
悪意ごときでは、
「私に」
「勝てるとでも思っていたのかァァァァアアアアッッッッ!!!!!!!!!」
杖の一振り。それで獣の頭蓋が3つ吹き飛んだ。
纏わりつくものはそのまま踏みつぶし、足りない範囲は拡張肢で補う。
視界にいる全ての魔物の動きを補足し、予測し、殺戮する。
彼の1秒が、一挙手一投足が、的確に命だけを狙って破壊していく。
だが魔物側もただでやられるわけにはいかなかった。
同朋が砕かれているその裏に回り、無防備な背中目掛けて爪を振るう。
その多くは強靭な拡張肢によって撃ち落とされるが、全てとはいかない。
傷は少しずつ積み重なり、纏うものの無い教主の体を血で浸していく。
「RRRRRRRHHHHHHAAAAAAAAA!!!!!」
「ッ!」
咆哮に反応し飛びのいた場所を、同朋もろとも巨大な爪がえぐり取る。
体高は20倍、質量に至っては1000倍に迫る圧倒的な規格差。
人間がハエを潰す時のように、その数倍の殺意を込めて竜はその脚を振るう。
───しかし、一手遅い。
その時には既に、彼は其れを超えて月を背負っていた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
そのまま其れの背中目掛けて落下、羽ばたく翼を掻い潜って取り付き、一撃でその背骨を筋肉ごと叩き割った。
絶叫を上げて体をひしゃげ、大いなる物が大地へ崩れ落ちる。
それでもまだ動く前脚へ力を込めようとする其れの体が衝撃と共に再びひしゃげる。
何度も、何度も、何度も、杖を握った拳を鱗の隙間に叩き付ける。
強靭につなぎ合わされたタンパク質が強引に分断され、破れた血管から行き場のない血液が皮膚の間へ滲み出る。
一打ごとに其れは悲痛な悲鳴を上げ、周りの同朋へと助けを求めた。
それに応えるかのようにあっという間に雑種がアリのように竜の背に群がり、その頂上で暴れるものへと喰らいつく。
しかし、止まらない。
腕に噛みつき、脚に噛みつき、拡張肢に噛みつき、頭に喰らいついても、その男は殴打を止めない。
むしろくっついてきたものを骨の塊としか思っていないかのように、掴んで叩き付けてはミンチを量産していく。
やがて厚み1mもある皮膚が破れ始め、煮えたぎるような血液が傷口から噴き出す。
その隙間からから腕を突っ込み、脚を駆使して真皮と筋肉を引き裂く。
内臓から飛び出してきた寄生虫を握りつぶし、はみ出した神経を束にして引きちぎる。
暴虐、残酷、生きたまま腹から解体されていく恐怖は、魔物と彼の立場を逆転させた。
其れは許しを請うように情けない声を上げる。雑種はもはや歯牙にもかけられない。
心臓が露出し、呼吸も絶え絶えになった幻想種の目前に、いつの間にか脱出した教主が立っていた。
首を上げることすらままならなくなったその哀れな姿を彼はしばし観察する。
やがて、其れの視線と目が合う。
怯えるようで、許しを請うようで、十数分前の傲慢に満ちた面影は全くないその視線を正面から見据える。
彼は満面の笑みを浮かべ、其れの鼻筋を殴り飛ばした。
2mはある顔をよじ登り、殴る。殴る。殴る。
目を殴る。鼻を殴る。耳を殴る。額を殴る。
岩よりも頑丈な頭蓋骨が端から少しずつ砕け、竜の視界は少しずつ狭くなる。
腕が届くわけもない。瞼ももはや役に立たない。
抵抗も逃避もできない。ただ狂った男に死ぬまで殴打しつづけられる。それを享受するほかない。
叫ぶための口が無い。涙腺は破れて干からびた。
怒れる竜は思い出した。
遠きかつてに受けた凄惨な恐怖を。
笑顔のままに蹂躙されるという、耐えがたい屈辱を───
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朝日が昇った。
大地は赤露に輝き、ある意味で幻想的な光景を彩っていく。
都市の掃討が終わって外の様子を見に来た騎士は目にするだろう。
おびただしい数の命の残骸、打ち砕かれた恐怖の象徴。
その向こうに立つ、黎明を一人背負う男の姿を。




