第39話 暴走
───まだ安全な場所にいない住民のみなさんは、速やかに避難をお願いします。繰り返します───』
「……教主様がいるのに魔物を通したのか。いや、やられたからこそ結界が破れたのか…?」
「所長。シスターの処置は終わりましたが……」
「分かった。全員このまま待機」
診療所の一室。
先ほどまで聖女が寝ていたベッドには蒼白な顔を苦し気に歪めるシスターが代わりに寝かされていた。
着こんでいた聖衣は一部が脱がされ、その体表からいくつも青痣を覗かせる。
壁に打った釘にかけられた点滴が、失われた命の欠片を辛うじて補っているような状態だ。
限命結界。使用者の命を担保に展開される強固な結界の反動は、彼女の体内を文字通り破壊するという形で現れた。
壊れた結界が一部だからか内臓に致命的な傷はない。それでも大きな血管がいくつも破れ、筋組織も断裂が激しい。
できるのは鎮痛と魔術による血管の縫合くらいで、後は彼女がそのまま生を手放さないことを祈ることしかできなかった。
「聖女様は?」
「他の患者らと同様に大広間に避難して……」
「……あ、あの」
弱々しく開かれた扉から差し込んだ弱々しい声に、職員の声が遮られた。
弾かれたようにその場の全員がそちらを向くと、そこには申し訳なさそうに顔を覗かせる聖女その人がいた。
「どうしてこちらに!?広間は扉を打ち付けて封鎖するという話では……」
「い、いえ。それは存じているのですが……」
『聖女様は、シスターの傍にいてあげてください!』
『俺たちは大丈夫ですよ!もし魔物が来てもなんとかしてみせますから!』
『シスターの状態は深刻なのでしょう?でしたら、神のご加護の強い貴女が傍にいた方が良いはずです』
『シスターの傍になら護衛の騎士がいて安全だと思いますし……行ってください』
「……と、言われて……」
「はぁ……」
所長が大きなため息をついた。ここ数日で一番重く深い呼吸だった。
住民の言うことにも一見一理あるように見える。
しかし彼女としては、子守りの手間の分だけ負担が増えると思っていた。
聖女がお行儀のよい子なのは承知していても、子供は突発的に何かしでかすものだという認識の方が強かった。
「まあ、仕方ありません。時間も無いので隅でじっとして……ああ、窓の近くは避けてくださいね」
「は、はい……」
「よし。こっちも封鎖してくれ」
「はい」
男衆が用意してあった板材を使い、手早く出入口を打ち付けていく。
扉、窓、通気口があるならばそこも、ネズミの頭が通らないくらいの隙間を空けて封がなされた。
その様子を黙って見ていた聖女はあることに気づき、けれど何か言うわけにもいかず、その場であわあわと首を振った。
それに気づいた職員の一人が彼女の元に歩み寄り、目線を合わせて口を開いた。
「どうかなさいましたか?お手洗いは申し訳ありませんが……」
「い、いえ、そうではなく……あの、騎士の方々がまだ外にいますよね……?」
「……ああ。騎士たちのことを心配しているんですね。大丈夫ですよ」
職員はにっこりと、少し悲しそうに微笑んで言った。
「彼らは夜が明けるまで、あるいは死ぬまで私たちを守るために戦い続けます。それが役割で、責務ですから」
「で、でも……疲れて休憩したり、怪我をした時だって……」
「魔物を相手にそんなことは言えません。それに扉を開けた一瞬に魔物が入り込んだら、我々には抵抗する術がありません」
「それは、……うぅ」
「大丈夫。彼らはそれを覚悟で武器を取る道を選んだ。むしろ彼らにとっては、自身の死よりはるかに他人の死の方が辛いんですよ」
聖女はそれ以上何も言えなくなった。
そんな彼女の頭を撫で、職員は元の持ち場へ戻っていった。
シスターの代理として権限を得た所長は、守護天使の観測情報から魔物の進行状況を確認していた。
既に東部教会は魔物に包囲され、騎士が必死に防衛線を維持しているところだった。
魔物はそれに留まらず、既に三方向へと進行を開始。この中央教会へはあと10分もせずに到達するだろう。
だが、所長にはそれよりも気になる場所があった。火の粉が降りかかりつつある自陣より、被害の酷くなりそうな場所。
「北部のスラム地帯……」
「一応、騎士団の一部が配備されるようですが……」
「あそこは教会を嫌うやつらの集まりですよ。背中から刺されてもおかしくない」
「そうですよ。あんなやつら、守る必要なんて……」
口々に集まる不満は、彼らがスラム住民を治療した時の経験に寄っていた。
施しは当然としてお礼を言うことなどなく、それに不備があったら世界の終わりかのように相手を責めたて、享受している苦しみを押し付けることになんの躊躇いもない。彼らに取っては自分が正義であり、それを救済できない全てが悪だった。
聖女の炊き出し支援の時は教主が睨みを利かせていたため大人しかったが、普段は揉め事が起きて騎士が鎮圧するのが恒例となっていた。
「……ああ。本当にあのバカ共には手を焼かされる」
そして所長もそれを嫌というほど理解していた。
「だからとはいえ、それが理不尽の降りかかっていい理由にはならない」
理解した上で、あくまで公平に、彼らにも救いがあるべきだと考えていた。
彼女の視線はベッドで苦しむシスターへと向く。
乱れた前髪をそっと直し、指の先で玉になった汗を拭った。
「ティーレも、同じことをいうだろう」
「それは、確かに……」
───突然、何かが砕ける音がした。
微かな音だった。だがそれは、話し込んでいる彼らの意識にも突き刺さる嫌な明瞭さを持っていた。
黙って夜明けを待っていた者にとっては、より不吉さを持って届いたことだろう。
所長は伝声の奇跡を使って外に待機している騎士に語り掛ける。
「診療所の周囲を巡回してくれ。さっき何か変な音が……」
『既に確認しています……が、窓が……』
「窓が割れたのか!?だったら早く塞げ!もうすぐそこまで……」
『内側から割られているんです!君たち、一体何があったんだ!?』
内側から。その言葉の意味を所長はしばしの間理解できなかった。
目隠しをされたような心地のまま、奇跡によって無作為に拾われた周囲の会話が耳に届く。
「突然あの子が目覚めたと思ったら、すごい勢いで打ち付けた板を剥がしだして……」
「なあ騎士様。あの子が帰って来るまで塞ぐのは待った方がいいんじゃ……」
「いえ。もう猶予はありません。その子は騎士団で保護するので、皆さんは自身の安全を確保してください」
「板材もあんまり余ってないんだ。他に持ってきてくれないか?」
「ある分で内側は封鎖してください。後は外から塞ぎます」
『あの子……』
口ぶりからして女、あるいは子供。
釘で打ち付けた板を素手で引きはがすのは大人でも困難だ。
それなのに周囲の人間に気づかれる前にそれを完遂し、あまつさえガラスを割り、あっという間に外へ逃げていくことなど可能なのだろうか?
そもそも、そうまでして今の状況で外に出たい理由は何だ?
魔物を恐れずに、あるいはその恐れを踏み越えてまで、教会の庇護を蹴ってまですることなどあるのか?
思考が瞬時に脳内を駆け巡る。
だが現場を確認にいけるわけでも、その少女を救出しにいけるわけでもない。
現状がかなり切羽詰まっているのに、これ以上心のリソースを裂くことは望ましくない。
「……今は封鎖を急いでくれ。逃げだした子とやらの捜索も───」
『おいいつまでかかってるんだ!早く戻ってきてくれ!』
『ちょっと待て!こっちも大変で……』
『女の子が予備の槍ぶんどってどっか行ったんだ!二人追跡に出したから防衛体制を組み直さないと!』
『はぁっ!?』
更に混乱していく状況。今夜だけでいったいどれだけの肝が潰れたのだろうか。
しかしその中で一人だけ、回答にたどり着いた人間がいた。
「おい槍取られた方!!その女の子の髪は赤か!?」
『えっ!?あっ、はい!患者衣も来てたので診療所から逃げ出したんだと……』
「その子は地下で聖女様を守ってた子だ!!まともに動ける状態じゃないはずだぞ!!」
その一言で場の空気が一変する。
そして誰もが同じことを考え、その方を見た。
部屋の隅でうずくまっていた聖女は、信じられないものを見たような顔をしていた。
呆然とした表情が亀裂が入るように歪んでいき、何かを堪えて所長へ祈るような視線を向ける。
頬は赤く紅潮し、唇は噛み締められ、前のめりになった体を震える腕が支えている。
所長は僅かに躊躇った後、伝声の奇跡を通して外の騎士へと叫んだ。
「もう魔物の群れが来る!捜索と保護は二の次、今は防衛に集中しろ!ここが陥落たらシデロリオが終わるぞ!!!」
『……了解。だが先行させた二人は呼び戻さない』
「チッ、それで構わない。一刻も早く建て直せ!」
奇跡を中断し、所長は近くの椅子にどっかりと腰を下ろした。
眉間を揉み、微かに覚えた頭痛を飲み込み、ようやく天井を見上げることができた。
───これでいい。間違っていない。私の判断は正しい。
すすり泣く声にかき消され、その呟きは自らの耳には入らなかった。
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「チクショウ!どうなってんだあのガキんちょ!全然距離が縮まらねえ!」
「この匂い……クソッ!」
騎士の中でも身軽で脚の速い二人が全速力で屋根の上をかける。
切れ目を飛び越え、傾斜を踏み越え、ただの一度も止まることなく走り続けて数分。
それなのに視界の奥にいる赤い影には全く続けず、逆にこちらの息が切れ始める始末だった。
最後の打ち合わせを始めて、その時突然診療所の方からガラスの割れる音が響いた。
何が起こったか考える間もなくあの少女が飛び出し、置いていた槍を無造作に掴むと一息で近くの民家を駆け上がり、そのまま西へ走っていった。
咄嗟に体が動いた二人が、現在その後を追っている。
魔物の群れはもう目の前にあった。
目に染みる臭い、肌が震えるような唸り声。
どう考えても危険な場所に少女は一人猛進していく。
屋根から飛び降り、先頭にいた狼の頭をそのまま貫き潰す。
突然現れた獲物に彼らが動揺などするはずもなく、一部の獣がこれ幸いと飛び掛かる。
だが彼女は、その場で槍を死骸に突き立ててより高く跳んで見せた。
それはさながら泥沼から飛び立つ白鳥のように美しい振る舞いだった。
「嘘だろ!?」
「ああもう、援護するぞ!」
追い付いた騎士も弓を構え、屋根上から彼女に襲い掛かる魔物を正確に射貫いていく。
そんな必死な援護もどこ吹く風かと、少女は一人踊りながら魔物を引き裂き続けた。
幸運なのは、大多数の魔物は流れに身を任せ、より多くの人間の集まる場所を目指しているということだろう。
おかげで彼女に降りかかるのはそのうちの1割にも満たない。
だが、鎧も兜もない彼女が無傷でいられるはずもなかった。
かすっただけの爪が深々と若く白い肌に赤い筋を残す。
牙に押し負けまいと振りぬいた脚からは鮮血が痕のように迸る。
触れるだけで毛皮は彼女の皮膚を削り取り、傷口からは不衛生な液体が体力を蝕もうと染み込んでいく。
屋根上の二人は、僅かに、しかしながら少しずつ鈍っていく動きに焦る。
だがいくら矢を放てど、奇跡を行使えど、その数はまるで減らない。
壁を登って来る魔物が増えた。
片方が肩に傷を負った。
奇跡の光が弱くなっていく。
目の前が汗で霞む。
弓を引く指が震える。
絶望が、心に滲む。
「じぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁまぁぁぁあああああああ!!!!!」
雑唱に負けない怒号が空気を割り、直後に魔物の流れが割れる。
叩き付けられた何かがその場を薙ぎ払い、濁流の中にぽっかりと穴が開いた。
中央に立つ何者かは真っすぐ赤い髪の少女の元へ突き進む。
その者が何かを叫んで手を伸ばすと、少女はぐったりと動かなくなり、抱えられるがままになった。
後続の魔物が隙間を埋めるようになだれ込む。接触まで幾許も無い。
慌てて辺りを見回していたその者だったが、何を思ったのか屋根上で呆気に取られていた騎士を見つけたようだ。
「キャッチ!」
ぐんと迫りくる黒い塊。
反射的に避けたそれが鎖の付いた斧であることに気づいた彼はそれをがむしゃらに掴んだ。
強く引かれる感覚につんのめったところを、怪我をした方が片手で屋根の頂点を、両足でもう一人の腰を捕まえてなんとか堪えた。
息を合わせて引き上げると、まさに間一髪で根元の二人は宙に浮き、辛うじて魔物の爪が靴裏を掠めるだけで済んだ。
「ぜー……ぜー……た、たひゅかっ……うっ、おえ……」
「お、おいアンタ。大丈……」
尋常ならざる様子に、そして尋常ならざる活躍に駆け寄った騎士は言葉を失った。
極度の疲労に胃をひっくり返したからではない。魔物の群れに躊躇なく突っ込む無謀さにでもない。
その場で手を突いていた彼女が顔を上げて口を拭う。
それは、追いかけていた赤い髪のと大差ない年齢の紫髪の少女だった。
「き、君は……?」
「うぇ……マジ最悪……」
「っ、危ない───」
どう声をかけるべきか考えあぐねていたところに、またしても魔物が壁を這いあがって来た。
それが真っ先に牙を剥くのは、一番縁に近い紫髪の少女。
騎士は急いで弓を引き、照準を合わせる。
「っん!」
それが放たれる前に、少女は斧を握り体を反転させる。
次の瞬間には、飛び掛かった魔物は屋根ごと真っ二つに両断されていた。
心臓に響く地鳴り。魔物への攻撃の躊躇の無さ。何より子供離れ、いや大人を含めても一二を争える膂力が、二人の度肝を抜く。
「はぁ……クソ。休ませてくれない……」
「君!」
「へぁっ!?」
強めにかけられた声に、紫髪の少女は素っ頓狂な声を上げて振り返る。
直後に「やべ」と小さく呟いて羽織っていたマントを目深に被り、まるで人目に触れたくないかのようにうずくまった。
騒々しい沈黙が少しの間続いた後、先に口を開いたのは騎士の方だった。
「……君が何者なのか。少なくとも騎士ではないだろうが……」
「すんませんちょっとそれは……」
「だが、今は頼む。その子を安全な場所まで連れて行ってくれ」
「色々キツく言われてて……って、え?」
マントの端から少女は彼らを垣間見る。
そこから覗く景色、大の大人二人、正規の騎士二人が日陰者の自分に真っすぐ頭を下げる光景に、言葉を失った。
「俺たちは中央教会の防衛に戻る。だが情けないが消耗していて、そこの赤い子を連れて行く余裕がない」
「君はどうやら戦えるし、その子を担いでも動き回れるだけの力がある。頼む、その子はまだ傷が癒えていないんだ」
紫髪の少女は手をついたまま項垂れる。
マントに隠れて見えない顔は、どういうわけか悲しみに歪んでいるように見えた。
少ししてから彼女はすっくと立ちあがり、赤髪の少女を担いで背を向けた。
「……絶対内緒ね!」
彼女は機敏な身のこなしで、あっという間に夜の闇へ消えていく。
それを見送った二人の騎士は、中央教会の方向へと向き直る。
「急ぐぞ」
「肩は大丈夫か?」
「取れるまで使い倒してやる」
彼らもまた屋根から屋根へと跳んでいく。
魔物の群れは、教会へと真っすぐ流れていく。




