第38話 冒涜
───夜天の中空。およそ誰の目も届かないような場所に彼女はいた。
黒い服装なのもあっただろうし、この状況に置いて空を望むものもそういない。
故に、彼女の存在が誰にも気づかれることはない。
物語の魔女のように箒に腰かけて優雅に漂っていることも、その先端に吊られているものがランタンなどの装飾ではなく、一人の人間であることも。
「おもーーーったより大変なことになっちゃいましたねぇ……」
その声音にあまり余裕は無く、かといって切羽詰まった様子もない。
呆れているのか、困っているのか、あるいは何の感情も籠めていないのかは、聞いただけでは分からない。
見えない糸で吊られている少年の、時折上げる「ねえちゃん……」という呻き声の方がまだ分かりやすいだろう。
「流石にあんなの尻ぬぐいできないし、まあ全部お任せ丸投げでFAデスかねぇ」
目下の地平は確かに暗いが、それよりも更に黒いものがじわじわと東から西へ広がっている。
光景としては子供が砂遊びで水を流したようにしか映らない程度のもの。
しかしその一つ一つが殺意を滾らせた魔物であり、幻想種の放った熱線で焼け落ちた壁を目掛けて殺到しているというのだから、地に脚付いた者の視点での脅威は推し量るに余りある。
無防備なら10分足らずで都市全ての人間が死亡、駐屯する騎士らが全力で抵抗したところで夜明けまで持たないだろう。
───だが、今のシデロリオには本来持つより多くの戦力が結集している。
「急ぐ理由も無いし、ま、お手並み拝見ってことで」
少女は声に喜色を滲ませると、箒の先端をくるりと反転させる。
これよりは遊覧飛行。人の足掻きと魔物のスプラッタを存分に楽しめる悪趣味なショーが始まる。
「しっかし、あんなデカブツどこに隠れてたんでしょ?」
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「第一波、接触まで5㎞!」
「遊撃隊は散開。残りはここで迎え撃つ。行け!」
馬に乗った騎士らが左右へ駆けてゆき、残った数名は馬を降りてどこかへと放つ。
魔物は人間以外を襲わない。奇跡の行使にさえ巻き込まれなければ、彼らは無事都市へ戻って来るだろう。
もちろんそれは、朝まで『シデロリオ』という都市が残っていればの話である。
「壁上班、用意は」
「問題ありません!」
壁の上には砦さながらに通路と砲眼が据えられており、配備された騎士は全員思い思いの装備を構えていた。
弓や数人がかりで使う大砲は理解しやすいだろう。しかし中にはどう見ても白兵戦用の槍や剣、中には落とすしか使い道の無さそうな樽をびっしり並べている騎士もいた。
だが、彼らにとってはこれでいい。
「顕現、戴皇───」
団長の聖句を皮切りに、並び立つ騎士がそれぞれ神に祈りを捧げ始める。
握った武器には光が宿る者、傍らに小さな羽を侍らせる者、仮初の射出機を作り出す者、応える力の形は様々でも、彼らの意思は一つだった。
『この命に替えてでも人々を魔の手から守りぬく』
「───天霆よ、啼け!!!!!」
光の塊と化した銀槍を夜空目掛けて投射する。
人間の膂力ではありえない勢いで昇る穂先が天を衝くと、一度だけ、星のようにまたたいた。
その光は弾けるように広がっていき、やがて満天の星空を描き出した。
一つ一つの輝きは強さを増す。やがて直視に堪えられなくなる程に。
───魔物の一匹がそれに気づいた。
脚を止めずに天を仰ぎ、輝く星に鼻先を向ける。
彼らが星の概念を理解しているのかどうかは分からない。
したがって、それが降って来たところで何が起こっているのかも理解できなかっただろう───
天上から殺到する光の槍が押し寄せる魔物を次々と破壊していく。
そう、質量無きエネルギーが体の一点に触れただけで血飛沫と共に細かい欠片に分解されていく様は、破壊と形容して差し支えないだろう。
雨のように降り注ぐものが、命を雨粒よりも儚く散らしていく。
外れた分は轟音を立てながら地を抉り、そこに脚を取られた魔物は哀れにも後続に踏みつぶされていく。
無念の叫びすら飲み込む地獄の濁流、光の雨程度では勢いを削げても止めるには至らない。
「次!!」
いつの間にか手に収まっていた銀槍に再び光が収束し、夜空へ放たれる。
聖句すら省略した迅速な次弾は速やかに着弾し、更に無数の魔物を血煙へと変えていく。
4㎞、3㎞、壁上から照らされた光に照らされる魔物の数は目に見えて減っていた。
これなら……と他の騎士は固唾を飲む。絶望的な量を想定していた彼らに取っては、今の魔物の数は十分殲滅可能な範疇にある。
射程に入った瞬間に各々が追加の砲撃をかける。それは飛翔する斬撃であったり、投擲される爆弾であったり、光を纏った矢であった。
側面からの遊撃も順調に魔物の勢力を分散させ、各個撃破に漕ぎつけている。
奇跡には弾薬や魔力切れという概念はない。信仰心が続く限り、消耗無しで同じ威力を出し続けられる。
このまま均衡が続くならば、終結する魔物の全滅という形で騒動は終われただろう。
「団長!もの凄い勢いで飛来する魔物が!」
彼の伝声による警告の直後、大きな球が3つ、地上の騎士の前に転がり落とされる。
滑らかに起き上がり毛むくじゃらの手足を伸ばしたそれは、身の丈3mもあろうかという大猿だった。
血走った眼を剥き、煙る涎を垂らす狂気が標的を見つけ咆哮する。
「チッ……固有種もいるのか」
固有種。幻想種ほど奇抜ではない進化を遂げた強力な魔物。
魔物と戦う時の基本は数の利を取ることだが、特に固有種と戦う時は5倍以上の利を取るべきとされている。
銀鉄の騎士は、ためらいなく槍の穂先を大猿へと向けた。
「各員!迎撃を継続せよ!固有種は私がやる!!」
1vs3、迫りくる6つの剛腕を、騎士団長は全身甲冑とは思えない機動力でかわす。
銀槍が強くまたたくと、閃撃の元に一番近い腕が切り飛ばされて宙を舞った。
大猿の一匹はそれでも怯むこと無く、脚力で強引にバランスを取って攻撃を続行した。
むせ返りそうな悪臭、不愉快に響く呼吸音。
大樹のような太さの腕が振り下ろされるたびに大地は抉れ、飛散する。
一撃かわしても逃げた先を狙いすましてもう一撃、3匹のローテーションによって単純な行動が身も心も磨り潰す処刑へと早変わりする。
いつ潰されるか、いつ終わるのか、その恐怖に逃げ回ることしかできない哀れな姿を彼らは何度も嗤ってきた。
今回も同じ、少々本気を出すくらいのもので済むと思っていた。
しかし、狂気に陥った化け物と相対するのも、またある意味で狂った化け物だった。
直撃で即死は当然、かすっただけでも体が動かなくなるような威力の打撃を細い槍一本で軽快に弾いて見せる。
大猿の体は異常発達した筋肉により金属以上の強度を持つしなやかな鎧と化している。
それを、不意を突いたとはいえ綺麗に切り飛ばして見せる威力と技量は、彼らの見てきた騎士とは明らかに一線を画していた。
気付けば2本目の腕が飛び、一匹は足まで切り落とされて転んだところに脳を貫かれ絶命した。
5分もかからぬうちに2000に迫る攻防を繰り広げ、今度は背後から脳天を撃たれる同朋の姿を見た大猿は悟る。
あれが、"別格"なのだと。
「ふう……」
精神を研ぎ澄ませ、短期決戦で固有種を2体討伐した騎士は思わず息を入れてしまう。
いくら彼が優秀だからと言って、死の恐怖を完璧に克服したわけではない。
一瞬の判断を過てば鎧ごと全身を砕かれる、そんな極限環境の中で最適解を出し続けるのは流石の騎士団長とはいえども疲労が募る。
だがそんな極限を乗り越え残りは一匹、単体の固有種程度に彼が払うべき注意は存在しない。
その一匹も恐慌状態で、暴れてこそいたがその隙は非常に突きやすいものだった。
膝を砕き、肘を貫き、片目を潰されてもそれはなかなか止まらない。
壁上からの援護と左右からの遊撃によって本隊は押しとどめているが、早急にケリを付けなければならないのは同じだった。
残った脚を貫き、体勢が崩れたところで急所を突く。
幾度となく繰り返してきた戦い方は最後の最後まで有効だった。
自らの死を悟った大猿は最後の力を振り絞り跳躍する。
確かに、巨体で押しつぶす方法なら手足がもがれようとも問題なく相手を殺せるだろう。
それも手の内が見えていないなら、の話ではあるが。
騎士は落ちてくる体躯を避けようとはしなかった。
ただ槍を構え、その瞬間を待つだけでよかった。
大猿自らが、穂先に全体重をかけて心臓を押し付けてくる瞬間を。
「ぐっ……!?」
彼の手の中で震える槍にどす黒い血が伝う。
その先には使い物にならない脚ともうほとんど見えていない目を持つ大猿が、奇跡的に無事だった両手で自分に突き立つ槍を抑え込んでいる。
まるで自らの心臓で槍を捕食しようと試みるかのように。
「邪魔だ!!!」
力を込めて槍を振るえばその巨体はあっさりと地面に横倒しになる。
余力があったわけではないのか、一体何を考えていたのかと思考に耽ろうとした瞬間、声が脳内に響く。
「団長ッ!!!」
「どうし───」
「正面、第二射が──────」
はっと彼は顔を上げる。
そこにあったのはまたたく星。
赤く、低く、そして狙いすまして。
「殉じ、盾たれ───!!!」
刹那によぎる最悪、とっさに引き出した防御の奇跡。
その一撃に反応できたのはまさに奇跡的だろう。
……しかしそれは、彼らの無事を意味しない。
「うああぁぁっ……熱いっ……!」
背後、正確には遥か上から聞こえる悲鳴は仲間の騎士のものだった。
熱線そのものを奇跡で防いでも、余波の熱は辺りを焼く。
10mはある高さの壁から身を乗り出していただけの騎士が全身を炎に包まれ、慌てて避難した騎士らも、急激な脱水によって一気に体力を奪われていた。
壁の前で迎撃に当たっていた騎士は文字通り蒸発し、抗って前へ進もうとしていた魔物も次々毛皮に引火しては燃え尽きていく。
そしてこれほどの熱を真正面から受け止めている騎士団長も、ただでは済まない。
(耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ、耐えろ───!)
鎧は熱でひしゃげ、その奥にある皮膚が波打ち、泡立つ。
毛先はちりちりと焦げ、吸い込んだ空気は一瞬のうちに喉を枯らし果たした。
強すぎる光で目が見えず、荒れ狂う空気を前に鼓膜はもはや機能しない。
自我と苦痛の境目が消失し、全ての事象に価値が無くなっていく。
何もかもが尽きた時、それは永遠となる。
時間にして約7秒。たったそれだけの間に戦況は逆転した。
壁の裂け目の目の前は炭化し、根付いた命の全ては灰燼と化した。
それは殺到していた魔物も同じで、近くにいた魔物は骸から煙を上げて倒れている。
「げほっ、げほっ……じょ、状況……」
「右側は全員無事です……そちらは……」
「一人炎に巻かれた。命に別状はないらしいが……」
壁の上にいた騎士らは立ち上がり、火の粉を孕む空気の中で己が責務を少しずつ思い出していく。
被害状況の確認、怪我人の処置、そして……
「団長……」
彼が抜けた穴を塞がなくてはならない。
悲しんでいる暇は無かった。
『こちら東教会!壁上班、状況を報告してくれ!』
「……幻想種の攻撃を受けた。団長は……」
「見ろ」
「えっ……?」
食い気味に、隣から聞こえてきた発言の意味が騎士には理解できなかった。
しかしその意味に思い当たった瞬間、外側の石壁が熱を持っていることも恐れず体を前へ乗り出す。
『どうした!団長に何かあったのか!?』
「……」
息を飲んだ。
彼の視線の先には黒く染まった大地が広がっている。
全ての命が死に絶えた、死の大地。
その中央で鈍く輝く物があった。
それは立っていた。
その手は震えていた。
それは槍を地へ突き立てた。
「───ァ───ス……」
死者のごときか細い声。
一音発するごとに、残った粘膜はひび割れて胃へ落ちる。
聖どころか句かどうかも怪しいその音に、神は応えるのだろうか。
「……こちらの被害は、甚大です……第二波は防ぎきれません」
『……分かった。こちらで教会への連絡はしておく。そちらは立て直して、少しでも侵入する魔物を減らしてくれ』
伝声が切れると、騎士はその場にへたり込んだ。
高温による体力の消耗よりも、精神的なものの方が大きかった。
周囲の仲間を見ても概ね同じ反応で、きっと壁の裂け目の対岸の騎士もそうなのだろう。
圧倒的な一撃の前に、信仰など無駄なのだと知らしめられた。
努力したところで超えられないものがあり、救おうとしても救えないものがあるのだと。
騎士としてあるまじき発想。この場において神への疑念は直接の戦力低下につながる。
それでも彼らの魂はその結論を曲げられない。
知る限りでもっとも信仰の厚かった男が───
「タ……テ……」
騎士は、聞き間違いかと思った。
周囲の仲間を見ても同じように当惑していて、地上の様子を改めて確認するために壁に集まった。
圧倒的な一撃の前に粉砕された命の数々。そこに信仰も何も関係ない。
それは努力ではどうにもならない結果だったのかもしれない。救えるものではなかったのかもしれない。
騎士としてはそんな弱音を吐くことすら許されない。それは人々を庇護する神への冒涜だからだ。
だから、彼らは魂で結論を出した。
最も信仰の厚い男が、未だに両の脚で立ち、小規模ながら結界を壁の前で展開していたのだから。
「持ち場に就け!!!団長はまだ諦めてない!!!」
第二波が迫る中で急いで彼らは陣形を立て直す。
掠れた喉で聖句を紡ぎ、弱弱しくとも光を自らの武器に宿す。
暗闇を見つめ、歯を食いしばって狙いを付ける。
光を恐れずに突撃してくる、不遜な邪悪共に向けて。
「討てえええぇぇぇぇ―ーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
団長の掃射とは比べ物にならないまばらな攻撃が、魔物の群れへと降り注ぐ。
10倍以上の人数が集まっても、その効果は半分に満たない。
いかに彼が偉大か。厚い信仰を持っているかを身につまされる。
それでも、
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
雄たけびを上げ、握った武器を振るい続ける。
纏った光が魔物へ向かって飛び、その命を一つづつ刈り取る。
無事だった遊撃隊は群れへと直接突撃し、ボロボロになるまで乱闘しては息を整えるために離脱する。
だが、減らない。手数が足りない。追い付けない。
息が続かない。矢が足りない。爆弾のストックは尽きた。
意思で全てを超越できれば楽だろう。
現実がそうではないからこそ、そう考えたくなるのだと嫌というほど思い知る。
殺到する群れが、とうとう死に体の団長と接触した。
彼の構えた結界はその大多数を弾き、群れの流れの中へと返していく。
しかし、その範囲は壁の裂け目を完全にフォローできてはいない。
「壁上防衛から各教会へ伝達!魔物が都市へと侵入した!」
『了解』
手短な報告の後、騎士は再び迎撃へと戻る。
氾濫した川に小石を投げるような些細な抵抗。
それでも止めるわけにはいかなかった。
口の中で鉄を噛んででも諦められなかった。
一番最前線で、一番傷ついてる人間が未だ健在でいるというのに、そんな冒涜を働けるはずがなかった。
もはやここの戦線は戦況を左右しないだろう。
できることは現状維持のみ。
だからこそ、彼らはひたすら祈った。
だからこそ、神が応えてくれるのだと信じて。




