第36話 罰の前触れ
地の底に響くのは地上の残響。
断続的な地鳴りが心臓を打ち、毛が立つ耳を涙目で騒音から守る。
「チクショ~……さっきからうるせえなあ!上で何が起こってんだよ一体!」
「ボスの言ってた勇者とやらとアレが戦ってるんだろう。陽動作戦ってやつだ」
「その割には上の騎士共は一人も減る気配がねえけど」
「他の班が脱出した様子も無いな」
「いつまでこうしてりゃいいんだよ~……」
泣き言を吠える獣人へ他の獣人が軽蔑の視線を送る。
状況は膠着。外に出れば待ち伏せされている騎士に捕まるのは目に見えている。
時折出口から差し込む光が彼らの潜む目の前を撫でるように横切る。
それが何なのかは判然としないが、恐らく触れるのは良くないと本能が訴えていた。
「どの道、夜が明ける前がタイムリミットだ。最悪俺たちは大暴れして他の奴らを……どうした?」
「何か来てる。うるさくてよく分からんが」
最後尾、最も近くで最も深く闇を見ていた獣人が目線を外さずに呟いた。
その一言に全員が外の光と音に懸命に鼻を背け、気配を全身でさぐる。
徐々に濃くなる血の匂い。足取りは遅く、よく聞けば土を踏む音が耳に入る。
「まさか……」
「追い付かれた?リーダーは?」
「……全員、ここで外を見張ってろ」
「正気か!?あの黒いわけわかんねー連中だったら……」
「違う」
ただ一人、確信を得た獣人がそっと奥へ進んでいく。
一瞬立ち止まり、不安げな仲間を振り返る。
「だがもし戻らなかったら、最悪を想定して強行突破を───」
どん、と、彼の言葉は一際大きな音によってかき消された。
天井が崩れ落ちそうな嫌な軋みが続き、直後から、獣人らの呼吸は荒くなる。
不安でもない、恐怖でもない、もっと単純な理由から。
「なんだ……急に暑くなりやがった……!?」
「くそっ、とにかく脱出の用意だけしておけ!」
「おいマジかよ!ていうかあっ……つ!!」
忠告も無視できず、装備に締め付けられて籠る熱は毛皮からは逃げてくれない。
喉が裂けんばかりに舌を突き出し、それでも死よりも恐ろしい恐怖から外の様子に耳を澄ます。
耳の中まで汗が滲みそうになったころ、獣人の一人はある音を聞き取った。
「鎧の音が遠ざかってる……!」
「そりゃいい、さっさと出ようぜこんなとこ……」
「いや外の方が暑いに決まってるだろ。もうちょいほとぼりが冷めてから……」
「そりゃ意味が違……待て、戻って来た」
先ほど走っていった獣人の気配が暗闇の中から鮮明に浮かび上がる。
背には何かを背負い、よたよたと、あるいは慎重になって一歩一歩を踏みしめている。
そしてその肩に乗っているのは、血で赤く染まった鼻先だった。
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「団長。いつまでこうしてるつもりですか?」
「奴らが顔を出すまでだ。不用意に手を出せば奴らはすぐに闇に紛れる」
「面倒ですね」
鬱蒼とした森の中、本来なら月の光など届かないような暗闇の世界は、真昼のように明るく照っていた。
足場の悪さもものともせず、馬は連れ立ってゆるゆると周囲を巡回する。
彼らが遠巻きにしている地点には、巧妙に隠された抜け穴がある。
それは地下を通じて都市へと向かい、スラムの各所の出口へつながっている……というのが教主から騎士団が受けた報告だった。
作戦は以下の通り。
まず教主含めた別動隊が地下通路から襲撃。聖女救出と並行して獣人を反対方向の出口へ追い出す。
騎士は出口で待ち構え、出てきたところを片っ端から捕縛するというものだ。
獣人がいくら機動力に長けているとはいえ、長距離を瞬間に移動できるということはないはず。
ならば、彼らが逃走するとすれば近隣の都市へ、壁外の平原を突っ切っていくことになる。
万一、平地で一時取り逃したとしても、騎馬の機動力なら追い付いて確保できる。
そして、騎士団には昼夜のアドバンテージを逆転できる切り札があった。
「"曙光の奇跡"……いつ見ても素晴らしい力ですね」
「必要な力を神から借り受けているに過ぎない」
騎士団長ハドリアル。
常に体を銀鉄の甲冑で覆い、神への忠誠を示すことで有名な男。
その狂気的ともいえる信仰心は教主も認めるところである。
───例えば教会職員のうち、最高位の役職として有名なのは『シスター』である。
彼女らは幼いころから連邦最高峰の教育機関『アイリスバレー』で神学を中心に様々な学びを修める。
その果てに一人前を認められると人間の扱う範囲で最高格の奇跡、第四階層の扱いが許される。
結界を始めとする大規模な奇跡の行使者は単身で教会の威光を背負い、都市を維持することができると一般的には言われている。
そしてハドリアルは連邦の歴史上唯一、シスターの教育課程を踏まず、独学で第四階層を扱うために必要な洗礼を受けるに至った人物である。
彼が今空に掲げている光は、守護天使のそれよりももっと強力な探知能力を有している。
どんな隠蔽が施されていようともそこに居さえするのなら、神の光が遍く存在を浮かび上がらせる。
「この力は神の期待そのものだ。負うべき重責であり、突き付けられた処刑の刃でもある。失敗は許されない」
「……はい。もちろんです」
「とはいえ、中々出てこないのも確かだ。教主様は……」
煌めく兜が彼方を仰ぐ。
木々の隙間から覗くシデロリオの外壁、その向こうでは彼が行使する光とは別の強い光が断続的に瞬き、肌で感じれる程度に音と振動を轟かせていた。
『勇者の対処には私が当たる。騎士団は獣人の捕縛に注力せよ』
打ち合わせで言われた言葉を思い出した団長は、程なくして抜け穴のある箇所へ視線を戻す。
彼にとって教主とは師であり、神の次に正しいものだった。
各都市を飛び回って行政指導を行い、発展の行き詰まりを超える助言をし、どんな武具を持たせても無双の強さを誇る。
襲撃を受けた倉庫の惨状、そして今も尚、響き聞こえる荒れ狂った力の余波。
それだけで勇者という存在がどれだけ強い力を有しているかは窺い知れる。
自分が全力で戦っても、勝ち切れるとははっきり言えない。
だが教主なら、かの罪人にも決して負けることはないのだという確信を持てた。
今回も、紆余曲折はあれど平穏な終着を迎えられるのだと、信じていた。
だが、その無邪気ともいえる期待は、肌を伝う悪寒によって儚くも吹き去った。
「今のは……!」
それが何かを理解する前に、また大きな音が響き渡る。
先ほどと違うのはその後に続くもの。
気付けば頬に汗が滴り、唾を飲めばひび割れた粘膜が軋みながらそれを吸い上げる。
突然の気候の変化に一瞬恐慌状態に陥った馬をなだめ、すぐさま彼は伝声の奇跡を行使した。
離れた場所にいる指定した人物に声を届けることができる第二階層の奇跡である。
「傾聴!!総員、現在の任務を中断してシデロリオに帰投する!」
「団長……!今のは一体……!」
「この嫌な感じは……勇者のものではない……!」
彼は鞭をうならせ、一目散に都市へと踵を返す。
森の各地から蹄の音が響き、続々と騎馬隊と随伴歩兵が後に続く。
彼らの表情には切迫や困惑が混ざっていたが、唐突とも言える団長の判断に異議を唱える者は存在しなかった。
「これも獣人たちの策略でしょうか!?」
「分からない……ただ、最悪の想定をする必要がある」
「最悪……?」
返事を発するより先に、彼らの一隊は出発時に使った跳ね橋の手前に到着した。
団長の合図と共に橋が降り、唸りを上げて彼らを出迎えた。
「歩兵は都市に戻って教会の応援に!騎兵は私と共に西方の巡回に向かう!」
「了解!」
一糸乱れる統率の元、歩兵は駆け足で都市の中へ消えていった。
それを最後まで見届けることなく、団長は再び馬を走らせた。
視界を伸延する石煉瓦の壁、光を吸い込む深い堀。
獣人の捜索の際から強さを落とした光に先導させ、彼らは熱源までの最短距離を走る。
甲冑をすり抜ける空気の温度は上昇し、汗も流れる暇がない。
程なくして彼らはそこにたどり着く。
同時に、都市内部へ戻らせた歩兵から伝声が届いた。
「せっ、西部教会班より報告!!応答願います!」
「……届いている。どうぞ」
「げ、げ、現状、都市内部に人的損害は無し!ででっ、ですが……」
騎馬隊の面々は、体から染み出す汗をうっとおしそうに袖で拭う。
兜から漏れる息を荒くしながらも、団長たる男は冷静に努めた。
「と、都市の外壁が、一部溶けて崩れています……!!!」
「……こちらでも確認した」
彼らの目の前に広がるのは、赤熱して抉れた大地。
巨大な鉄の棒を押し当てたような綺麗な溶断面からは、絶え間なく熱気の残りが発せられている。
そしてその痕が伸びる先には、まるで菓子のようにとろけて崩れ、堀に落ちて蒸気を巻き上げる壁だったものがあった。
そしてこれは、単に壁が壊れたというだけの事態を意味しない。
「そんな……結界もあるのに外壁が……!?」
「指示を出す。他班も、傾聴」
聞こえてくるのは騎士らしくもない慌てた声。
逆に団長の声はぞっとするほど冷たく沈み、重たくなっていた。
「シデロリオ西方10kmほど先に魔物の群れを観測した。数はおよそ10万。固有種の存在も複数確認されている」
「──────はぁ?」
「今から民に避難指示を出します。その誘導と混乱の鎮静化に努めるように」
素っ頓狂な声に若干の腹立たしさを覚えながらも、彼はそれを態度に出すことはしなかった。
伝声の範囲を変える僅かな間、彼は闇に沈む地平線を睨む。
焼けた大地の裂け目が続いていく先、この事態を巻き起こした者のいる先。
そこから無数の邪悪な気配が押し寄せてくるのを、彼は文字通り身に染みて思い知る。
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「ティーレ!!ティーレ!!おい、聞こえるか!?」
「しょ、所長様……!」
診療所の一室。
救出されたばかりの聖女とシスターらがつかの間の談笑をしていた場所は、壁の溶落の知らせより先に切迫感に満ちた空間となっていた。
慌てふためく聖女の視界の先には、椅子から崩れ落ちたシスターの姿。
返事が無いと見た所長はベッドから予備のシーツを引きはがし、簡易的な寝床を作って彼女を寝かせる。
その口元から垂れた血が、真っ白な木綿に落ちて広がった。
「し、シスターに一体何が……?先ほどの大きな音と関係があるのですか……?」
「……聖女様。都市の結界はシスターが維持しているという話はしましたよね」
「えっ?は、はい……」
何かせわしなく手を動かしながら、冷たい声で所長が問いかける。
意図が分からず答えた聖女の返事から少し間を空けて、所長は振り返り、話し始める。
「奇跡を使うには、神に覚悟を示さないといけない。それを行使して失敗した時の代償を負う覚悟を、神は認めるらしい」
「そう、なのですか……」
「結界も、その奇跡の一つ。特別な過程を踏まないと経典の表紙すら見られない特別な奇跡なんだ」
「……」
「何だか分かるか?」
何を言いたいのか分からない。
ただ彼女から伝わる覇気に押され、聖女は問い返すことができなかった。
「結界が強い力で破られた時、それと同じだけ傷を負う。この都市の結界を維持してるティーレが突然倒れたってことは……」
所長は笑っていた。
世俗に疎い聖女でも、それが喜びからくるものではないことがなんとなく感じられた。
「結界が破られたってこと。なら多分壁もダメだろうね。今、魔物が押し寄せても、防ぐものが何もない」




