第29話 そして日は沈みゆく
獣人らは傷が癒えるのを待ち、比較的動ける者は撤収の準備を進めている。
耳立て尻尾なびかせる食肉目の彼ららしからぬ、湿った暗い地下に潜み、乾いた肉の破片をありがたく噛む生活。
経過約一ヵ月、その間日の光を浴びることは許されず、その鼻が思うまま風を切ることも無い。
抑圧、恐怖、不衛生、文字通り地の底の生活にようやく出口の光が見えてきた。
「思ったよりは上手くいったな。こんなクソ生活続けた甲斐があったぜ」
「オメー……ファミラが死んでんだぞ」
「オレはもっと行くと思ってたね。リーダーと……多くて二人くらいか?そんだけ残れば上々だってな」
「えぇ……」
「オレ達をずっと苦しめてきた悪夢の元凶を絶てるんだ。むしろもっと死なないと割に合わねえな」
「……それリーダーの前で絶対言うなよ」
「言うわけねえだろ」
そんな軽口すら叩けるくらい、この重く淀んだ空気も苦にならなくなっていた。
ふと、二人の獣人の耳がそば立つ。
遅れて彼らが顔を上げる。空気の流れに異変があると、彼らは脳で認識するよりも先に本能で把握する。
やっぱりそう易々と終わってはくれないのだと。
「ぐっ……もっと、キツく巻け……」
「これ以上は骨が折れるぞ!」
「黙れ……この程度じゃ木の枝だって折れねえ……づっ……」
「おい、どうし……リーダー!?」
異変を感じてぞろぞろと集まって来た獣人らの目に入ってきたのは、立った状態で全身を包帯で固定させているリーダーの姿だった。
まだ顔色が悪く、その上で窒息しそうなほど雁字搦めになった姿は痛ましいや鬼気迫るなどといった言葉すら生易しく感じるものだった。
「まだ傷が塞がってねえんじゃねえのか!?何やってんだよ!」
「……傷口からの出血を防ぐのと、こうして折れた骨の代わりに体を固定するんだ」
「だからなんで……」
「もう……来てんだよ……」
来てる。
たった三文字に込められた意味は、その場の全員を戦慄させるに足る冷たさを含んでいた。
誰一人声を上げることなく、何人かは部屋の外へ出て鼻を鳴らし、青ざめた顔で戻って来た。
「現時点で回収できないものは全て……、放棄だ……」
全身の固定を終え、肉と毛皮を抑え込んだ彼の姿は骨格がむき出しになっていた。
もはやそれは死人と大差ない。彼は死にながら執念で生き永らえていた。
その上にポーチやナイフ、その他装備を積んでいくと、まるで過積載かのようになってしまった。
「ループに……餌の方だけ取りに行かせた……。後で合流する……、行くぞ……」
そう言って、怯む獣人らを押しのけてリーダーは一番に部屋を出た。
よろよろとした覚束ない足取り。だと言うのに、誰もそれを止めることも、異議を唱えることもできない。
出口から反対方向を一睨みすると、リーダーは小さく体を屈めた。
次の瞬間、彼の姿は通路の奥へと消えた。そのまま4ツ足で一心不乱に駆けていく。
他の獣人も意を決して後に続いた。もう誰も、リーダーのことを怪我人としては見ていない。
洞窟の奥に、光はまだ見えない。
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「ほーら急いで急いでぇ~」
「くそ、ここ暗いし狭いんだよ!」
「だから待ってる間はお部屋に招待してあげたのにぃ。お礼の一つも聞いてないんですけどぉ?」
「うっさい、ありがとな!」
土壁を削りながら、坑道に光の濁流が荒れ狂う。
その先端を飛び駆ける少年、聖剣を携えし勇者が黒づくめの少女を連れて疾走していた。
「次右、いち、に、三番目をもっかい右デスねぇ」
「なあこれどう見ても遠回りじゃないか!?」
「不意打ちできるルートをわざわざ選んであげてるのにぃ」
彼の通るルートは獣人らの逃亡ルートとは遠く離れていた。まるで示し合わせたかのように。
しかし、それを彼が知ることはない。獣人にとっても、"勇者"は偶然居合わせた都合のいい存在でしかない。
全てを知るのは、ただ一人。
「残り30秒で接敵しますけどぉ、意気込みとかどうデスぅ?」
「……勝つさ」
何があっても。
その一言を飲み込むと、視界の中央の人影を見据えた。
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光が過ぎ去った後には轟音が、轟音が過ぎ去った後には焼け付くように熱く、しかし何も焦がすことはない熱だけが残った。
吹き消された篝火に暗闇が群がると、その中にのそりと起き上がる者がいた。
「こちら5番。"勇者"らしき存在を確認」
「了解。引き続き回り込め」
「了解」
漆黒の中に虚空と話す声だけが響く。
声の主の姿は何処にも見えない。獣人とはまた異なる影に生きる者。
彼らは教主の懐刀。抱えた三つの秘中の秘。
彼らの目的は一つ。
「全ては、教主様の御心のままに」
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「降ろせ!」
「橋、降ろします!」
高らかに上げた声と共に、唸りを上げて跳ね橋が降りる。
西日が差し込み、赤く染まったスクリーンを背に、並んだ騎馬が一糸乱れず天板を踏んでいく。
彼らの装いは平時の騎士を見慣れた人には仰々しく映るだろう。
───鋼鉄、ヘルムで顔を覆い、メイルで胴を守り、ブーツはしっかりと鐙を踏みつける。
馬にも防具が施され、それが並ぶ有様は、まさに生きた城壁であった。
その軍団の戦闘に立つのは、その中でも一際輝く鎧を身に纏っていた。
銀槍を携え、普段からその顔どころか肌すら一切晒さない、鋼鉄の男。
護教騎士団長ハドリアルが、振り返って声を上げる。
「我らが守るべき民に危機が迫っている!」
清聴する同朋に向けて、ただ声を張る。
「獣人は我らが都市に潜み暗躍し、聖女と、それを守るため必死に戦った仲間を傷つけ、連れ去った!」
彼は槍を振り上げ、叫ぶ。
「だが我らが振るうのは報復の槍ではない!!!」
「仲間を取り戻し!」
「陰謀を砕き!」
「そしてまた、万人を守るために振るわれる槍である!」
鬨の声に応えたのは、騎士の振り上げる武器と熱い怒号。
彼らはその銀の背に威信と命を背負い、その重みに負けぬ意思と畏敬を立てる。
「目標は北東森林!そこに別動隊が追い出した獣人が潜伏する!一人残らず捕縛し、正しき裁きにかけるのだ!」
団長は手綱を引き、もう一度前を向く。
銀槍を掲げ、彼方に座す神に向けて唱えた。
「我が剣が切るは魔!」
「我が槍が貫くは悪!」
「我が主よ、どうか我らが聖戦を!!!」
号令と共に、騎馬の一団は猛然と前進する。
愛する者を守るため、守るべきものを守るがため。
その背を、夕日は煌々と照らしていた。