第27話 シャウウェル・ヘファエストス
シデロリオ西部が他都市から運ばれてくる品々が行き交う交易地帯なら、東部は北にある鉱脈で採れた鉱石を加工する工業地帯だ。
その規模は他都市の生産地帯と比べても群を抜き、交通用の大通りを少し逸れればところ狭しと工房、倉庫、そしてそれをやり取りする窓口の事務所が並んでいる。
設立当初から力強く鼓動を続ける都市の心臓部において急速にその力をつけていったのが、他ならぬヘファエストス鉱店だった。
元々質の良さで売っていた日用品の生産規模を巨大化し、量を兼ね備えたことで売上は跳ね上がった。その資金を使って生産拠点を拡大、売上増、この繰り返しを積み重ね、十数年で連邦にその存在感を示した。
立役者であるシャウウェルは、貫禄のある体形とは裏腹に勤勉な人物として有名であり、大量生産によって落ちざるを得なかった品質を確保するために、書類仕事の合間を縫って夜な夜な倉庫の実物を点検している、などという逸話も伝えられる。
教会との関係を保ちつつ、スラムにも仕事を出すなどして貢献しており、世渡りを含めた経営手腕に関して疑う者はいない。その一方で、人使いの荒さに文句を言われることもあるが、総合して卓越した経営者であることは間違いないだろう。
そんなシャウウェル・へファエストスの悩みは尽きない。
もちろん、日々の巨大化した店の経営において解決すべき問題は山のようにある。
そんな中で目下の大問題は、先日の襲撃で倉庫一つ分の在庫が文字通りスクラップになってしまったことだ。
"勇者"を名乗る少年に在庫確認中を襲撃され、命からがら生き延びたものの、"勇者"の並外れた力により在庫はめちゃくちゃ……というのが、都市内で一般的に知られている内容だった。
いくら規模が抜きんでているとはいえ、倉庫一つ分の売り上げを補填するのは大変だ。教会からの補助も被害額に比べれば微々たる量だった。
「本店長、南第二から特注品の発注が来てます」
「ええと……この加工なら西の第三工房に出してください」
「かしこまりました。それとこっちは倉庫の再建の見積もりです」
「どれどれ……うっ、解体費がバカにならない……。……ふむ」
秘書から渡される書類を男は次々と青い顔で捌いていく。
在庫が飛ぼうが店主が死にかけようが、世間はそんなこと、噛み含めたとしても理解してくれない。納期も支払いも待ってはくれはしない、否、待たせることなどあってはならない。
ストレスで食事の量がごっそり減り、現在の彼は明らかにやつれている。
それでも自身に鞭打ってデスクに齧り付くのは、彼一代で店をここまで広げたプライドがあるからだ。
「また人を集めますか。手配をお願いします。」
「かしこまりました。……それと、また教会から来客が来ております」
「またですか……?この忙しいときに……」
「……早急に、応対をお願いします」
「報告は事件の首謀者を捕まえてからにしてほしいのですが……」
ぶつぶつ言いながら、シャウウェルは書きかけの書類を置いて立ち上がった。
鏡で恰好を整え、最近足繁く通う羽目になっている応接間へと向かう。
───それを見送る秘書の顔が、かつてないほど凍り付いていることに気づかず。
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(教会め……。税金ばっかり取るくせに、肝心なところでは役に立たん……)
廊下を歩くシャウウェルの心境は穏やかではない。それは単に経営危機からくるものではなかった。
教会は、売上に応じて商店から税金を徴収している。税金は全て都市の運営に使われているが、自己の利益を追い求める商店にとっては理不尽な支出以外の何者でもない。
ヘファエストス鉱店ほどの利益を上げている商店では、その徴収額は小規模な商店の売上にも匹敵する。
それだけあればどれだけ設備を新調できるか、あるいは他の店から人材を引き抜いてもいいかもしれない。
そんな儚い展望を奪い、愚にもつかない民衆に配る偽善集団。
それが、ある程度の規模の商店を運営する者からの教会への印象だった。
失礼しますと彼が静かに、けれど堂々と扉を開く。
一応、といった様相で下手の席に座る彫像のような男。
すくりと立ち上がると、まるで天を衝くような体躯がそこに現れる。その威容に内心たじろぐが、決して顔にも態度にも出すことは無い。
教主。シャウウェルが出した要請に応えてやってきた教会の最高権力者。
その割には事件解決が遅々として進まず、しかも犯人を直接取り逃したとも聞く、本当に有能なのか怪しい、得体のしれない人物である。
「これはこれは、ご機嫌麗しく、教主様。連日捜査でお疲れのこと───」
「前置きは省こう。互いに忙しくなることだからな」
「恐縮です」
穏やかな笑み、ゆったりとしつつも芯を感じさせる低い声、軽蔑の上に対人用の顔を張り付けたシャウウェルは静かに上座の椅子へと座る。
教主は最初にやって来た時から変わらない鉄面皮のまま、その深い色の目で真っすぐに彼を見据える。
何もかもを見通しているかのような傲慢な目つきが、どうにも不愉快に感じられた。
「この度は本当に痛ましい事件だった。倉庫丸ごと在庫が台無しになるとは、心中痛み入る」
「ありがとうございます。教主様の御心をも砕かせるとは、かの罪人は本当に度し難いですな」
「本当に侮りがたい相手だ。こうも長く神の目から逃れ続けられた人物は前代未聞だからな」
「そうなのですか。いくら神が全能とはいえ、直接事に当たるのは人間です。相手が悪ければ、そういうこともあるでしょう」
シャウウェルの言葉に、教主は目を閉じた。
一拍置いて、もう一度目を開く。
「そうだ。神はあくまで導でしかない。人の営みは全て、人間の歩いていく方向で決まる。……そこで行くと、貴方の働きは感嘆に値すると言えるだろう」
「は、はぁ」
「神の導きに頼ることなく、たった一代でここまで商店を盛り立てるのは並大抵の人間にできることではない。先見性、資源配分、人間関係、どの点に置いても邦随一だろうな」
「お、お褒めに預かり恐縮です。教主様こそ、一人で邦の未来を背負う聖務を立派に果たしていらっしゃる」
突然の言葉に商人の毒気が抜ける。
いくら不快に思う相手とはいえ、客観的な社会地位を持っている人間に褒められるというのは悪い気がしない。
だからと言って心を許すこともできず、彼の緊張した思考に一滴の空白が生まれる。
「だからこそ、私は貴方の再出発を応援したい。貴方のような才能が無為に時間に晒されるのは本意ではない」
「はぁ、再出発。……え?」
聞き慣れない単語に狼狽するシャウウェルに対して、教主は表情一つ変えることなく、懐からで畳んだ紙を取り出す。
それはシデロリオ東部の地図。シャウウェルにとって余りにも見慣れた図形の数々。
教主はペンを取り出し、無作為のように点々と印を打っていく。
法則性の見えない描画に彼があっけに取られていると、徐々にその点が何かを帯びていく。
ぞわり、と背中を撫でる感覚。彼はもう紙面から目が離せない。
教主がペンを置いた時には、シャウウェルの背は冷や汗でぐったりと濡れていた。
印を打っていたのは、シャウウェルとは無関係の商店や倉庫だった。
「ここ以外、スラムも含めてこのどこかに、都市の外へと繋がる地下通路がある」
教主の声が濁って聞こえにくいのは、彼自身、自分の呼吸が荒くなっていることに気が付かなかったからだ。
「答えてもらう。シャウウェル・ヘファエストス」
「ど……どっ、どういう……」
「私の見解にはなるが、勇者は分不相応な力を与えられただけの子供に過ぎない。故にその行動原理は非常にシンプルだ」
「……そ、それは?」
「復讐。あるいは物語的な勧善懲悪。彼にとって家族を引き裂いた私も、その家族を過重労働で苦しめた商人も同じ"敵"でしかない」
「家族を……?いやそれよりも、わ、私が彼の家族に過重労働を強いていたというのですか?」
「お前はスラムの人間にも分け隔てなく仕事を提供していたな」
「そ、それは!信仰と労働力は関係ありませんから。何のおかしいこともないでしょう?」
「無い。ただそれは教会のルールを守る範囲での話だ」
「わ、私が何のルールを破ったというのですか!」
興奮するシャウウェルに対して、やはり教主は冷静に懐からまたも何かを取り出す。
それは分厚い帳簿、彼が先日ここで調べものをしていた時の写しが乗っていた。
「10年前の2月から、ヘファエストス鉱店はその生産量を現在の水準まで急激に引き上げている。この生産量を実現するのに必要な鉱石は、教会の許可した各商店の採掘上限を僅かに下回る程度だ」
「う、ウチの採掘員にケチを付けるんですか!?教会の記録にも残っているはずです!」
「その点をお前は見越していた。予め構築した地下通路を使って外部の採掘員を送り込み、堀った鉱石は通路に保管し、お前の息のかかった者が何食わぬ顔をして通常の採掘分に上乗せしていたんだろう。巧妙に量を調整してな」
「言い掛かりだ!!!」
激しい打音が一発部屋に響いた。
シャウウェルはすっかり冷静さを失い、顔は赤く、まるで鉱炉のように激しく排気を繰り返す。
自身の働きを侮辱されたと感じた彼は唾を飛ばしながら激しく反論を飛ばす。
「私たちは教会のルールに則って誠実な商売をしている!!それを自分たちの無能を棚に上げて地下通路だの上乗せだのと、いくら教主だろうが発言には気を付けるべきではありませんか!?」
「既にスラムの住民から裏は取っている。シャウウェルの関係者に内密で仕事を斡旋するようにとな」
「彼らは酷い生活環境で心身が弱っている!そんなところに教会の圧力をかけられたら望まれた答えをでっち上げるに決まっている!!」
「スラムの担当者は茶髪のジゼル、バー・ロッテンのマスター、後はあの放浪老人も一枚噛んでいるな。やり取りをしたのは本店の秘書と第一生産管理員のシャザ。彼らの行動記録に不自然な夜間行動が散見される」
「でっ……でたらめを……」
「これはシデロリオ北東部に位置する鉱脈の断面図だ。上の方の掘削痕は我々が認可したものだが、この下の方から不自然な掘削痕がずっと続いている。恐らくこれが地下通路から行われた掘削の形跡だろう」
「っ……」
「他には管理しているピッケルの増減、スラム住民に一時期蔓延した鉱毒性破傷風の治療歴、そして───」
ぞろぞろと並べられていく不正の証拠。
それは到底ありえない角度から採取された物であり、しかし付きつけられれば納得せざるを得ない理不尽な物。
「……これが」
提示された証拠から、シャウウェルは顔を上げる。
「これが……教会のやり方か……!」
その顔は、先ほどにも増して怒りに満ちていた。
「弁明は不可能だ。これに加えあと27の証拠を以てシャウウェル、お前を違法資源略取で拘束する」
「こんな、こんな、雁字搦めになるまで私たちをずっと監視しているのか……!」
「『神は全てをご覧になっている』。それが何であるかを解釈するのは人間の仕事だ」
「化け物どもめ!!!お前たちは欺瞞と偽善で人々を支配している!!どれだけの人間がこの支配に気づかされぬまま生きているんだ!!!」
「法に背いたのはお前だ。シャウウェル」
「黙れ!だいたいこんな曲芸ができるなら"勇者"なんてさっさと捕まえられるだろ!」
「そう。私もそう思っていた」
教主は徐に立ち上がる。そのまま部屋の外周を歩く。
「だが、彼は獣人と手を組んだ。獣人の神をも欺く技術に加え、誰にも知られていない地下通路に身を潜めることで教会の監視を掻い潜ったのだ」
「獣人……。なぜ、獣人なんぞがこの都市にいるのですか……」
「それについては調査中だ。ただ一つ言えるのは……」
教主は立ち止まり、未だ椅子から立ち上がれないシャウウェルを一瞥した。
それを受けて、前のめりで背もたれを掴むの彼の手に力が入り、歯を軋ませる。
「お前はまんまと利用され、そして操作を攪乱する囮として使い捨てられたのだ」
怒り、侮蔑、そして憐憫を含んだ、屈辱的な視線を。
「っざけるなァ!!!!」
商人の激昂が、彼の肉体を椅子から解き放つ。
無茶苦茶に手を振り回し、肥えた体を全力で目の前の老人へ突撃させる。
破れかぶれの反撃だった。この行為で事態が好転すると彼は思っていない。むしろ袖にされて反逆罪でも上乗せされるのが落ちだろうと。
それでも彼は自身を制さなかった。
侮辱と断罪で傷ついた心を、体の痛みで癒さねばならなかったからだ。
「うわぁあぁぁぁああああぁぁぁぁあぁあぁあぁあぁぁあぁあぁああぁああぁぁぁぁあぁあぁぁあッ!!!!!」
彼は渾身の一撃をお見舞いした。
直後に来る反撃に怯えながら。
「…………」
「………ぁ」
教主は指一本も動かすことは無かった。
彼の100㎏近い巨体が直撃しても、半歩も身じろぎしない。
服を掴まれて揺さぶられても、腹を何度も殴られても、動じない。
ただ黙ってそれを受け止めた。
その間、哀れみの視線は絶えず、目の前の哀れな男に注がれ続けた。
「さあ、座って」
教主は彼の肩を掴む。
「我々には時間が無い」
男は、ぐったりとうなづいた。