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第23話 ある姉弟の朝

青い風が少女の頬から汗を掠め取り、それに顔を上げた彼女は瞬間痛みに顔を歪めた。

明朝からずっと腰を屈め、重い荷物を運びに右往左往していれば無理もないことだった。



「おーい、次はこっちだぞー」

「はい!今行きます!」



褪せた色の髪を括り、お世辞にも綺麗とは言えない作業服で彼女、ソルオルは働いていた。

彼女は未成年だ。

本来なら親の庇護、教会の庇護の下、学校や下働きで経験を積む大切な時期だ。

だが彼女が今従事しているのは倉庫の整理作業。

年端もいかない少女よりも屈強な男性にこそ向いている作業に、彼女は必死に向き合っていた。

運ぶ製品はどれも金物で重量がある。もう数時間前から彼女の細い筋肉は悲鳴を上げている。

汗を拭うたびに埃が顔に跡を引き、油が取れない汚れを一張羅に染みつかせていた。



「取り合えずこれで一段落かな。助かったよお嬢ちゃん」

「い、いえ。こちらこそ働かせていただいて」

「これお給金ね。あとこれ、顔拭いて」

「ありがとうございます!」



柔和なひげ面の男から手渡されたのは、文字通り子供の小遣い程度の額だった。

しかしこれでも、最初の提示条件から1割程度増えている。



「……キミ、まだ子供だろう?どうして教会に……」

「すみません。次の仕事があるので、お先に失礼します」

「あ、ああそうかい?じゃあ、またよろしく頼むよ」



教会。

その単語が発されるや否や、彼女は踵を返して一時の職場を後にする。

雇い主がそれに疑問を持つこともなく、彼女がここに来ることも二度とないのだった。




=======================




「はあ……これからどうし、ったたた……」



ボロボロの寝床に戻った彼女は破れかけのつなぎを脱ぎ、シャツ一枚で途方に暮れていた。

時折背中を抑えて苦しむが、それに応える声はどこにもない。


彼女のような能力も、力も無く、体の汚れすら十分に取れない人間を雇うものは少ない。

それでも以前は鉱石の採掘という仕事があった。

体力の限りピッケルを振るえればそれだけで金が稼げる。シデロリオにおいて鉱石の需要が減ることはない。

多少身なりが汚かろうが注意されない。まさに彼女にとっては天職だった。

しかし数週間前に起きた事件で、一番大きな雇い先がスラムの日雇いの募集を止めてしまった。


犯人たる彼の弟は、ただ姉が苦役を背負うのをやめさせたかっただけだった。


その目論見自体は果たされた。事件以降、彼女が体格に不釣り合いなピッケルを振るったことは無い。

代わりに仕事が無くなった。彼女の技量でできる他の仕事はスラムには流れてこない。

都市の商店や団体のほとんどは教会の管理下に置かれ、雇用の際の条件も厳密に決められている。

スラムの住民を雇おうとするのは、その管理外にある中小経営者だった。

人件費削減、あるいは人目を憚って何かさせたい時に便利な都合のいいストック。

それが彼らにとってのスラム住民である。



「ふう……今日はもう寝ちゃおうかな。お腹も空いたし……」



誰に伝えるでもない独り言を吐き出して、彼女は乱暴に布の上に体を横たえた。

未舗装の土の上に飼葉を敷き詰めただけの簡素なベッドが、彼女の傷んだ体を包み込んだ。



「……イロの馬鹿。」



呟いた弟の名前も、無数の隙間に吸い込まれていく。



=========================




「うわぁっ!!」



少年は情けない声を上げてひっくり返った。

手には自分の身の丈ほどの長さの武器、聖剣を握り、恰好も昨夜の激闘の後のまま。

強いて言えばあれから一度体を洗ったので、どことなくさっぱりして見える。

そしてその姿を部屋の隅から、頬杖を突きながら眺めている黒い衣装の少女がいた。



「イメトレで勝てなかったらもうどうやっても無理デスよねぇ?」

「う、うるさい……もうちょっとで掴めるんだか」

「そりゃ掴んでもらわないと困るんで、頑張ってくださいねぇ~」

「く、クソっ……」



一言吐き捨てた少年は再び立ち上がり、目を閉じて内省に集中する。

傍から見るとそれっきり動きが無く、傍らの少女は小さく欠伸をした。



「間合いを取って……動きを読め……」

(一人でぶつぶつうるさいデスねぇ)



少年の体は左右に揺れたり、小さく足踏みをしたり、イメージの中の動きが現実に漏れ出しているようだ。

5分ほどそうしていたかと思うと彼の口元は小さく歪み始め、動きもぎこちなくなる。

そのままあれよあれよという間に脚がもつれ、また頭からひっくり返ってしまった。



「ぐぅ、クソ……。おいディア!このイメージわざと強くしてないか!?」

「1.1倍くらいにしてますけど、それで勝てないならどうやってもダメでしょ」

「うっ、ううぅ~~~」

「ほーらさっさと立つ。こっちも別に暇じゃあないんデスよぉ」



ぶつくさと文句を垂れながらも、少年はまたイメージトレーニングに戻った。

彼が立つのは部屋の中央。四方上下を黒い壁に囲まれ、その隙間に挟み込まれた間接照明がそのどこか不気味な様相をはっきりと照らし出していた。



「どうせ聞いてないんでぇ、これはひとりごとなんデスけどぉ」



黒い少女が、頬杖を突いたまま喋り出す。



「多分力自体は拮抗してるんデスよぉ。今。ただどう考えても経験の差が埋まらないんデスよねぇ」

「こう来たら……こう躱して……」

「あのじーさんそろそろ100近くてぇ?その間ほとんど衰えが無いこと考えたらぁ、フルパワーでゴリ押しするしか勝ち筋って無いはずなんデスよねぇ~」

「ここでっ……!」

「はぁ……せっかく用意したのに、上手くいきませんでしたねぇ……」


「ぐっ、がはぁっ!」

「はーいお疲れ様でぇす」



彼女の独り言が終わるのを見計らったように、少年がまた内省の世界から弾き飛ばされた。

額に冷や汗をびっしょりとかき、肩で呼吸する姿は、とてもイメージトレーニング後とは思えない。



「……そういえばさっき、誰かと喋ってたか?」

「別にぃ?」

「そうかよ……」

「何か新技とか作らないんデスかぁ?ほら、昨日も何か叫びながら剣振ってたじゃないデスかぁ」

「あ、あれは……その……」

「鳥の図鑑の次は何にしますぅ?おねーさんがまたじーっくり読み聞かせしてあげますよぉ」

「う、うるさい!もう一回だ!」



何とも言い難い表情を浮かべた少年は、話題を打ち切ってもう一度内省に耽る。

それを見守る少女、ディアは、ひらひらと手を振り、また頬杖を突いてその様子を眺めていた。



「ま、別にキミが失敗しても構わないんでぇ。存分に憂さを晴らしてくださいねぇ」


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